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発行者:福島 宏

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熊本県環境整備事業団
土建業者らの恫喝?に折れた?
悪徳県議が又動いた
 熊本県公共関与産業廃棄物管理型最終処分場「エコアくまもと」の落成式が昨年11月29日、南関町下坂下の現地で行われた。県トップの蒲島郁夫知事を始め、地元関係者が挨拶、完成を祝った。ここに到る迄の経緯は2面に詳報しているので参照して頂きたい。この施設が完成した陰には地元建設業者、熊本県議、果ては福岡県選出の古賀誠代議士の名前が取沙汰された。熊本県(恁F本県環境整備事業団)が「熊本県公共関与型最終処分場」(以降最終処分場)建設工事について「条件付一般競争入札」を公告したのが平成24年5月30日であった。しかし実態は、県が平成21年に処分場を「オープン型」から「クローズド型」に設計変更を公表した時から、ゼネコンを含む地元土建業者間で熾烈な受注合戦が繰り広げられていたのである。加えて地元の南関町、和水町の議会、町民らの産廃建設反対運動が盛り上がりを見せていた。用地取得についても、最大の地権者である(株)熊本硅砂鉱業の山砂採取場跡地の売買契約まであと一歩の所でストップしたままであった。

 当初県側は主力となる施設建設の共同事業体(JV)の頭に大手ゼネコンの大成を考えていたと関係者は語る。水処理業者も「九州で実績があり営業も先行していた共和化工だろうと私達は思っていました」と県の関係者は語る。所が県職員らが予想していた構図が途中から一気に崩れた。クローズド型最終処分場で2年先行していた鹿児島で施設建設は大成が落札。鹿島は2番手に終わった。ここで猛烈な巻き返しを図ったと云われる。古賀誠の威力はまだ九州では健在である。加えて地元業者が古賀誠と親交があり、村上寅美県議も両者を通じて協力を惜しまなかった。この地元業者の強味は、地権者である熊本硅砂鉱業の社長とも昵懇の間柄であった。

 熊本硅砂鉱業の初代社長は八女市の出身で、山砂事業で身を立てた人物である。良質の山砂を求めて南関町に進出、当初は現在地とは別の場所で採取していたが、そこを取り尽くした為現在地の広大な山を次々と買収した遣り手であったが、現在はその子息が跡を継いでいる。人が善く、県から硅砂採取跡地の買収の打診があった時も「産廃となるとうちはいいが住民がどう思うか」と案じたという。懸念した通り事態は動き、南関町や区長会、特に親しい地元建設業者とそのフィクサーとも見られている元代議士秘書らの働き掛けが強かったという。土建会社グループは事業参加の為一部住民、区長らを“嗾けしかける”行為もあったらしい。地元側は「迷惑施設を認める代りの代価」として公民館建設などの要求もあったと聞く。熊本硅砂鉱業(稲員渉社長)は「いつでもサイン(売買契約)は出来るが、揉める事に巻き込まれたくない」として傍観していた。



鹿島JV受注・水業者下請けに
事業団の巧妙な仕掛け奏功
 承前。ここでお断りしておきたいのは、先述熊本硅砂鉱業の動きについて。小紙は同社代表に取材の申込みを行ったが稲員社長は「うちから話すことは何もありません」と取材を拒否した為、同社と近い人物、周辺からの取材で記述している。従って正確さも欠く所があるかも知れない事を御承知おき願いたい。又、裏で暗躍した連中に邪気が多い者が居るので稲員氏に迷惑が及ばない様、ここで明言しておく。

