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発行者:福島 宏

電話:(096)354-8439
FAX:(096)354-8440


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学校側は事勿れ主義
いじめ・5人組の学童らが煽る
 熊本では名門小学校に数えられている熊大附属小学校だがここ数年「学校が荒れだして質が低下した」として入学を避ける動きが出ている。その原因がここに報道する6年×組のモンスターペアレント5人組の存在と見る者も居る。彼女(保護者)ら5人組とその子女達が6年間過したのは間違いのない事実である。

 登場人物は以下の通り。

 首謀者は女子学級委員のS、その子L。PTA役員のN、その子F。学級会計係F、その子A。同H、その子R。役職なしのY、その子Sの5人組。これらに与くみしない常識派のT学級長(男性保護者)と男子学級委員のF(女性保護者)。いじめに遭った生徒はOL(女子)。NH(男子)。学校側はS副校長、N教頭、担任で休職に追い込まれたM先生。その間臨時の担任となったMH先生。いじめ発生時に対応した隣の教室担任のH先生だ。附小の場合校長は熊大教育学部の教授が兼任している為、実質学校を運営するのは副校長となっている。表には出ない陰湿ないじめは以前からあったが、昨年の夏休み明け頃から顕在化、6年×組の学童達に乱れが生じた。以下具体例を挙げる。

 同小の運動会は昨年10月初旬に行われたが、その少し前から男子生徒のNHにSの娘Lが「運動会を休め」と云い始め、Lに唆かされたと思われる男児のMSも同調して「休めよ」と云った挙げ句NHの手などを叩いた。LがNHに休めと云ったのは運動会のリレーでLとNHが同じグループで走る為、足の遅いNHが居ると「勝てない」と思っての事らしい。(NHは運動会に出た)。この件を他の学童が担任のM先生に知らせた。M先生はMSに事情聴取、MSも認めた為後日MSの母親を呼び出し、IN教頭、M先生に伴なわれNH宅を訪れ謝罪した。この事実を知った学童達が「MSを煽ってやらせたのがLで、Lが知らん顔をしているのはおかしい」と騒ぎだした。M先生はこの問題を鎮める為「保護者会を開きたい」として、学校側はIN教頭、M先生。保護者側はT学級委員長、S女子学級委員、F男子学級委員が集ったが、話し合いの最中、何を勘違いしたのかSが怒りだし、突然M先生を攻撃しだしたのである。



誹謗中傷・嫌がらせメール
5人組 担任を休職に追い込む
 承前。Sが怒りだしたのは話し合いの中でFがSに「女子の事(いじめ)も正直に話した方がいいのではないか」と云い、T学級長も同調した為「『自分の娘が加害者にされる』と思ったのじゃないか」と関係者。Sは5人組の他の保護者らと組んでM先生について教頭らに「子供達から嫌われている」とか「教え方が悪い」など「告げ口をしている」と一部の保護者の間で噂に上がっていた。

 この日Sは「保護者全部が貴方に不満を持っていて担任を外してほしいと思っている。依怙贔屓ばかりして子供を差別している」等激しく罵った。T学級長、F委員が宥めたがSは聴く耳持たずで捲し立てる。M先生はSの虚言と剣幕に圧倒され「驚きの余り声も出ない有様だった」と云われ、この日一言の反論もしなかったらしい。「らしい」というのは、当日出席した保護者から他の保護者が聞いた話だからである。結局「保護者会は開かない」でこの日は解散した。M先生はこれまでも5人組からラインなどで中傷や嫌がらせを受け精神的にダメージを受けていたが、この日を境に体調が悪化、学校を休む日が多くなった。その頃次のいじめが発生する。

 M先生が休んでいたその日、女児OLの体操服が何者かに隠された。OLはショックの余り保健室に駆け込んだ。保健の先生からの連絡で×組の隣のH担任が対処、5人組の1人Yの娘Sから事情を聴き、5人組の子供らが服を隠した事が判明した。その事をH先生がどうOLに説明したかは不明だが、教室に戻ったOLが「H先生がいじめをした生徒は誓約書があるので今後いじめをしない様に云います」と云ったという主旨の話を他の学童に話した(誓約書とは、数年前同小で“いじめ”が発覚した際、「自分の子がいじめや非行、校則に違反した場合転校させます」と云った主旨の文言の入った文書をいう。毎年提出が義務付けられている)。

