熊本県民新聞 WEB版
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〒861-8034
熊本市東区八反田1丁目14-8

発行者:福島 宏

電話:096-234-8890
FAX:096-234-9883


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大手証券会社ら暗躍
“高値で掴まされた”後の祭り
 地元の有力企業である平田機工(株)(本社熊本市北区植木町 平田雄一郎社長)は2年前の平成17年6月に東証1部に上場を果した。同社が平成18年12月に東証ジャスダックに上場以来の念願を果したのである。当日の終値は1万2380円と2年前の10倍もの値が付いた。株価はその後も上昇を続け、同年11月13日に1万4720円の高値を付けた。この日が同社株の最高値で以後下降に転じ、多少の上昇を加えながら1年半後の現在、株価は半値以下の6,000円台をやっと維持している状態である。

 同社のメインバンクは肥後銀行。証券はみずほと日興、野村の大手3社で、主幹事証券は日興である。これに地元証券会社が乗っかって大儲けしたと云われる。これに加えて個人のレイトレーダーが動いたのは平田機工の場合、上場前から1日の値幅が大きかった事もあり、一部のレイトレーダーが動いていた。地元の銀行、証券会社も投資を重ねたが、“引き際も”見事だったらしい。反面「高値で掴まされ大損した」とか「勧められるまで買ったが、その後急激に値を下げたので売るに売れない」と善良な一般投資家の怨みの声が届いている。そこでどの様に平田株が値上りしたか見てみよう。

 平成20年前後は5~600円台。同社が「社員持株を1億円程増やす」と公表した後上昇して1,000円前後になった後又下落。その後も800~900円台にあったが、平成27年3月頃には600円台に下落。しかし、同年秋から上昇に転じ、1,000円台、2,000円台に突入、28年4月の熊本地震の頃は2,000円台後半だったが、5月3,000円台、6月4,000円台と急上昇して同月後半は6,000円台に乗った。9月には7,000円台に乗り、年内は概ね7,000円台をキープ、1年前に比べて5,000円もの値上がりである。小紙への情報では、この頃証券、銀行など顧客に平田株を推める声が目立ったと聞く。8月中旬頃から又上昇を始め、6,000円台、9月中旬頃から7,000円台に乗ってこの年を終えた。株式上場の年、平成29年に入っても緩く上昇していたが、4月に8,000円台を付けて以後は急上昇、上場日の6月15日の初値は平田の希望価格1万1040円を上回る1万1820円であったが、終値は1万2380円を付けた。16日は1万2100円と280円下げたが、20日には1万2590円と過去最高値を付け、以後1万2,000円~3,000円台を保ち同年11月13日に1万4720円の高値となった。1日の売買高も38~40万株と2年前の4~5倍に上ったが、この日を境に株価は下降、30年1月の初取引こそ1万2,000円台を保ったが程なく下落に転じた。



不安を煽る 老後2千万円問題
証券会社は詐欺師と思え
 承前。その後も平田機工の株価は上下しながら下落、上場1年後の平成30年11月には5,000円台まで下げ、上場時の半額を割り込んだ。この急激な値下りで損を被ったのは一般投資家である。筆者にも何人かから苦情が届いた。その多くは「株価上昇時には儲かったが、高値で勧められて購入した後の値下がりで大損をした」というものだが、よく聞いてみると、それなりの益を残している者も居る。要は「値下りの時証券会社の担当者から連絡がなかった」や「連絡が遅かった」というものだ。

  原則株の売買は自己責任である。証券会社も「買ったら」とか「売ったら」は禁句とされる。で、「儲けが出ています」「益が相当出ています」と売りを誘導する様な言葉遣いをする。但し、親しい間柄の人には「売り時です」とはっきり云う証券マンも居る。それが最高値の時ではなく、一定の益が出たら云い出すので「売れ、買えとうるさいので適当にさせているが余り儲けは出ていない様だ」と知人の一人は語る。資金に余裕があり、遊び感覚でやっているのでそんな事が云えるのだろう。昨年末頃届いた苦情は深刻だった。70代の男性だが、平田株が値下り中の7,000円台の時に「又上ると見ています」と日足のチャート図を見せられて数百株を現物(現金)買いをした。チャート図は直前に8,000円台に上昇しているのを信じたのである。