 公共工事で50億を超える事業は“田舎県”の熊本では数少ない高額事業である。ゼネコンのある幹部(福岡在住)に云わせると「土木が主体となる産廃処分場の仕事は旨味がある。だから受注合戦が激しくなるんだ」と語る。又「鹿島は数年前倉敷の現場で人身事故を起こしているので指名には入らないと思っていたが受注までいきましたね」と疑問を呈した。先述しているが熊本県(県環境整備事業団理事長村田信一副知事)が入札公告したのが平成24年5月30日である。その3カ月前の2月中旬、地元土建グループ(仲介役のKらを含む)が県環境部山本局長に陳情で面会している。関係者の話によると「南関の産廃予定地のトラブル(反対住民、用地買収)を私達が解決出来ます。是非下請に入る様尽力願いたい」といった主旨らしい。それが奏功したかどうかは定かではないが、少なくともその時点でゼネコンは決まっていたが、その下に入る地元業者は決定していなかったと見て良いのではないか。当初最終処分場建設工事に参加を表明していたのは1、鹿島建設を頭にしたJV。2、大成建設を頭にしたJV。3、戸田建設を頭にしたJVの3グループであった。この時、水処理業者は「熊本方式だから」とJVに加えられずJVの下請にランクされていたのである。

 平成24年5月恁F本県環境整備事業団(以降事業団)は「熊本県公共関与管理型最終処分場建設工事」について「落札者決定基準」「入札説明書」「入札公告」を公表した。落札者決定基準第1章総則「本入札については地方自治法施行令第167条10の2に基づく価格以外の条件で評価する総合評価一般入札により落札者を選定する」というものであった。総合評価については「総合評価技術委員会」を設置、学識者4名、熊本県側3名で構成された。因みに鹿児島は学識者4名、県側1名であった。評価は細分化された項目別に配点され、総合得点で高いJVが落札者となるが、事業団は入札参加を絞る為「競争入札に参加する者に必要な資格に関する事項」の中でクからツまでの項目中スからチまでの設計責任者、技術者(士)らについてツで「スからチに掲げる技術者は、当該入札参加者と直接的かつ恒常的な雇用関係にある者(競争参加資格確認申請書の提出期限の日以前連続して3カ月以上直接的な雇用関係にある者に限る。以下同じ)」の項目を入れた事である。この条件を充たすのはスーパーゼネコンと呼ばれる数社に限られるのである。これで戸田落しが奏功、大成、鹿島JVだけが残ったのである。総合評価の得点など次号で詳報するが、大型公共事業の裏には権謀術数に長けた人種が居る事を知って頂く意味もあって報道した。


完成したエコアくまもと全景(事業団作成パンフから)



 1、2面で特集した南関町の産業廃棄物最終処分場建設については、取材を進めれば進める程謎が深まった。取材は、昨春に情報を得て開始したのであるが、関係者の口が固く、得た情報の裏付けを取るのは容易ではなかった。県が計画を立てた段階では九州で公共関与型最終処分場として先行していた宮崎県(エコクリーンプラザみやざき)と同じオープン型であった。この型式は雨水などがゴミなどを汚した浸出水を確り遮断すればよく、埋立容量も多くなり費用も安上りである。浸出水は浄化して放流されるが、県が想定した以上に南関町議会、区長会などが強固に反対を続けた。

  その為県はオープン型を諦めクローズド型(被覆型)に設計を変更、計画は前に進み、昨年11月に落成式を迎えたのである。インフラ整備、土地買収などを加えると総額60数億の大事業であった。公共事業が減る中での受注合戦は酷く、一部県議と地元の土建屋が様々な形で介入を試みたと聞く。ここで活躍したのが、時折小紙の紙面に登場する古参県議である。この県議は、蒲島知事の側近中の側近と云われ、県のある幹部は「蒲島知事がただ一人頭が上らない相手だ。二人だけの時は県議が蒲島君と云っているのを聞いた」と話す。この二人の仲については筆者も裏付けが取れているので何れ近い内に報道の中で伝えたい。この県議と古賀誠氏が何処で繋ったかは定かではないが、事情通は「有明湾岸道路が大牟田まで延びて来た頃、ある建設業者が仲介したのではないか」と話している。今後この道路は熊本県に延びてくるのは必定だが、県議は「建設期成会」を立ち上げ会長に就任している。今春行われる知事選だが、蒲島知事は「おんぶに抱っこ」で御輿に乗るだけ。あとは自民党県連が全力投球する“殿様選挙”になるのが熊本方式だ。