OLの話を学童5人組が早速親に報告、親の5人組はラインで連絡を取り合って対策を協議した(これは他の保護者が証言)。10月最後の連休日、5人組からの“要求”があったとして5人組の親子10人と教頭、M先生、隣の組のH先生が学校で会合を持った。会合に先立ち5人組は某所に集り子供達に「こう云え、泣いてみせよ」等を打合せたとも云われる。席上SがH先生が云った“誓約書”の件を持ち出して「訴える事も出来る」と学校側を追求、学童達も口裏を合わせた様にM先生、H先生を非難したという。  



進学に不利
調査書に記入するなと強弁
 この会合の中でSらはいじめの事は「調査書に記入しないように」と学校側に要求した。半ば脅しではないか。一説では「教頭に念書を書かせた」と云われるが、教頭に取材しても“まともな回答”は期待出来ないので取材は行っていない。令和元年11月からM先生が休職に入った。その説明の為、学校側は×組の保護者会を開いた。×組の保護者全員(36人)とI校長、S副校長、IN教頭、MH先生(M先生の後任)が出席した。席上主にS副校長が進行役を務め「M先生が体調を崩され暫く休職する事になった。M先生は真面目すぎて一人で問題を抱え込んでしまった。留守の間MH先生がクラスを担任します。これまで色々あったが水に流してM先生の不在中は頑張って下さい」と話し解散しかかった。その時T学級長が「保護者からも意見を伝えたい」と先生方を引き止めた。保護者がそれぞれの意見を述べる中で、実情に詳しいF委員がこれまでの経緯を詳しく説明した為、モンスターの学童5人組がいじめの中心と分ってしまった。保護者会解散の後、5人組は外部に知られていないと思った自分達のグループの存在が“ばれた”として「誰れが裏切ったか」疑心暗鬼となり、固い結束が崩れた。NとYの子はクラスでも孤立。一時不登校となった。5人の内3人の子は中学進学が出来ず、Sの子は合格した。




 小紙前号1面の熊本市庁舎完成直後の夜景は、昭和57年3月熊本市が刊行した庁舎完成記念誌「くまもと ふれあい」から転載したものである。熊本市民の多くが見た事もない、今後見る機会もない現庁舎の美しい夜景を、小紙読者に見てほしいと紙質もアート紙に替えて発行したのである。

  庁舎建設の際星子敏雄市長は「単なる事務所機能を持つ箱物ではなく、熊本市民が誇りとする熊本城の大きなゾーンの中に市庁舎もあるんだ。市民の共有財産である熊本城、そして日常生活の中で築いてきた伝統と文化を市庁舎に表現してみたいと思った」と、同誌の中の坂本善三氏との対談で語っている。坂本氏も「お城から続く新庁舎に少しも異和感がない。確かに現代的な建物には違いないのですが、悠然として歴史と対峙していると言いますか見事にマッチしていて、しかも一体感があります」と評している。

 星子市長が一番気を遣ったのが、熊本城との調和と熊本の文化を後世に伝える事ではなかったか。それを実現させる為に県内の芸術家7人に加え、外部の専門家を起用して庁舎内外に美術的装飾を施したと解してよいだろう。製作者に与えられた課題も「くまもと」であった。星子市長の意を承けた作者は雄大な阿蘇を、御輿来海岸の干潟を、熊本の祭りを作品に籠めた。これら先人の思いを一顧だにせず、建て替えの必要もない庁舎の建て替えを強行している大西市長の愚劣を嗤う。



 下の写真は令和元年10月10日付けの週刊新潮「ワイド特集」「天下の秋の大番狂わせ」の中の一項目である。同誌発行後程なくして在京のフリージャーナリストから筆者に電話があり「あの乗っ取り劇の記事は読んだか」と聞くので「新潮は毎週買っているが高橋書店の記事の記憶はない」と答えた所「読んでみてくれ、新潮の記事は大まかだが、主要な部分は熊本の人達が絡んでいる様だ」と云われ、改めて指摘された部分に目を通した。

 新潮の記事は「お家騒動」と穏やかだが、知人のジャーナリストが云った「あれは乗っ取り劇じゃないか」と語ったので興味を持ち、知人に高橋書店のトラブルの概要の取材と、熊本関係者取材の手懸かりとなる資料の収集を依頼した。その結果は週刊新潮の報道に見る通りで、高橋書店中興の祖と云われる2代目社長の高橋秀雄氏と同氏の長男政秀氏が経営権を巡って“訴訟合戦”中である事が判明した。熊本人脈は“反乱軍”側とされる長男政秀氏の妻とその関係者である事が判明した。知人からの資料は「『呉服のほそ川』関係者らしい」であった。係争の中心も(株)高橋書店というより同社の持株会社「高橋ホールディングス」であり、同社の取締役に政秀氏の妻とその身内が就任した事から「熊本勢が動いている」と話題になったものと思われる。取材は難航したが以下の事柄が判明した。