 しかしこの人物の株価はその後も下り続け苦情の電話を受けた時は4,000円台であった。筆者にしても証券アナリストではないので何らアドバイスをする事も出来なかった。相手は「こんな人を騙す証券会社の事を県民新聞で書いてほしい」であったが、やんわりと「書く材料ではありません」と断るしかなかった。今回は平田機工が地場企業であり、製造業では初となる東証1部上場に加え、株価が余りにも激しく上下したので取引は御用心”の例として採り上げた。勿論、平田機工に何の罪もないのは自明である。

 所で突如出現した金融庁金融審議会の「老後2千万円が必要」論が一人歩きをして庶民を混乱に陥おとしいれている。審査会の報告書は「夫65歳、妻60歳以上の世帯の夫婦がその後20~30年を生きるには毎月5万円が不足。総額2千万円が必要」(要旨のみ)とし、加えて「不足分は投資などで資産形成を」とあったものだから一層国民を慌てさせた。喜んだのが銀行、証券業界で、これを商機と読んで営業活動を活発化させている。しかし、小欄で例を挙げた様に、株や投資信託、外貨建預金などで「素人が儲ける」のは至難な業と云える。銀行の投資部門、証券会社は信用するなである。



信用してはならない
金融機関が勧める投信
 貴方がもし金融機関から「投資信託なら株より安全ですよ」と勧められても信用してはならない。銀行などの投資担当者は多くのパンフレットを持って来て説明するだろう。棒グラフや円グラフで過去にいかに益を出しているか、今後にも期待が出来るかと。その気にになった貴方は貴重な退職金から1千万を1社か2社に投資したとする。その日は貴方と金融機関の約定日であり、翌日が精算日となる。その時点で銘柄にもよるが手数料約15万円と消費税が引かれ、残りが投資となり当日の1万口(取引き単位)当りの単価×投資資金の口数が決まる。毎月基準日に配当金の通知が来るが、この時注意するのが「普通分配金」と「特別分配金」の違いである。普通分配金は益が出た金額だが特別分配金は運用益がなく、貴方の投資金から配分されるので当然貴方の投資は赤字が増加していく。(3面に続く)


平田機工(株)(ホームページより)



 下に掲げた小紙の「市庁舎建て替え不要」の特集記事は、市民に驚きと疑問をもって受入れられた様で、賛否両論の声が寄せられた。小紙の記事に驚いた市民は記事を肯定的に受入れた層だ。疑問派は「タブロイド紙」は信用出来ないと日頃からの思い込みに加え、「熊日の報道が正しい」と信じている低知識階層が多かった様だ。特集記事についての反応は、手紙、葉書は一通もなく電話ばかりであった。電話では相手の思考などがよく分かるので筆者も丁寧に説明した。他方“主役”の大西市長市執行部は「大慌てで副市長を始め、古庄政策局長以下関係部局の職員が『県民新聞』を持って市長室に集まり、小1時間出て来なかった」との情報もある。

 読者は気付いたかどうか分らないが、小紙特集号が出た後、熊本市と熊日の記事に変化が起きている。熊本市が平成30年6月5日に開かれた市議会の「公共施設マネジメント調査特別委員会」で初めて「市庁舎建て替えの必要性」を報告した際(一部市議には根回しが行われていた)、その報告書で強調されていた文言は「建築基準法に基づく耐震基準を満たさない」。委託した設計事務所が調査した結果「震度6強の地震では行政棟の基礎を支える杭160本中50本が致命的な損傷を受ける」であった。この報告書を基に熊日は翌6日1面トップで「熊本市役所耐震不足 震度6強で傾く恐れ」の見出しで報道した。この記事を見て「おかしい」と思った筆者は取材を開始、賛同してくれた市役所OBから「熊本市庁舎 建設の記録」(熊本市刊行)を入手。その後も建築に直接係わった人達を探し出して取材、左の特集記事となった。小紙の発行後熊日の紙面から消えたのが「建築基準法に基づく耐震基準を満たさない」である。当然であろう、現庁舎完成の2年後に建築基準法が改正されたが、この基準はクリア。その後も耐震基準が改正され、60m以上の高層建築物の規制が強化された。大西市長はこの規制を市庁舎は4m超えているから「建築基準法に基づく耐震基準を満たしていない」と強調していた。現市庁舎完成時の庁舎の高さは62・1mと記録されているので約2mの差はどこから来ているのか。