 昨年11月29日、公共関与の産業廃棄物管理型最終処分場「エコアくまもと」の落成式が南関町下坂下地区の現地で行われた。県が建設した初の公共関与型最終処分場で、管理、運営は公益財団法人熊本県環境整備事業団(理事長村田信一副知事)が当たる。同施設は九州では4番目の公共関与型最終処分場だが、先行した宮崎、佐賀両県は焼却施設と一体の遮水オープンタイブ。昨年1月から操業している「エコパークかごしま」(薩摩川内市)は浸出水を放流しない被覆型を採用している。熊本県が同じ方法を採用した為鹿児島方式を参考にしたと思われる類似点が多々見られる。

 熊本県が公共関与による最終処分場整備計画の基本計画を策定したのが平成15年3月、潮田義子知事2期目の半ばであった。この頃佐賀県、宮崎県は施設の建設に着手しており、熊本県が“後追い”した可能性がある。県も当初案は佐賀、宮崎同様に浸出水を浄化して放流する方策であった。県は建設地決定の為、有識者や関係業者からなる「候補地検討会」を立ち上げ、最終的に数カ所に絞り込んだ。何カ所か打診したが断られた結果平成18年3月、南関町の現在地を「最適立地」として建設計画を公表した。南関町も打診された際「建設反対」を伝えていたんだが、県は「交通の便がよく、土地取得が比較的に易しい」と見たらしい。公表に驚いた地元米(よな)田地区を中心に20地区の区長らが反対の烽火を上げた。同時に地元建設業者、県議らが利権を狙って動き出したのである。県が取得を目指した取得用地は1・1ha。主な用地は(株)熊本硅砂鉱業所有の採砂場跡地と中九州ゴルフ場所有地の一部、あとは地元民数戸が所有する僅かな土地であった。

 平成18年5月、県が行った初の地元説明会は“建設反対”の大合唱でまるで様にならなかった。同年9月南関町(上田数吉町長)は潮谷知事宛計画を見直す様申し入れ書を提出した。県は「県議会産廃物対策特別委員会」に南関町の意向を伝えたが、特別委は「最終処分場は必要」と町や、住民の意向を無視、地元の説得を促した。現地との直接担当窓口は公共関与推進課の中島克彦氏(現環境整備事業団事務局長)であった。中島氏は南関町と区長会、住民代表らと交渉に当たったが、住民側は「予定地周辺集落は地下水を生活用水や農業用水に使っている。処分場が出来る事で地下水が汚染される」として解決の糸口が全く掴めなかった。こうした中、熊本県は、平成19年12月、財団法人熊本県環境整備事業団を県庁内に設立法人登記を行った。潮谷知事が3選不出馬を表明した直後の事である。法人理事には金澤和夫、兵谷芳康、村田信一、中島克彦ら県幹部の他、幸山政史熊本市長ら自治体首長、建設業者などが就任した。



反対住民説得出来ず設計変更
オープンタイプからクローズド型へ
 平成20年4月蒲島郁夫知事が誕生、新しい県政が発足した。新知事は、この件については右も左も分からない状態であった。しかし、一部県議と県担当部局はこの年の10月に基本計画策定を(株)エイト日本技研開発に発注している。この一事を見ても、県が如何に南関町(と住民)が反対しても同地に最終処分場を作るという意志の固さが読み取れる。この時は、処分場から出る汚水を浄化して内田川に放流する「オープン放流型」(宮崎、佐賀と同型)であった。だが県が「地元説得は何とかなる」と読んでいた甘い見通しは崩れ、地元の建設反対の声は隣接する和水町を巻き込んで収まる気配はなかった。窮地に陥った県は先行していた鹿児島県を参考に、平成21年暮頃南関町に「クローズド型に設計変更する」との意向を伝えた。上田町長らはこの案に理解を示したが、区長会を納得させるまでには至らず、以後上田町長は中立の立場をとる事になる。

