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〒861-8034
熊本市東区八反田1丁目14-8

発行者:福島 宏

電話:096-234-8890
FAX:096-234-9883


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 蒲島郁夫知事が初当選を果たした平成20年、知事就任2回目に当る同年9月議会で蒲島知事は川辺川ダム建設計画について「反対」を表明した。この表明の10日前の出来事を平成20年12月27日付毎日新聞が詳しく、面白く報じているので引用させて頂く。

 記事は「笠井光俊」記者が書いたもので「08プレーバックフロントNEWSライン」と付けられているのでこの年を回顧したものであろう。横見出しは3段目を全部遣って「治水より幸福最大に」として右柱は明朝の白抜きで「知事の方程式=財政+清流の価値+安全」とし、リードの後に「川辺川ダム建設反対」の小見出しとなっている。

 記事は「『僕が云いたいのはこういうことなんだ』熊本県庁5階の知事室。立ち上った知事は、横のホワイトボードにペンを走らせた。fやxなどが並ぶ微分方程式が現れた。東大教授時代の教え子の小野泰輔・政策調整参与(34)ら4人はポカンとした。ダム建設の是非を表明すると約束した9月11日を約10日後に控えていた。」中略。「微分方程式は社会科学の分析にも使われ、知事の政治学論文にもよく登場する。『合理的な考え方を進めようという時、よく使う』という。」以下略。要は知事が数式を使って今後の県政を方向付けるというのであろう。

 知事の方程式が解けたかどうかは熊本県の現状と4選目に入った蒲島県政を見れば十分であろう。3期12年間「県民の総幸福量を上げる」と意味不明なキャッチフレーズを掲げていたが「自分の幸福量が知事のお陰で上った」と思っている県民が居るだろうか。「球磨川はかけがえのない財産で守るべき『宝』なのではないかと思うに至った」と記事は書くが、ダムに代る治水策は12年間放置され、昨年の大氾濫を招いた。県南豪雨の翌日、記者会見に応じた蒲島知事は「川辺川ダム『復活ない』」「蒲島知事球磨川治水で」(熊日令和2年7月6日付総合面見出し)。記事の中で蒲島知事は「反対は民意を反映した。私が知事の間は計画の復活はない。改めてダムによらない治水を極限まで追求する」と述べている。が、虎視眈々とダム建設復活を狙っていた国交省の動きは早かった。7月4日人吉市を流れる球磨川の最大流量を毎秒7400トンと推計「もしダムがあったら4800トンと抑える事が出来た」と発表、同時に流域12市町村長らを説得して回った。

 12市町村長は球磨川などの氾濫で大きな被害が出た直後であり反対する者は居なかった。それが「ダムの早期建設」を蒲島知事に陳情する動機にも繋がった。8月末蒲島知事はダム建設容認に傾き、9月4日付熊日3面で「あらゆる可能性を排除せずに検討を進める。想定を超える豪雨に耐えられる対策を目指す」と語り含みをもたせた。同年11月12日付産経新聞は「川辺川ダム容認へ」「熊本県『穴あき型』検討」「19日にも表明」として蒲島知事の方向転換を報道した。



初当選後の脱ダム宣言何処へ?
蒲島知事不都合は世論で逃げる
 平成20年3月、熊本県知事に初当選した蒲島郁夫知事は僅か1カ月半後の6月、潮谷義子知事が撤去を表明していた荒瀬ダムについて「凍結」を表明した。一方で川辺川ダム建設反対を9月議会で表明、選挙で蒲島氏を応援した自民県議らを“裏切り者”と怒らせた。同11月に「荒瀬ダム存続」を表明した。理由は「撤去に費用がかかり過ぎる」であった。12月の定例議会でも「荒瀬ダムを利用して発電した電力を九電に売る基本契約は年内に締結出来る見込みだ」と述べた。