 所で安井設計が半年かけて検査した結果「現状のままだと震度6強の直下型地震が発生した場合建物が傾く恐れがある」「熊本大地震の時と異る地震波が来たら耐えられない」(大西市長が吹聴している)と主張している。大西市長に訊きたい。「熊本地震と異る地震波とはどんなものか」市民の前で説明して頂きたい。小紙次号で特集を組む中で、当時どの様な仕組みで基礎設計が行われたか詳報する。現庁舎をこのまま使用するなら「基礎杭を210本追加が必要」などと、実現不可能と思える改修案を出した。小紙特集号は熊本市総務局総務部刊行の「建設の記録」から引用したが、その中の基礎杭が露出した「掘削工事」の写真をよく見てほしい。手前の太い杭は直径2mで、この太い杭が要所々々に使われている。他の所には直径1m・40~50cmクラスの杭で構成され総計160本の杭が建物を支えており、完成時ゼネコン関係者、山下設計担当者らは「震度7以上にも耐える建物だ」と自信を見せていたという。その後に開かれた市議会でも市執行部が「関東大震災クラスに充分耐える庁舎だ」と説明したと聞く。当時の議事録に残っている筈。





何が何でも建て替える
大西市長に見える牽強付会
 下段の平成30年6月6日付熊本日日新聞3面を又使わせて頂く。小紙特集号4面にも書いたが、熊本市は同年6月5日に市議会の「公共施設マネジメント調査特別委員会」で市庁舎の耐震不足と建て替えについて報告した。その際下段の熊日の記事に見られる通り「熊本市役所本庁舎の耐震不足を巡って想定される対応」としてA~D案までの事業費や、各案の長所短所を一覧表で示した。この件について小紙は「余りの手際の良さに驚いた」と記したが、この様な案が10日や20日で出来る訳はない。「恐らく安井設計と大成あたりと古庄局長が会合を重ねて作ったのではないか」とか「大西市長の後援会長は『杭屋だから詳しい』ので大西の意向を受けて動いている様だ」など陰の声を聞いた。これが事実かどうか確かめようがないが、大西市長の切迫した身辺と本人の性格を考えると市庁舎建て替えに突っ走るのは間違いないと見ている。故に小紙如き“小新聞”でこの“暴走は止められない”として身銭を切って特集号を一部世帯に配布したのである。

 下段の熊日に見るようにA案とB案は大西市長の頭になく、あるのはD案と断言出来る。この判断は関係者に近い筋からの情報を元に書いているが、「移転新築先は白川公園」と聞いた。メリットは完成まで現庁舎で執務が出来、市民にも不便をかけない。表面上旧庁舎となる現庁舎を売れば「建築費が安くなる」であるが、本命は「不動産売買は多額の金が動く」にあると先読みする業者の声を聞いた。確かに金が動けば市のコンピューターシステムの更新も楽に出来るだろうし、備品類に金をかけられる。大西市長の深謀遠慮である。白川公園は公園法で守られ簡単に建造物は建てられないが、同一の公園を他所に作れば可能と聞いた。この話をどこまで信じていいか筆者も自信はないが、もし移転新築となったら1番影響を受ける市役所周辺の商店だ。決定して公表されれば何らかのアクションは起きるだろう。よって本号は市街地に配布を考えている。筆者がこここまで市庁舎建て替えに反対するのは「必要がない所に多額の市民の税金を遣う」事にある。


熊本日日新聞(平成30年6月6日)より


新基準合う“滅築”検討せず
 熊本市が「本庁舎は建築基準法に基づく耐震基準を満していない」と公表し、それを鵜呑みにして報道した熊本日日新聞を始め、各メディアに問いたい。熊本市は発表と同時に「以後の対応」として4案を示した事は別欄でも書いた。小欄ではそれ以外の方法もある事を読者に伝えたい。その方法とは基準を超えた部分を取り去る事である。「滅築」という言葉があるのかどうかは知らないが、30年6月6日付熊日3面で「このほか、今の本庁舎の高層階を削・低層にする『滅築』という手法もあるが、市管財課は『技術的に可能かどうか不明』としている」とあったので分り易いと思って小欄見出しで使わせて貰った。この件について古庄局長は「検討していない」と語っており、1番安上りに基準法に適合するこの案は元々検討さえ行われていなかったのである。