 高橋ホールディングス(以降高橋HD)の商業登記簿によると6名の取締役中4名が熊本関係者で、以下は筆者の取材結果である。「(株)呉服のほそ川」は昭和56年3月熊本市大江5丁目で六ツ石康明氏が創業設立した。資本金は設立時300万円であったが後に1000万円に増資した。同社は一般的な呉服店の様に「来客を待つ」商法ではなく、10数名の外務社員が県内を回って小集会場で販売会を開いたり、個人宅を売り歩いた。

 この商法が当時の「呉服ブーム」に乗り、年商2億円を超える年もあったという。当初取締役は康明氏だけであったが、後に妻清子氏も加わった。平成4年熊本市水前寺4丁目に4階建の自社ビルを建築、大江の借家から移転した。平成20年代には“呉服ブーム”も下火となり、従業員も数名に減少する中、代表取締役の康明氏が逝去、妻清子氏が代表取締役に就いて今日に及ぶ。康明氏と清子氏の間に2女が生まれたが、その長女和歌子氏が政秀氏の妻である。同氏は学園大を卒業後上京しているので詳しい事は分かっていない。妹の明穂氏は熊高から「東京の大学に進学した」と聞くが、以降の事は不明。10数年前帰郷した際は姓が変っていたので東京で結婚したと思われる。

  高橋HDの代表取締役は高橋政秀氏、取締役は井上好子氏(政秀氏の姉)、政秀氏の妻和歌子氏、同氏の母六ツ石清子氏、同氏の妹中野明穂氏の他小池真理氏の名前が見られる。小池氏は和歌子氏と高校時代からの親友と云われ、学園大を卒業後熊本市内の大手病院の管理部門に勤務している。夫は大手ハウス会社に勤務、実家に2世帯住宅を建て母と同居している。以上の4名が高橋HDの取締役に就任しているが、六ツ石氏を除いて会社経営のノウハウはない。六ツ石氏を含む3名は熊本在住であり、政秀氏の妻和歌子氏からの依頼による取締役就任と思われる。


(「週刊新潮」令和元年10月10日号より)


県警 菊池警察署長
不法産廃事件揉み消し
 菊池市に本社を持つ九州産廃(株)の違法行為に熊本県、菊池市が大甘の処分で世間の目を欺いた。加えて県警菊池署が同案件を立件すべく動いたが、当時の署長が異動後に就任した新署長が「送致不用」と立件を見送ってしまった。暑い中証拠収集に動いた署員達の労は水に流されてしまったのである。

 九州産廃は前田博憲氏が社長時代、小紙に内部通報があり報道した記憶がある。内容は産廃物焼却の際の排煙を正しく濾過せず、監督官庁が検査に来る時だけ濾過装置を付けるというものであった。これ(棕櫚)を着けると排煙効率が落ちるのを嫌ったのである。今回も内部通報が熊本県、菊池市の担当部署にあり違法行為が発覚した。菊池署にも匿名の告発があったとされる。事案は、九州産廃が使用している最終処分場の不適切運用である。菊池市がプレス用に配布した資料と小紙の取材結果は以下の通りである。違法行為は表に出ているので概要のみを記す。

 九産廃は埋立てなどが完了した跡地に焼却灰など多量に廃棄したり、安定型処分場にそれ以外の廃棄物を捨てた。安定型処分場を転用した調整池の水を抜いて木くずなどを埋立てる等々の違法行為を続けていた。事件発覚後、県及び菊池市は違法行為を確認、行政処分(産廃業の許可取消もある)を検討したが、業者が廃業になると不法処分された産廃物を公費で復元せねばならない。中田浩利社長の引責辞任、違法物件の適正処分の申し出を考慮「措置命令」に留めた大甘な処分でお茶を濁した。この処分については地元の大物県議の働きがあったと聞くが確証がないのでこれで止めおく。

 県警の動きであるが、事件発覚時の菊池警察署長は猿渡信寛警視で、同署長の指示で同署生活安全課が捜査に着手した。ほぼ証拠も固まった平成31年3月、猿渡署長は県警本部に転任となった。後任署長として着任したのが大内田朗二警視である。大内田署長は主に交通畑を歩き、平成31年3月猿渡署長の後任として着任した。その後程なく捜査は終結した。前署長は書類送検を明言していたので、捜査員達も当然送検するものと思っていたが、大内田署長は「送検しなくてよい」と指示した。その背景に先述の有力県議の影がちらついていると関係者。