 この一連の蒲島発言について小紙は「選挙で全面支援を受けた九電への恩返しであろう」と報道した。だが荒瀬ダムを存続して発電を再開した県企業局は発電用水利権の“更新”の壁に突き当った。県は更新は可能と楽観視していたが、前年自民党から政権を奪った民主党政権は「ダム反対論者」が多く、県が「更新」を求めた水利権について「水利権者」(球磨川漁協など)の同意を必要とする「新規取得」を求めるものだった。九電への年間売電料は5、6千万円と云われる中、漁協への補償は6億円以上となり(漁協幹部と裏取り引きしていた事が判明、組合員が反発)発電維持費用も売り上げを上回っていた。にっちもさっちもいかなくなった県は白旗を掲げ、平成22年3月の水利権の契約期限切れと同時に同事業は55年の活動を停止したのである。

 同ダムは平成30年3月に撤去が完了したが、もし水利権の更新が出来ていたらダムは存続していた筈。荒瀬ダムが球磨川の流量を妨げ被害は一層大きくなっていたのではないか。行政は数式で解決しないのである。川辺川ダム建設反対を蒲島知事が表明した翌年の政権交替はこれに追い風となり、当時の前原誠司国交相が「八ツ場ダム(群馬県)の中止に続いて川辺川ダム建設の中止」を決定した。が、流域6県知事の猛反発で、八ツ場ダムは建設を再開、完成直後の大雨で緊急放流がぎりぎりで止った事もあり、「ダムのお陰で利根川流域の水害が防がれた」と評価された。「もし放流されていたら…」の論は聞かれなかった。前にも書いたが、蒲島氏が知事選に初出馬した当初は「ダム建設推進」であったが、他の候補4人が「反対」を掲げていた為、選挙途中から「当選後に決断する」に変えた。選対の作戦であったが、当選すると「ダム建設反対」を表明、世論受けを狙った。
 あれから12年後、ダム建設反対を180度転換して建設に舵を切った。球磨川氾濫で被害を受けた関係12市町村長らの要請、自民党県連、国交省の意向を受けての結論であろう。最後の抵抗?として「貯水ダム」ではなく「穴あきダム」を主張、国交省もこれを受入れた形で“計画変更”を行っている様である。だが穴あきダムの効果が計算通りに働くかは未知数という。某専門家は「川辺川ダムだけでは効果が薄い。市房ダムとの連携が必要だ」と語る。他に遊水池、引堤、輪中堤での治水が論議されているが、それでも「最近の異常気象による豪雨禍を完全に防ぐ事が出来ない」と大方の専門家は見ている様である。ダム建設は県民の世論と言訳して建設に踏切ったが果して蒲島知事の本音は?。



蒲島知事在任中ダムは無理?
後顧の憂えなく本音が出るか
 蒲島知事が川辺川ダムの建設を容認した事から国交省はダム建設に動きだした。有力土木業者は「川辺川ダムの場合周辺施設は完成しているので、あとはダム本体の工事が主力になる。その気でやれば6、7年で完成すると思うが長くても10年あれば出来る」と見ているが、蒲島知事が貯留型ではなく流水型ダムを要請した事で完成時期が迷走しだした。
 流水型ダム(穴あきダム)は立野ダムにも採用されているが、未だに緊急放流時の流域の安全性に疑問が残ったままだ。流水型ダムは現在稼働しているダムは全国に5カ所(国交省発表)、建設中は立野ダムを含めて8、9カ所である。ここで問題なのが、どの流水型ダムも川辺川ダムの最大貯留量1億6百万屯に比べると、多くは半分以下の貯留量と云われる。国交省もこれまでに経験のない大事業を行う訳で、設計から工事着工まで、「何年係るか分らない」のが実情ではないか。加えて堤防のかさ上げ、引堤(川幅を拡げる)遊水など総合的な治水を考えている様だが、これらがスムーズに進まないのはダム建設で動いていた福島知事、潮谷知事時代に漁業者、農家などの同意が得られず本体工事に着工出来なかった事でも分る。
 今回も蒲島知事は周辺の声に圧されダム建設を容認したが、国交省が計画していた貯留型ではなく流水型を主張、国交省も妥協した形だ。これに加え蒲島知事は最近になって「科学的環境アセスメントを解決すること」を主張しだした。環境団体、市民団体も「支流を含めて環境アセス」をと騒ぎだした。蒲島知事にとっては渡りに舟。「俺の在任中ダムは作らせない」本音が見えた様だ。