 平成22年5月、県(公共関与推進室主催)は脱塩システムについてヒアリングを開催。同年7月、産業廃棄物管理型最終処分場建設(実施計画策定)業務を「パシフィックコンサルタンツ(株)」に依頼した。期間は平成23年8月10日。業務内容は「実施計画を踏まえた基本設計の改訂及び工事仕様等作成一式」である。同年9月の定例議会で蒲島知事が「オープン型からクローズド無放流型」に設計を変更、地元住民の理解を得たい」と表明、議会の了承を得た。同年11月、蒲島知事は現地に赴き住民説明会に臨み「地下水汚染の恐れはなくなった」として住民の理解を求めた。翌年1月11日、県は「浸出水処理施設見積書、提案書作成依頼」について水処理業者を集めて説明会を開いた。参加業者は以下の5社である。アタカ大機(株)、荏原エンジニアリングサービス(水ing(株))、クボタ環境サービス(株)、共和化工(株)、(株)神鋼環境ソリューションこの5社の中で共和化工が独自の水処理技術を先行開発、高い評価を受けていた。

 見積書、提案書の提出期限は1ケ月後であるが、県は説明の中で水処理業者が知りたい事項は省いていた。脱塩処理方式をRO方式にするかED方式かであった。入札方法は分離か一括か(これは重要)。例を挙げると先行している鹿児島(エコパークかごしま)の様に「ゼネコン、地元業者2社、水処理の4社JV」となるかどうかである。この水処理業者を含むJVは先行している他県では殆ど採用。県の説明会を受けて水処理業者は提案書などの作成と並行して営業活動は活発化する。5社の内クボタは鹿児島での受注が確実視されていたが、鹿児島で2、3位につけたアタカ、神鋼は殊の他営業に熱が入った。又、共和化工も九州での実績を背景に水処理技術も高かった事から受注に自信を持っていた様だ。県の関係者は当時を振り返って「県は当初水処理業者を独立して計画していました。先行していたのは共和化工で、私達も『水は共和』と思って、頭になるスーパーゼネコンが何処に落ちつくのか関心を持っていたんです」と語る。共和をアタカと神鋼が追っていたと云われる。県はこの時点で水処理業者を加えたJVを組むと考えていたのは確かであった。



最終処理場の心臓部は水処理
県が意図的にJVから外した
 産業廃棄物管理型最終処分場についてはオープン型とクローズド型があるのは何度も書いた。夫々に長所と欠点があるが熊本県の場合、処分場と民家の距離が短く、殆どの住民が地下水に頼っている為オープン型では地下水汚染の懸念が拭えないとして猛反発したのである。住民の納得を得る手段として埋立場と外部を遮断するクローズド型(被覆型)を採用、住民を納得させた。

 被覆型はゴミ洗浄水などから出る浸出水の処理能力が最重要となってくる。その為先行していた鹿児島県はJV(共同事業体)の一員として水処理業者を独立したものとして扱い、「実施方針」の中でも「浸出水処理施設の整備を担う構成員の資格要件」と一項目を設けている。評価点数も浸出水処理技術に7点を挙げている。しかし熊本県の場合は建設業者4者のJVを組み、水処理業者はこのJVの下請と位置付けた。評価点数も3点と、鹿児島の半分以下にしか評価していない。下請に入った神鋼ソリューションは遮水技術には優れているが「被覆型浸出水処理技術では共和が一歩先んずる」と業界関係者は語る。では何で技術面で優れている共和化工が外されたか。「水処理業者を優先するとゼネコンの選択肢が狭まる。裏で動いたのが地元でとかく悪評がある土建屋と古賀誠、蒲島知事と一身同体と云われる悪ごろ県議らと思う」と業界の事情通は語る。かくして利権亡者どもの思い通り“事が進んだ”のは間違いないだろう。JVを組んだ業者の中に「暴力団と親交がある」といった声もあるので、これは分かり次第報道する。県の瑕疵となろう。