熊本県警菊池警察署と右の写真は九州産廃本社



高橋書店紛争の概要
 (株)高橋書店の前身は昭和13年10月、高橋休四郎氏が設立した高和堂が嚆矢で、戦後の出版ブームに乗って業績を拡大、昭和29年に(株)高橋書店を設立した。休四郎氏から経営を継いだ二代目社長の高橋秀雄氏は先代から引き継いだ業務内容を整理、出版、日記、手帳をメインに据えた業務改革を行い、それまで鳴かず飛ばずの存在であった高橋書店を“手帳の高橋”として広く知られる存在となった。事業の進展と共に別会社を設立、「高橋グループ」として年商100億を上げ、低迷する出版業界で上位にランクされる企業となった。株主は殆どが身内で固めた同族会社である。同族会社に多く見られる様に秀雄氏も妻子の将来をより安定させようとしたのか平成14年8月、(株)明寿香を設立、妻などを株主とした。発行済株式は1万株で、妻(後に死去)5000株、長男政秀氏2000株、長女1000株、次女2000株が配分されたが、出資金1千万円は秀雄氏の個人出資である。平成24年明寿香が旧高橋HDを合併吸収し新たに(株)高橋HDが誕生する(注、旧高橋HDは平成21年に秀雄氏が資本金300万円で設立、6000株中、秀雄氏が2040株、3960株を政秀氏名義とした)。途中は省略するが、この時の株の配分が、今回のトラブルの因となる。平成30年9月の役員会で秀雄氏が「今後当社は世襲をやめて、実力のある人間を次期社長にする」と発言。「次期社長は自分」と思っていた政秀氏がこれに反発、平成31年4月株主総会を開いて秀雄氏を解任。以後5件の訴訟合戦が展開中である。



 3月5日告示の県知事選の最中にこれを書いている。2月発行の予定が、他の取材に手間取り、蒲島知事に関する記事を本号で取り上げても意義が薄れるので他日を期す。

  これまで歴代の知事は「知事の任期は3期」というフレーズもあって3期で引退していた。尤も当人達(寺本、沢田)が自ら身を引いた訳ではなく、政治の力学が働いて4選が阻止されたのである。在任期2期8年は細川、潮谷だが、2人とも身内の不祥事や、私行不良などで身を引かざるを得なくなっての3選不出馬であった(小紙で既報済み)。で、4選出馬の蒲島だが、過去3期12年で「蒲島でなければ遣り遂げられなかった」という実績はない。敢えて云えば「くまモン」の作製を認可し、たまたま全国的に浸透しただけではないか。熊本地震で、“獅子奮迅”の働きをして「素早い復興に貢献した」と持ち上げる“ボンクラ層”が居る。

 蒲島知事は前震発生後はすぐ災害対策本部を立ち上げるなどしたが、本震発生後は適確な指示を出し得たとは云えず「この3月に退職した副知事に頼る事が多かった」とは県幹部の話。おまけに4月21日は「空白の1日」と云われ(県政記者も証言)行方不明であった。漏れ聞く所によると「連日の激務で、前夜だか、当朝か知らないが官舎に戻って飲食の後寝込んでしまった」とか。震災復旧にしても「創造的復興」とか云い出し、“益城町づくり”を標榜し、無用な道路拡張まで含めた為、益城町民が大反発、規制の遅れもあって計画地内に続々と家が建ってしまった。未だに区画整理に応じない町民も多く、計画通り進んでいないのが実情である。

 で、蒲島4選出馬の動機だが、何の事はない「自民党県連と金の成る木の持ちつ持たれつ」で、知事を続けたい蒲島と、操り易い知事を出したい前川收県連会長の思惑が一致しただけである。蒲島は初出馬の時から「どの政党からも支援は取り付けない」として県民党を名乗っているが、これは民主党寄りの思想を急転回出来ないからであり、本来恃むべきではない自民丸抱えの選挙で上って来ているのである。

 2期目は強力なライバルがなく楽勝したが、投票率は45%。前回は前熊本市長幸山の出馬で県連も緊張、党議拘束を掛けた結果、蒲島50万余で大勝した。そして今回、自民党県連は「公認より重い候補者」という不思議な支援に、党議拘束まで掛けて蒲島を担ぎ出した。前川は「幸山をWスコアで引き離す」と意気込む。幸山の不人気もあり、恐らく思い通りの結果となるだろう。「熊本県民の最大不幸」があと4年間続く事になる。(敬称略)