 本欄の内容と少し離れているがたまには脱線させて頂く。と云うのは昨夏に筆者が発見?した事柄を皆さんに知って頂きたいと思ったからである。昨夏も今年並みに猛暑であった。そんな暑い夏の午後、何気なく庭の柿の木を見ていたら何羽かの雀が枝に止まっているのが目についた。

 拙宅に狭いながらも庭があり、1本の太秋柿が植えられている。雀は朝夕かみさんが粟を撒いているようで頃合いを見て訪れる。粟を啄んでは小鉢の水を飲んだり、水浴びをする。室の中から見ていた私がふと目を上げると柿の枝に止まっている2羽の雀が目に止まった。真上から陽は照りつけているが、柿の葉は大き目で何重にもなっているので日射は遮られている。幹から岐れた直径4、5センチの枝だ。背景は隣家の白い壁の為、枝と雀が影絵の様に浮いている。2羽の雀は左を向いて止まっていたがよく見ると嘴を大きく開いているようである。暫く見ていたが閉じる様子がない。

 ほどなく筆者は「雀が体熱を放出している」と気付いたのである。人生○○年、初めて知った生態であった。自分の大発見に喜んで、その後も観察をしていたら猛暑の日にはその姿を見る事が出来た。皆さん知っていましたか。犬は汗線がなく体熱を口から放出する事は早くから知っていたが、小鳥の雀が同じ事をするとは思いもつかなかった。その後出交した鴉を見たら同じように嘴を開けていたので鳥類の体温は口で調節していると知った次第。



 左に掲げた2段抜きの大見出しは「市庁舎耐震不足」を理由に新庁舎建設構想を知った小紙の第1報である。市は平成30年6月5日、市議会の「公共施設マネジメント調査特別委員会」で「昨年10月から本年3月までに実施した耐震調査で行政棟を支える地中の杭160本中50本が致命的な損傷を受け、建物が傾く恐れのあることが判明。特に5~10階部分は大きく揺れ、柱やはりが壊れたり、外壁材が全面はがれたりすることも分った」(以上6月6日付熊日1面トップ及び3面記事の省略記事)

 熊本地震で震度6強が数回襲ったであろうと思われる熊本市庁舎はびくともしなかった。熊本市が行った耐震調査は、人目につかない地下杭であった事も筆者に疑念を抱かせるに充分であった。取材に動いた筆者に一級建築士、熊本市の元幹部、現庁舎建築に関わった人達から貴重な資料や情報を寄せて頂いた。結論は「建て替えの必要なし」であった。だが熊日紙は違った。第1報から市に好意的であった。日頃から多くの広告を出稿してくれる熊本市は“大スポンサー”である。その“恩返し”とばかり、市が公表した内容、考えを“丸写し”で報道した。書いた記者も記者ならその原稿を通した編集局幹部も幹部である。その後も熊本市側に立った(筆者から見て)耐震不足擁護の報道が続いたが、時折正論を書いた記事が1年程経って見掛けるようになった。

 小紙が何度も熊本市の「本庁舎建て替え案」について反論するのは、市が主張する建て替えの根拠としている「現在の耐震基準を満していない」と「地下杭が震度6強に耐えきれない」に疑義を抱いたからである。何度も書いたが、市が主張し、熊日も関連記事の見出しによく使う「耐震基準満さず」は、あくまで現在の耐震基準を満していないという物で、何ら建築基準法に違反している訳でもない。地下杭については1回目の調査を安井建築設計事務所に依頼(4社入札で最低価格は安井ではなかった)委託したがこの時、市は後に追及される事になった「地下連続壁」の存在を公表していなかった。市の意向を要約すれば「市庁舎を建て替えたいが、本体建物は内外観とも地震の影響を受けていない。これは市民が見てもすぐ分る。地下杭なら専門家以外は適否の判断が出来ない、この手でいこう」と大西市長が考え出した、かどうかは不明だが、筆者はそう推察している。