 3選を目指す蒲島郁夫知事に対し、最強の敵と云える幸山政史前市長が挑む今回の知事選だが、県民の関心は余り上っていない。投票率は、現職の対立候補が幸山という事もあって50%を超えれば“御の字”か。先ず現職蒲島から。

 蒲島は8年前東大教授から転身、熊本県知事候補として熊本入りした。その際、各メディアは「党派色を嫌った蒲島氏は無所属で出馬する」と報じた。又、「自民党県連幹部が上京して出馬を依頼した」とも報じた。だが蒲島は前回の選挙(潮谷義子再選時)の際に自ら「今度の知事選に出たい」と自民党県連関係者に洩していたのである。この時は、「もう潮谷再選が決っているから」と云われ出馬を断念した経緯がある。その潮谷知事は2期を務め、3期目を目指して後援会も動き出していた。しかし12月議会で突然不出馬を表明した為蒲島に出番が回って来たという訳だ。その直前、九電松尾会長からも「蒲島教授を県知事にどうか」と打診があった。九電と蒲島の繋りは深く、毎年九電から東大の「蒲島研究室」に一千万円前後の寄附が行われていたと聞く。別に違法性はなく、政治統計学に詳しい蒲島に何らかの研究を依頼していたとも考えられる。従って出馬宣言後は九電が全力で蒲島を支援、傘下企業を総動員した。で、その「蒲島の知事2期の実績は」と問えば「くまモン」と答えが返ってくる。確かにくまモン人気は凄いに尽きる。当初筆者は「あんな物を好むのは高校生位まで若者だろう」と小紙に書いた記憶がある。これが読み違いで、以後人気はうなぎ上りで、老若男女に受入れられている。紙幅の都合上、後は別の機会に述べる。

 幸山については、蒲島と同様3期務めた熊本市政で“善政”と云えるものは何もない。誰がやっても出来る事ばかりである。熊日は「幸山の最大の成果は政令市移行」と持ち上げるが、かつて小紙が報道した通り、三角市長時代に水面下で益城町と合併して政令指定都市に移行と合意が出来ていたのである。幸山の当選でその構想が崩れ、政令市移行が停滞、焦りまくった幸山は富合、城南、植木の3町との合併に形(なり)振り構わず突進。3町の云い分を丸呑みして政令市の基準人口を確保した。その結果、昨年頃から「町民の為」の各施設が完成しだした。旧市民が殆ど使う事のない施設ばかりである。そして最大の失政は「花畑、桜町再開発」である。今年度30億、来年度100億余の資金を投入、完成まで350億円と云われる再開発だが、最終的には400億前後と見られる。維持費も年間30〜50億円、起債に頼る熊本市の未来は決して明るくはない。(敬称略)



当落 無党派層が鍵か
 幸山市長が、4選不出馬を公表したのが平成26年6月2日だ。自民党市議団は「当然4選出馬」を見越して幸山支持を決めていただけに周章狼狽した。勿論蒲島知事を始め県議団にも衝撃が走った。ある自民党県議は「あの時、蒲島知事と側近は幸山が知事選に回ってくるのではないかと不安を持ったのは事実だ。その後、幸山は国政を目指すらしいとなって安心した様だ」と語る。小紙は同年10月号で「幸山4選不出馬と、後継市長は大西と今春から決っていた」と書き、「幸山は次回知事選に出る」と断定していた。平成27年夏頃、自民党県議団が「幸山は知事選出馬」の動きを掴んだ。慌てた蒲島陣営は9月議会で蒲島3選出馬を公表させた。この頃は「全県一区の知事選で幸山は熊本市以外で集票は無理、蒲島3選間違いなし」と余裕を見せていた。しかし、その後のメディア情報などから「幸山健闘」を知り臨戦態勢を敷いたのが実情らしい。蒲島は「政令市移行の際は県として出来るだけ協力した。幸山は後足で砂を掛けるのか」と怒りを周囲に漏したと云われる。危機感を持った自民党県議団は「今までにない力の入れよう」で関係方面に働きかけを行っているとは地方市議の話。他方幸山陣営は後援会をフル活用、旧松野派、祖母の時代に築いた「荒神さん」の信者を頼りに“健闘している”の声を聞く。小紙にとっては、どちらが当選しても「県政の活性化は絶望的」で期待はしていない。