 尤も別欄で記した様に「新基準以前に出来た建物には適用されない」事が分かった上での判断であろう。基準に合わせたかったら屋上1階と2階のエレベーター室、15階の空調機械室などを削り14階に移せばよい。14階はホールと喫茶室だけであり、潰しても何ら支障はないだろう。現在の解体、建築技術ではさして難しい工事ではなかろうと思う。大西市長に元々その気はなく、市民に「建て替え」を納得させる為の方便として使っただけであろう。そこを小紙に衝かれ、以後「建築基準…」という文言を遣わなくなり「耐震不足…」だけがクローズアップされだした。安井設計の耐震調査の結果、現庁舎を使い続けるなら「210本の補強杭が必要」など実現不可能な工法を提示した上で、下の表A案にある様に「補強工事が実現困難」など記している。まるで子供騙しで、結論として現在地に建て替えか、移転新築かの2点の判断を市民に問うているのである。大西市長よ、どこまで腐った根性か。唾棄すべき男である。



 下に見開きで掲載した小紙は平成12年8月号である。同7月号に続く「巨額保険と不審な交通事故」報道の第2弾である。

 問題の交通事故は同年5月29日午後2時頃(推定)で当時の天草郡天草町高浜の町道で発生した。事故当事者は「医療法人林田会 林田記念病院」の理事長夫人と3人の看護部長である。県下での交通事故で1度に4人が死亡したのは平成元年以来である。

 熊日は同日夕刊、翌30日の朝刊で大々的に報道したが、何故か病院名は伏せている。事故直後から県内各メディアに「あの事故は保険金目当て」の情報が寄せられだした。そんな中、写真週刊誌「フォーカス」(7月19日号)が「怪!『保険金50億』熊本病院オーナー夫人の交通事故死」と報じ県民に大ショックを与えた。(この項続く)




 筆者が市政や市長に関心を持ったのは27~29歳の頃からである。第16代市長の林田正治氏の頃から名前だけは知る様になった(後に林田氏とは某団体で一緒になる事があり何度か会話を交わした)。坂口主税氏はパス。第19代の石坂繁氏とは筆者の先輩が石坂氏の後援会?「玄石会」(これも不確か)のメインに居られた事から何度か石坂市長に声を掛けられたり、宴会の帰りに筆者の車で自宅までお送りした事がある。2期勤めた石坂氏の跡を襲った星子敏雄市長とは二期目頃から顔を合わせると声を掛けて頂く様になった。何故そうなったのか憶い出せない。

 時折市長室に寄ったが、その時の助役が田尻靖幹氏であった。同氏は石坂市長時代に課長職に就いたが、その頃から上司に取り入る術に長けており徐々に頭角を現す。特に幸運もあって、田尻氏が総務部長の時、田中聡男経済局長が病気で休職、その後釜に昇進した。この時の総務局長は後に田尻助役時代の収入役となる硬骨漢徳永正己氏であった。その後総務局長を経て昭和51年に助役に就任、市長の座を担う様になる。田尻氏は「星子3期」と見ていたが、星子市長の行政手腕が高く買われ「星子4選」となった。3期目の星子市長は田尻氏に絶大な信頼を寄せていたが、それは田尻氏の“演技”が勝っていたからであろう。「人事の星子」と云われていた星子氏も、田尻氏の巧言は見抜けず、議会対策など全面的に任せていた。

 星子行政4期目の半ばになると星子氏にその気はなかったが、周囲で「星子5選」の噂が立ち始めた。ここから田尻氏の市長選出馬の準備が急加速する。利権を狙う市議にとっては“買収”が利かない星子市長の存在は煙たい。かと云って対抗馬となる大物も居ない。「助役の田尻なら勝てるかも」の思惑から水面下で田尻支援の輪が広がった。

 満を持した田尻氏は昭和59年秋星子市長に辞表を提出した。同日夜には自宅に朝日新聞熊本支局の新人女性記者を呼んで「自分が居ると星子5選に繋る。長期市政は腐敗するので勇退した」と独占取材させた。翌日には熊日記者のインタビューに応じ星子批判を展開。2年後星子市長の退任表明を待って出馬、川俣芳郎氏を破って当選した。