 自分の発案(原案は大西事務所幹部らと練ったと聞いている)を当時の担当局長、市議らと打合せて公表したのが6月5日である。思惑通り熊日は翌日の朝刊1面トップで“事の重大性”を報道、大西市長は「うまくいった」とニンマリ(したかどうかは見ていない)。所が無理を通すには無理があった。多くの市民が疑問の声を挙げた。そこで熊本市は次の手を打つ。現庁舎を設計した㈱山下設計に再度地下杭の安全性の調査を依頼したのである。調査結果は安井事務所よりまだ酷いもので「地下杭全てが損傷する」であった。調査は告示波と呼ばれる人工の地震波を用いて行われ、その解析結果が報告された。山下設計は40年前自社で設計施工した建物の基礎杭が、震度6強の地震に耐えられないと判定したのである。正直な設計会社と云いたいが、この調査結果にこの道の権威と云われる齋藤氏が鉄槌を下した。



耐震調査の2社市と癒着か
専門家が意見書で指摘
 市庁舎建て替え問題は熊日の“好意”的な報道にも助けられて熊本市側の思惑通りに進んでいた。しかし市民から疑問の声が高まり、自民党市議団から「建築の専門家の意見を聴きたい」として市議会特別委員会に「齋藤建築構造研究室」を経営する齋藤幸雄氏を参考人として招致した。市側は東京理科大学建築科の高橋治氏を参考人として招致した。両人の意見については小紙令和2年1月発行の242号で報道したが、齋藤氏の発言は理路整然として石頭の筆者も納得のいくものであった。一方市側の参考人高橋治氏は“無理強い”の市側の意に沿ったが如き発言と筆者が批判したが、その後の齋藤氏の意見書の中でこてんぱんに論破されている。熊本市や高橋氏は「白を黒」と謂うに等しく、齋藤氏の中立公正な理論を覆す事は出来ないであろう。窮した熊本市が打った次の手は、現庁舎を設計した㈱山下設計に検証調査を委託する事であった。調査結果は「地下杭全てが損壊する」であった。この報告書について齋藤幸雄氏は市議会特別委員会で要旨次の様に述べている。

R2に関する問題点
 R2とは、令和2年に2回目の調査を行った㈱山下設計の報告書を示している。
「委託仕様書の『業務内容』で『告示波の作成』が明記されているが、波形をはじめ告示波について必要な記述がほとんどなく、報告書として全く不十分な内容である。」「昭和53年の調査(原設計時)が建物の直下で行われていることを理由に、ここでの深度を採用している。

 この深度は26mであるが、解析では29mとして、表層地盤での増幅や杭の検討を行っており、完全に適用の仕方を誤っており、計算をやり直す必要がある」。「地下連続壁による上部構造や杭の応答低減効果が最重要テーマであるが、施行写真からエレメントの接合部で鉄筋が繋がっていないという理由でこの部分でコンクリートが損傷することにより、低減効果なしと断定している。」「耐震壁は設計者がわざわざ『注意事項』として図面に明記していたにも関わらず報告書には全く記載がないことも極めて不自然である。」「杭の安全性の検討は、竣工図(変更後の杭)によって行われるが大幅に変更されていること等重要な事項が全く記述されていない。H29(安井建築設計事務所が行った1回目の調査を指す)の検証が目的なのになぜ重要なことが記述されていないのか理解に苦しむ」と問題点を指摘している。又「安井設計が指摘した『本庁舎(行政棟)は耐震不足している』に多くの市民が疑問を抱いている。それは、震度6強の熊本地震に遭遇して、ほとんど被害がなかったのになぜなのか、という素朴な疑問である。R2では、疑問に応えるどころか、『大地震時にほぼ全ての杭が支持力を喪失する』という結果である。」「もし熊本地震が起きていなければ『耐震性能不足』という結論に対して、難しい解析を行っての結論との説明を受けて、市民は疑問を抱かなかったかもしれない。