 昨年12月の国会で、自民党二階派の宮崎謙介衆院議員が「育休取得」を宣言、国民の間で賛否が沸騰した。その宮崎氏は育休取得宣言した1週間後、京都の自宅に帰宅した。その夜、タレントの宮沢磨由と密会、一夜を過したのを週刊文春がスクープした。俗に云う「下ネタ」だ。上品さが売りの一般紙は普段週刊誌の後追いをしないが、宮崎氏が育休宣言で話題の渦中にあった為、話題騒然各社が後追い報道した。結果として宮崎議員は議員辞職に追い込まれた。翻ってわが熊本市はどうだったか。67万中核市のトップであった幸山政史市長が、民間でもタブーとされる部下との不倫に走り、ラブホ通いを楽しんだ。筆者は数カ月に旦る調査の結果、幸山市長と、当時秘書係長であった池田由加利氏が、熊本市四方寄町のラブホ2軒と、春日町花岡山のラブホに各数回ずつ通ったのを確認した。

 その確証に基づき、平成20年10月号で特集「幸山市長が不倫」「部下とモーテルで熱愛」の見出しで報道した。清潔が売りの幸山市長だけあって、その反響は大であった。特集号を届けた識者の多くが「まさか」と云い「ほんなこつな福島さん」と問うた。メディア業界を始め市議の間でも事の真疑を巡って大騒ぎになったと聞いた。67万中核市の市長と秘書のW不倫であるが、小紙の報道を後追いした新聞、テレビは皆無であった。後でメディア関係者から聞いた話だが「市政記者クラブはこの県民新聞の報道を無視しようと決ったようです」であった。熊本市長と部下の、しかも双方とも家庭を持つ者の不倫問題である。看過すべき事柄ではなかろう。幸山市長の人格が問われる大スキャンダルであった。

 各社が報道しなかった理由は只一つ。市との癒着であり、広告代欲しさであったと思っている。地元紙を始め全国紙も毎年部数の減少が続く中、熊本市が支出する広告代は主要な収入源である。前にも書いたが、幸山市長は自身の事や、市の重要方針に反論を加える報道機関には「目に見えて広告費を削る」という関係者の証言を聞いている。熊本のメディアは熊本市民に知らせる義務を怠り、自己保身に走ったと云っても過言ではないだろう。



見識失ったメディアの自壊が始まった
熊日紙に見る旧態依然の体質
 新聞が“社会の木鐸”と云われ、第一線の新聞記者もその言葉を自覚していたのは何時の頃であったろうか。筆者の不確かな記憶だが、昭和が終る頃までは新聞各社でスクープ合戦が行われていた様に思う。新聞記者から正義感が失われ、国民の知る権利に応えなくなったのは平成に入って著しくなったと感じている。身近な熊本日日新聞を例に挙げるが、地元紙故であり、他意のない事を先ずお断りしておきたい。

 熊日の前身は政友会機関紙「九州新聞」と、憲政会の機関紙「九州日日新聞」が昭和17年に合併して誕生した。当初九州日日新聞で発足しようとしたが、当時の政友会の大物(氏名未確認)が「熊本を入れろ」と云った事から「熊本日日新聞」になったと云われる。この時、九州日日新聞は商号を「合資会社昭和社」に変更。目的欄も「新聞発行」から「土地、建物、機械の賃貸、並びに保全」と変えた(詳細は連載中断中の公徳会で続報する)。現在県紙として君臨する熊日本社の建物、施設(輪転機など)は全て昭和社からのリースである。熊日幹部は「うちの様な形態は全国の新聞社でも例はないでしょう」と自嘲気味に語ったのが印象に残る。