予想外れの幸山
 幸山が4選を目指した(希望していた)熊本市長の座だが、小紙が時折触れる黒幕のIによって知事選出馬が決められ、後継市長に大西県議が選ばれ当選した。大西当選後に行われた県知事選に出馬した幸山だが、事前の自陣営の票読みは大きく外れ、蒲島50万余、幸山20万余の大敗北であった。

 幸山陣営は、幸山が市長選で獲得した最大票17万を“固定支持票”と勘違いしていた事である。その基礎票に10万上乗せ出来れば蒲島と対等に闘えると思っていたようだ。自民党県連の力も甘く見ていたらしいが、革新政党が貧弱な熊本県に於いては自民党票は盤石である。蓋を開けてみれば熊本市圏の得票は蒲島17万余、幸山8万余であった。

 これで幸山は再挑戦を“諦めるべき”であったが、「蒲島は3期目、次は出ないだろう」と読んだ愚か者が多かった。中でも幸山市長時代に甘い汁を吸ったであろうK後援会長らが「次期は勝てる」と読み、回らぬ頭で考え出したのが蒲島支持が弱い県南地区であった。資金の方は「幸山は知事選3回出るだけの資金はMICEで集めていますから」と多くの市議が云う様に不自由しなかった様である。で、今回2回目を挑戦中だが「熊本県知事になりたかったら自民党県連を握ること」は常識であり、幸山がどう踏ん張っても蒲島の敵ではない。選挙戦も終盤に近いが、蒲島は「公務に専念して新型コロナ問題に取り組む」と余裕綽綽ではないか。金も組織も前川県連会長任せの安心感である。(敬称略)



創刊23年を振り返る〈12〉
白川漁協 元暴力団組長が支配
 本欄前号に続く。

 よく聞いてみると、坂口氏は5万円を予定していたが坂田から「3万円でいい」と云われ反対出来なかったと云う。その坂田だが、初対面した当日の言動が面白い。普通の市民だと初対面の相手に気を遣い、3人で世間話でもすると思うのだが坂田は坂口氏と漁協関係の話を始めたのである。筆者は「聞いていたより阿呆だな」と思って早々に席を立った。そして事務所に戻った後、前号の電話が掛かったのである。その時筆者は「何であんな極道を理事にしているのか、何れ乗っ取られるよ」と忠告したのだが、坂口氏は「うちのような所(漁協)は元気もんが1人位居った方がよかとよ、坂田は私が抑えますけん」であった。だが事態は筆者の忠告通りに動いた。

 平成22年2月の飲み会で、酒に酔った坂口組合長が組合の経理を一手に握っている都崎某女に「卑猥な言葉」でセクハラした。都崎はすぐ坂田に泣きつき「坂口が組合長でいる限り経理事務は一切行わない」と宣言した。一説では「それ以前に都崎は坂田に抱き込まれていてこの騒動も出来レース」と話す理事も居た。これを機会に坂田が本性を剥き出し坂口組合長落しに動く。事務所を吉原町から坂田が不動産会社を構える大津町に移し、都崎事務員もそちらに通い出した。人の善い坂口組合長は何ら対策を講ずる事も出来ず、同年8月に理事長組合長を辞した。

 その後開かれた臨時理事会は坂田を理事長組合長に選出、坂田は晴れて利権の固りである「白川漁協」の運営に携る事になる。坂口組合長は臨時理事会で“いたちの最後っ屁”ならぬ“負け犬の最後っ屁”で坂田の「組合費流用」をばらした。その前から坂口氏は坂田に要求され、組合費から30万、50万と貸付けていた。坂口氏の爆弾発言を受け、同組合監事が監査した所、公金流用が発覚、坂田に辞職勧告を行った。

 その時の坂田の云い訳が面白い。「石原橋が済むまで待ってくれ」であった。当時県は石原橋の架け替えを計画していたらしい。坂田がその利権を狙っていたのは想像に難しくない。坂田は一旦辞職したらしいが、次の総会で理事の多数派工作が功を奏して組合長に返り咲き、自分の舎弟らを使って白川を出鱈目に管理。加えて坂口前組合長らを訴えられたりの泥試合を繰り広げている。理事会も開いた開かないで坂田派、反坂田派が県水産課を巻き込んで紛争が続き、熊日にも報道される事態となった。

 併行して民事訴訟合戦もやっていたが、本欄に掲せた平成24年7月号を最後に小紙としては報道を中止した。余りにもバカらしい争いに嫌気したのである。前だか前々回だかしらないが坂口組合長が坂田を理事に入れたのが、全ての事の始まりで真面目な組合員程早く脱退している。






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