 熊本地震での結果は一つの真実であってその結果から類推される耐震性能を大切にしなければならないのは論をまたない。」山下設計が出した「全ての杭が損傷を受ける」は「もしこんなことが震度6強の大地震で起きれば、本邦初の出来事であり、本庁舎の杭は全国に無数にある建物の杭の中で最も地震に弱い杭という事になる」と辛辣に批判を行っている。齋藤氏の意見はまだまだ続くが次号に持ち越す。熊大名誉教授の意見も併載の予定であったが、紙面の都合上次号で掲載する。本欄を読んだだけでも大西一史熊本市長がゴリ押しする“庁舎建て替え”が無用と判ると思う。結論ありきで“協力”を惜しまない大手設計会社だが、最後まで熊本市民の目を欺く事が出来るのであろうか。



市議会自民党分裂
建て替え慎重派が新会派
 熊本市議会で最大会派を誇った自民党市議団が「政策の相異」から分裂した。表面上の理由は「無所属など他派閥の受入れについて賛否が異ったから」とされているが、真相は別にある。「市庁舎建て替え」問題である。

 大西一史市長が唐突に公表した熊本市役所本庁舎(行政棟)が震度6強の地震が襲った場合、建物を支える地下杭が損傷して「建て物が傾く」として建て替えが必要と主張した事が原点である。この提案を受けて市議会各会派から賛否両論の声が挙がったが、最大会派の自民党市議団では賛成派と慎重派が拮抗した。熊本市が事前に“耐震調査”を委託した安井設計の調査報告書に疑念を持った議員達は市議会特別委員会で「専門家の意見を聴きたい」として参考人招致を要請した結果、小紙でも以前から報じている斉藤幸雄氏を議会側が、市側が高橋治氏を参考人として招致した。

 両氏の意見については小紙でも詳報したが、斉藤参考人の意見が正鵠を得たものであり、高橋参考人は市側の主張に沿ったお粗末なものであった。こうした経緯を経て自民党市議団では賛否の溝が深まった。賛否と書いたが、否は必らずしも反対の意味ではなく、「建て替えの根拠が納得出来ない。財政面の事もあり、慎重に事を進めてもらいたいというのが私達の思いだ」と熊本自民党の議員の1人が語る。こうして自民党市議団は2つに別れ、一方が熊本自民党を名乗って意を同じゅうする他会派の市議を受入れた。現在の陣容は熊本自民党が15名プラス1で自民党12名の構成となっている。面白いのは自民党議員で筆者が「今何故庁舎建て替えか」と訊くと「どうせ30年先には建て替えなんとに、今なら復興債が使えるだけ有利だ」と答える。加えて「自分達は“市長派だ”」と自称していると聞く。だから大西市長が桜町の「ザ・熊本ガーデンズ」という高級マンション12階東南角室を取得した疑惑も追及出来ないのである。


訂正します
 小紙で報道した市庁舎建て替えに関する記事の中で、地下連続壁について「(株)大成建設が特許を取って施行」と書きましたが、「(株)大成建設」を「(株)大林組」と訂正させて頂きます。当時建設に携わった1級建築士が勘違いしていました。



 昨年、令和2年11月25日は作家の三島由紀夫歿後50年の節目の年であった。この文豪の集大成とされる「豊饒の海」四部作の第2巻「奔馬」に熊本所縁の「神風連」が詳しく述べられている。奔馬を書くに当って三島氏は「史実に近付きたい」として昭和41年8月、神風連研究の第一人者である荒木精之氏(日本談義主宰)を訪ねた。三島氏は来熊するにあたって三島氏ただ一人の盟友伊沢甲子麿氏と、学習院時代の恩師清水文雄氏に荒木氏への紹介を依頼した。荒木氏と両氏が親交がある事を知った上での事であった。