清廉潔白・公私を峻別
名市長だった星子敏雄氏
 筆者がいつ星子敏雄氏と出会ったのか全く記憶にない。強いて想像すれば星子氏が助役の頃ではなかったかと思う。その頃の筆者は東京から兄を頼って熊本に戻り探偵社に調査員として勤務していた。兄青史は戦後初めて創設されたと云われる新右翼「日本革命菊旗同志会」を主宰しており各界に顔が広かった。星子氏とも大変親しかったらしく、助役室に入ると「御無沙汰しました」と云って握手した後「弟の宏です」と筆者を紹介してくれた様だ。握手の場面は覚えているがそこで記憶は途絶えている。多分「俺は話していくから帰っていいよ」と云われて退出したのだろう。兄はそんな人であった。その後助役時代の星子氏と会った記憶はない。寧ろ当時の石坂繁市長と会う機会の方が多かった。というのは私の知人(と云っても20歳以上年上)のO氏が何かと筆者を連れ回してくれたからである。
 O氏は済々黌出身で熊本師範卒業後、戦時中は台湾の師範学校で教鞭を執っていたと云われる。戦後熊本に戻り教職を得たが「日教組」の奴らと仕事は出来ないと辞職、以後浪人を通している硬骨漢であった。そのO氏が石坂氏の後援会と思える「玄石会」(字は不確か)の中心人物らしい与田(與田かも)氏と大変近く、よく会合などに連れていかれた。その影響もあってか筆者も市政に目が向く様になった。
 石坂氏は星子氏より10歳程年上で西合志町の出身。私塾合志義塾から済々黌、東京帝大法学部に入学した変り種。星子氏は鹿本中から五高、東京帝大法学部を出て官吏の道に進んだ。終戦時満州国に留り職務を果したが故にソ連に連行され11年間の抑留生活を送る事になる。この星子氏の剛気な正義感は帰郷後「熊本県民の誇り」として絶讃され、市長への道を展く事になる。他方石坂氏は帝大卒業後東京で弁護士としての実務を学んで帰郷、熊本市内で弁護士事務所を開いたが、大正時代に弁護士の仕事はあまり無かったらしい。
 昭和初年に市議、その後県議を経て昭和11年の総選挙に出馬、松野鶴平、安達謙蔵らと共に当選、以後6期の当選を果す。昭和20年8月、熊本市長の平野龍起氏が病死、戦後の混乱期の渦中にあって石坂氏を市長にと推す声もあってか昭和20年10月に市長に就任した。しかし市長の仕事は合わないとして僅か3カ月で退任した。後任には衆院議員も務めた熊中出身の福田虎亀氏が就き、当時の内務省も追認した。石坂氏は国政を目指して改進党県支部長に就任、昭和30年2月の総選挙で当選した。その後自民党が結成され石坂氏が熊本市支部長に就く。以後は自民党公認で衆院選に出馬当選を果したが、坂口主税市長が知事選出馬の意向を示し、石坂氏に後任市長の白羽の矢が立った。(以下次号)



県警本部長・部下に活
 小紙で既報通り、桜町再開発で旧建物を解体した前田産業(株)現地事務所への拳銃発砲事件、建築を請負った大成建設事務所への火炎瓶投擲事件は小紙の予想通り“迷お宮みや入り”である。この時も県警本部長が「この事件を挙げないと熊本県警の恥だぞ」と云ったとか云わないとか。その後替わった本部長氏が「熊本は暫くサンズイ(公務員、首長らの汚職を指す)が挙がっていないね」と云ったと云う噂が流れた。

 その後玉東町の課長が収賄で、土建業者が贈賄で捕まった。聞く所によると「地元の同業者が刑事に頼まれてチンコロした」との噂だ。その後の骨のある?本部長氏曰く「君達は全部私に上げていないのではないのか」と苦言を呈したと聞いた。本部長が疑義を持つ程“県警の黒い霧”は深いのだろうか。



 1面の平田機工(株)については、東証1部上場の情報と共に株価の動きが激しくなった。元々発行株数が少ない事もあって機関投資家がその気になれば株価は自由に操作が可能である。本文にある通り、上場前は急激に上昇、上場翌日にはそれまでの最高値を付けた。その後も高値を維持したが11月の最高値を付けた後は急下降を辿った。小社に数人から「株価操作ではないか」「証券会社は『まだ上る』と云うので信用して買ったが以前の様な高値に戻る様子はない」と深刻な声が寄せられた。幸い皆さんは“遊び金”で購入しているので直接生活に響く事はないが、暫くは“塩漬け”を覚悟していた方がいいだろう。

 2面の熊本市庁舎建て替え問題は市民の関心も高まって来たが、今のままだと大西市長は建て替えを強行するだろう。それにしても熊本市民の無知は驚くばかりである。市民税や医療保険なども全国的に見ても高いのに苦言は少ない。飼い馴らされた小羊か。4面の熊本市長の劣化についても一般市民が気付く事は尠ない。その責任の多くはメディアにありと見てよい。ここ20年来、県政、市政の批判記事が消えてしまった。「知らせる義務」だけは主張しているが。
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