 熊日の初代社長は伊豆富人氏、現熊日会長の実父である。その伊豆会長はオーナー会長として権勢を思うがままに振っていると聞こえてくる。熊日では河村社長以下幹部を「雛壇」と呼ぶ。ある中堅は「雛壇の連中は事勿れ主義の固りだ。自分の任期を如何に無事に過して定年後の天下りを得るかに汲々としている」と語る。こうした雰囲気の中で育った記者達から「硬骨漢よ出でよ」と云っても云うだけ無駄であろう。首長等の逆鱗に触れる様な記事が書ける筈がないのである。先年作家の百田尚樹氏が講演を行った際、冒頭に云った言葉が「熊日の記者は莫迦だからまともな記事が書けない。だから共同の記事ばかりになっている」と語ったので印象に残っている。共同通信の記事が増えた結果「熊日は朝日より赤くなった」として読者離れが進んでいるのを御存知か。



部数減著しい熊日紙
 全国紙を始め地方紙の読者離れが加速度的に進んでいるのは皆さんも御存知の通り。発行部数で県紙としてはトップ5位内に位置していると云われた熊日の全盛は平成13〜14年であった。時の販売局長はN氏で、販売店からの人望も厚かったと云われ、平成13年1月、14年1月の2回に旦って販売数を40万台に乗せた。N局長が異動で販売局を出て後任局長が就任したが、平成14年1月の40万の部数は以後下降線を辿る事になる。一頃「うちの部数は毎月1、000部減っている」と将来を案じた熊日社員もいたが、それ位激しい減紙の月もあったらしい。月間販売数30万を割ったのが昨年12月若しくは今年1月で、現在の発行部数は298,000部前後と見る。ある販売店主は「年間7、8千部ずつ減っていると聞いています。うちの店も5年前に比べて1割近くの収入減ですが、チラシの折込みで何とか食べてはいけます」と不安を洩した。これは熊日だけに限った事ではなく、全国紙も軒並み部数減が続いている。九州ではブロック紙の西日本新聞の減紙が激しいが、この中で部数を伸ばしているのが産経。福岡、熊本で伸びていると云われる。熊日が抱える問題は構造改革にも及んでいる。デジタル時代を迎えて熊日もネット部門の強化を図ったが、これが機能せずお荷物化、他の組織も硬直したままである。賃金体系も10年程前に改革案が労組と合意、現職には調整給の支給で現状維持を約束したが、以後の採用社員は約2割減となった。同一労働同一賃金は先ず自社から正したら。

前号の訂正
 前号3面「毒含流」で熊本市政記者クラブの記事の中で記者クラブへの利益供与について「年間で概算110万円は1100万円」の誤りでした。これには記者クラブとして使用している室料が含まれていません。室は124m2で、試算額で1000万円は下らないと見られています。



市長のW不倫 女性市議の暴言
責任大はどっちだ
 宮崎謙介衆院議員が同じ衆院議員の妻の出産を前に育休取得を公表した。国会議員の育休取得に賛否が渦巻いたが、女性陣からは歓迎の声が大きかったと思う。所が週刊文春にタレントとの不倫を暴露され、一転して“女誑(たら)し”の汚名まで頂いた。育休ならぬ議員辞職でたっぷりと育児に専念出来る様になった。片や幸山前市長は、意中の池田係長を秘書課に異動させた挙句「出張」という名の公費でラブラブ旅行を楽しんだ。これらを小紙が暴露したが他欄の通り熊本の新聞、テレビは一言、一行も報じなかった。市議会も幸山市長の責任を追及、不信任案を提出すべき案件であった。そして昨年3月、食肉業者と畜流センターの契約調印の場で、仲介の労を執った女性議員が暴発した。市と市議会は政倫を問い女性議員に辞職を勧告。熊日の記者は「いつ辞めるのか」追い回している。健全な市民に問いたい。W不倫の市長と係長、女性市議の暴言、どちらが重いかと。


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