 三島氏が熊本駅頭に立ったのは昭和41年8月27日の夕方。出迎えたのは荒木精之氏、蓮田敏子氏(三島氏を作家に導いた蓮田善明氏未亡人)と八代工業高校教員の福島次郎氏であった。三島氏はその夜からホテルキャッスルに4連泊して熊本での拠点とした。翌日午後2時きっかりに三島氏は荒木家を訪れたが、この時荒木氏を驚かせ感銘させたのが三島氏の行動力と智力であった。三島氏が来熊するまでに大方の神風連関連著書に目を通していたのは前夜の会談の中で知っていた。その事も驚きであったが、三島氏がまだ林桜園の「桜園先生遺稿」を読んでいないと聞いた荒木氏はその場で河島書店に電話をかけ、同書の在庫を確かめ三島氏にも伝えていた。所がその日訪れた三島氏は同書の他「神風連烈士遺文集」(荒木精之著)と加屋霽ハル堅カタの「廃刀奉議書」を求めて読んできましたと云ったのである。後に荒木氏が筆者に「ああいう人は凡人じゃなか」と云ったが、筆者としては荒木氏も凡人ではなかったと思っている。

 その夜三島氏の招待で料亭おくむらで小宴がもたれたが、荒木精之氏、蓮田敏子氏の他、商大教授の森本忠氏も招ばれた。森本氏は荒木氏の希望であった。森本氏は神風連についての著書もあるが、宇気比についての研究も深いものがあった。東大出身で頭も切れたが、ずけずけと批判する性格が熊本の文化人に受入れられず、晩年離熊した際、熊日に熊本県人、熊本の文化界を苛烈に批判する文書を寄せている。閑話休題。

 滞在2日目、三島氏は「案内する」という荒木氏の申し出を断り、道順だけを聞いてホテルから徒歩で約10キロと思われる飽田町の「新開皇大神宮」を徒歩で訪れている。太田黒靖国宮司が不在であったので妻が三島氏を案内した。この訪問について荒木氏は後に「奔馬」の中で描写されている様を読んで「これ程緻密に表現できるとは」と驚きの声を挙げたという。4泊5日の取材の結果は「奔馬」の中で随所で生かされ、主人公飯沼勲が数百万人の貧民を救うとして時の財界、金融界の重鎮らを襲って日本の改革を目指した事件(五・一五を模したと伝えられる)が未発に終る中でも多くの頁が割かれている。中でも「神風連史話」として神風連の決起と結末までを詳しく描写している。これ程三島氏の心を掴み、自決にも何らかの作用が働いたと思われる神風連であるが、未だに「不平士族の反乱」として論じられる事が多いのは熊本人として残念に思われる。三島氏や荒木氏が惹かれたのは神風連志士達の純粋たる至誠の心と理解している。


神風連資料館館報「宇気比」から引用



創刊25年を振り返る〈16〉
借金王魚住汎英参院議員
 今号は元農水大臣であった松岡利勝氏と共に全国的に名前を知られた魚住汎英氏を取り上げる。魚住氏は県議から衆院議員に転身したが、松岡利勝氏に2回の衆院選で敗れた後参院議員選(比例)で当選した。父親の魚住一海氏も県議を務めたが、地元での評判は大変よかったと記憶している。菊池市内で各種事業も行っており、汎英氏は恵まれた環境の中で育ったボンボンと云われていた。人が善いだけに他人から騙され易く「選挙の度に資産を食い潰した」と語る者もいた。

 小紙は平成11年頃から魚住批判を始めたが、発端は魚住氏の“公金流用”である。魚住氏は熊本県商工会連合会の会長他各種団体などの会長を務めていた。中でも県商工連合会は会員企業互助の為各種の積立金制度を導入しているが、その中の商工貯蓄共済の積立金が多額であった。自身の選挙資金を借金で賄った魚住氏は手形を乱発した。熊本県保証協会も大のお得意先で、担保以上の金を引き出した。当時の同会々長は木村剛勝(県庁OB)氏であったが、その名の通り太っ腹の男で、魚住氏を始め県議らに返済能力を無視した保証を行った男だ。この木村、魚住のコンビはバブル崩壊による中小企業救済の為国が時限立法で設けた「中小企業金融安定化特別保証制度」を悪用、休眠会社や、倒産寸前の会社と組んで偽会計簿を作成して県商工会に提出する。同会を通した案件は“無条件”で県保証協会が保証、無担保で五千万円を限度として金融機関が融資した。融資を受けた企業は融資金の1割を仲介者に渡し、その半額が魚住氏の懐に入る仕組みだったという。

 平成14年8月、東京警視庁は捜査員数名を熊本に派遣、魚住氏の“金銭疑惑”について捜査を開始した。その直後に事情聴取された商工会専務H氏が自殺した。柳刃包丁による割腹自殺であった。これを契機に警視庁は捜査員を増強、関係者の事情聴取を急いだが、熊本県警は一切ノータッチであった。担当捜査が進んだと思われた9月中旬、突然捜査が打ち切られ捜査員らは熊本から帰京した。

 以上の件、何故筆者が詳しいかここに記す。警視庁の捜査員が県警本部内に拠点を設けて程なく1本の電話が筆者に入った。相手は筆者が福島宏本人と確かめた後、自分は警視庁捜査員の○○警部補だと名乗り魚住氏について数分間遣り取りした。近く会おうと約束したが、その数日後「捜査打ち切りで今夜帰京します。会えないままで失礼します」と几帳面に連絡をもらった。言外に“不満”を感じたが、その後“魚住事件”はきれいに消え去った。



 下に掲げている熊本県民新聞は令和2年8月号である。この年1月から政府はコロナ禍の蔓延防止策による事業者らを救済する目的で「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策」を施行、後に一般事業者以外の個人事業者、農家等にも拡げた。この時政府は「過去に実績のないこの年に開業した個人事業者も加える」となり、大量の偽事業者が「コロナ禍」以上に蔓延した。少なくとも「前年度の納税実績のある事業者」に限定すべきであった。お陰でこの年開業して“かんこ鳥”が鳴いていた飲屋は息を吹き返した上「利益」まで上るようになっている。反面、長年続いていた飲食業者が給付金不足から閉店に追い込まれた案件も多々ある。で、農家だ。農家の1部はJAを通さず顧客と直接取り引きを行っているが、飲食業者を相手にしていた農家は明らかに、減収があるものの倒産した話は聞かない。自力生産の強みであろう。その中で昨年の初夏頃イチゴ、トマトなどを栽培する農家から「前年と収入が変わっていないのに給付金を受け取った農家がある」と受取ったとされる農家の実名を挙げて“給付の手口”まで語ったのである。早速取材に走った結果が下の記事となった。



 小紙発行後、この記事のコピーが出回ったらしく何件かの情報が寄せられた。その多くが「給付申請をしなかった者がバカを見る」であった。名指しのあった農家に取材した。その内の1人は「確かに給付を受けましたがうちは税理士さんに任せていたので間違いはないと思っています」であった。その税理士名を何故か云わない。左の記事を書くに当って「西野事務所」に取材は行っていない。聞いて素直に取材に応じないのは、これまでの経験で明確であるからである。かつて幸山市長の不倫を暴いた時相手の池田嬢に電話取材したが完全に否定した。その上で「あなたは何でも想像で書いている」とまで罵られた。「これがなかったら貴女の実名は伏せたままでしたよ池田さん」。

 小紙発行後西野氏は知人?の弁護士に相談した(事務所関係者)らしいが、弁護士から何の音沙汰もなかった。記事以外にも新情報が入っている。その中には西区内の米農家などが含まれているが紙面の都合で次に譲る。西野事務所の資金源になっていると云う者も居るがこれは穿ち過ぎだろう。



西野氏所属の大樹総研
「疑惑の組織」と批判続出
 筆者が西野太亮の名前を知ったのは平成29年の衆院選の1年位前である。熊高出身の経済人が雑談の中で「今度の衆院選で西野という後輩が2区から出るらしい」というものであった。経歴を訊くと「熊高から東大に進み、財務省に入ったエリートで、次回の衆院選に出馬する為財務省を辞めた」という。正にエリート中のエリートである。その時は年齢が37、8歳と聞いたので一寸若過ぎるなと思った程度であった。その後西野氏のホームページを開いて驚いた。「西野だいすけ通信」の中で自身を「自民党熊本2区」と書き、「活動報告」では「2015・3・18 通常国会中継予算委員会分科会」が4段に亘って記載されている。隣に「広報紙の紹介」として同様の文言が並んでいる。一瞬私は「西野氏が国会議員」と思うと同時に「確か次の選挙に出るという人物が何故国会報告を」と思ったのである。これは「国会議員の詐称ではないか」と腹が立ったが、よくよく文面を読んだら「西野氏の国会活動」と思わせる表現だが「活動報告」になっているが「私の活動報告」ではない。この「活動報告とは何か」と聞かれれば「私の知人の活動を紹介したものです」と逃げられる。この一事で私は「西野という男は詐欺師ではないか」と疑念を持ったのである。その後自民党県連関係者から「こちらの承諾も取らず報道陣をここ(自民党県連本部)に呼んで記者会見をした。会長以下皆が怒っている」と聞き、その厚顔さに驚くとともに「少し頭がおかしいのではないか」と思った次第だ。前後の事情は当時の前川幹事長に電話で確かめたが「西野は自民党を詐称している」と怒りを隠さなかった。

 一連の出来事は熊日平成29年10月2日朝刊3版でも選挙直前の状況として「戦線混沌」の中で熊本2区を報道、選挙前には相手が不利になると見られる記事を書かない同紙であるが西野氏について「…西野の“パフォーマンス”に自民県連は素早く反応。幹事長の前川收は2時間後、報道陣を前に『西野氏はこれまでも「自民党」と詐称することがあった。常識では考えられない』と非難した。」と報道。

 西野氏が余り経歴の中で語っていない様だが熊本の「異業種交流グループ」の中の自己紹介で勤務先として「大樹総研調査研究員」を挙げている。その大樹総研(株)(以降大樹と称す)は、これまでも「疑惑の組織」として情報誌や週刊誌から糾弾されている。

 会員制情報誌「FACTA」平成30年12月号の中で「大樹総研『金脈』秘密リスト」の見出しで、リード部分「太陽光のソーシャルレンディングから盛大にしゃぶった。落選政治家に恩を売りロビー活動とは『口利き』か」と書き「太陽光発電所を開発する」として5千人以上から資金を集めたソーシャルレンディングの親会社JCSから大樹総研(矢島義也会長)が「盛大に金を吸い上げた」として報道。

 JCSは主に民主党の落選議員の受け皿として落選議員を雇用していた。文中に「社員リストの末尾に捨て扶持で“飼われて”いた元政治家や関係者の顧問が複数名を連ねている」として6名の名前を挙げているが、その中の一人に西野西野太亮月額(10万)がある。他の5人は民主党の元職2、維新系2人。細野豪志の秘書1人で「昨年の衆院選で熊本2区から無所属で出馬、落選した西野西野太亮も名を連ねている」と書く。この6名は「大樹紹介」と記されている。以下次号。



西野氏の勤務先
大樹総研の黒い噂
 西野太亮氏が勤務先としている大樹総研は矢島義也会長を総帥とする大樹グループを指す。傘下に「大樹ホールディングス」「大樹環境システム」「大樹リスクマネジメント」等を統括する「政治シンクタンク」と称されている。矢島会長は民主政権時代野田佳彦総理に食い込み、政界への足掛かりを作り、民主政権崩壊後、落選議員の受け皿となって恩を売った。その後自民党政権に食い込んで“政界フィクサー”としての地歩を固めた。

 菅氏は首相に就くと、安倍政権に批判的な立場をとっていた前共同通信論説副委員長の柿崎明二氏を「首相補佐官」に起用した。この人事に多くの関係者は驚くと同時に“菅首相の先行き”を案じた。現在の菅首相の迷走もひょっとしてこの人事が影響している?。「これに深く係わったのが政界フィクサーと云われる矢島氏」と週刊新潮が特集しているが、詳細は次号で紹介する。

 矢島氏率いる大樹グループの資金面についても「太陽発電施設の建設」名目で「グリーンインフラレンディング」は数千人からソーシャルレンディングで200億円以上集めた。が、親会社のJCサービスを通して大樹に多額の「委託金」が払われた他、国からの補助金疑惑も持たれている。西野氏、その大樹から給料を貰っているのだろうか。
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