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発行者:福島 宏

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 来る10月26日から第33回全国豊かな海づくり大会くまもとが開かれる。主催は全国漁業組合連合会の「全国豊かな海づくり推進委員会」と、熊本県の「第33回全国豊かな海づくり大会くまもと熊本県実行委員会」の共催である。同大会に御臨席の天皇、皇后両陛下の御案内役は蒲島郁夫県知事と松本忠明熊本県漁業協同組合連合会々長と聞く。松本会長は海を汚染し、闇社会に資金提供の疑惑がある。式典出席は辞退すべきと思う。

 来る10月27日「第33回全国豊かな海づくり大会くまもと」が県下一円で開かれる。これに併せて天皇、皇后両陛下が熊本に行幸啓遊ばされる。両陛下は27日の午前、県立劇場の大会に御臨席の後、新幹線で水俣市に向われ、エコパーク水俣に御成りになる。同所の「水俣病慰霊の碑」に献花を召された後、地元小学生らと豊かな海を希って稚魚を御放流される。この日の一連の行事に参列するのが蒲島郁夫県知事、松本忠明県漁連会長である。

  蒲島知事は「第33回全国豊かな海づくり大会くまもと」熊本県実行委員会の会長として当然両陛下の御案内役を務めると思われる。問題は松本漁連会長である。地元主催者の一人として両陛下の身近に控え、或いは熊本の海、漁業について御説明申し上げるのではないか。これは絶対に許してはならないと関係者は胆に銘じておくべきである。松本会長は海で生活の糧を得ていながら(会長就任前は地元でジャコ漁に従事)海を汚し続けた張本人である。本面に掲載している本紙平成20年8月号は、大き目にスペースを割いているので読めると思う。

 松本会長は現住所がある旧姫戸町二間戸で「二間戸石油」を経営していた。昭和年代の半ば頃の開業と云われ、海に近い地形もあって貯油タンクの底部が腐食した。そこから地中に石油類が洩れ出していたのであるが、数年以上松本会長は気付く事はなかった。平成20年2月頃二間戸港を基地にする漁船乗組員や住民が港内を漂う油膜に気付いた。住民は上天草市役所に通報、市役所の担当者は消防、保健所に原因究明を指示したが、汚染源の特定は出来なかった。

 しかしその後も常態的に港内が汚染され続けたので何度か住民が役場を訪れた。その結果「ひょっとして二間戸石油から流出しているのではないか」と疑う者が出て松本会長に「タンクに問題はないか」と確かめたらしい。この時になって松本会長は「仕入量と販売量、タンクの残量が合わない」と認めた。汚染が表面化して5カ月も経っているのである。同年2月に港内の石油汚染が問題化した時、仕入量と販売量の差が大きいとしてすぐに自社の貯油タンクではないかと気付くべきであった。関係機関が貯油タンクの周辺をボーリングしてタンクから石油漏れが確認されたという。当地区を管轄している「天草広域消防本部」は当然厳しく二間戸石油に警告すべきであったが、そこは田舎のこと「なあなあで貯油槽を交換して事なきを得たようだ」と当時周辺の住民は語っている。

 汚染土も産廃処理業者が処理したと松本会長は弁明していたが、近所の住民らは「タンク周辺の土を運び出しただけだ。その証拠にタンクが埋まっていた所以外、地上の建造物はそのままでしょうが」と説明していた。タンクからの漏洩量も二間戸石油の仕入、販売量から計算すれば簡単に算出された筈だが、関係当局も知らぬ顔の半兵衛を極め込み、本紙の取材を無視した。この様な海を汚した男が、たまたま運よく漁連会長に就き、途中クーデターに遭いながらも会長職にあって、畏れ多くも両陛下の御前に参ずるのは如何なものか。



松本忠明会長
反社会勢力に資金提供
 松本忠明氏が県漁連会長に就任したのは平成14年、遣り手で実力者であった井手正徳会長の急逝で急遽擁立された。周囲は中継ぎとして理解していたが平成16年6月の理事会で再任された。この時、松本会長が補佐役である副会長に指名したのが川口漁協組合長の藤森隆美氏であった。この再任劇の裏で動いた金が500万円と云われる。松本氏の再任と、その後の"面倒を見る"として某反社会勢力の幹部に南区内の某所で金の受け渡しが行われた(関係者談)という。以後松本会長が居る県漁連内の会長室にはその筋の人が盆暮れに"小遣銭"を貰う為訪れているのは職員も目撃している。松本会長が偉い所は、それらの金銭を公金から支出せず自腹を切っていた事である。尤も関係者に云わせると「裏金を作る才覚は松本にはない」となる訳だが、不正を働かなかったのはご立派である。

 だが、その為に漁連から仕入れている石油代「二間戸石油」(現社長は松本会長の子息の松本忠徳氏)は2千数百万円の未払金が残っていると見られている。二間戸石油の実質経営者は松本会長であるが、漁連会長は兼職が禁じられている為、会長就任後息子が名義人となっている。松本会長は、昨年3月29日の理事会で緊急動議を出され、賛成多数で会長職を解任された。所謂「藤森クーデター」である。しかし解任された松本会長は某有力弁護士に相談、漁連規約を生かし臨時総会を同年5月に開き「全理事解任」の挙に出たのである。藤森新会長の想定外の事であった。投票の結果、県下38漁協の内23漁協が賛成に回り全理事解任となった。その後各漁協で構成する部会で新理事が選出されたが藤森支持派は少数となった。新理事は7月の臨時総会で承認され、その後開かれた理事会で松本氏を"復帰"させる事が決まった。但し任期は「来年10月に開かれる第33回豊かな海づくり大会くまもと」までとし、大会終了後は解任するというものであった。

 これとは別に、松本会長は4期目会長に就任の際「私は天草漁協の組合長もしている。若し天草の組合長を辞めたら県漁連会長も辞めるかもしれない」と発言したが、本年6月の天草漁協組合総会で組合長を解任されているのである。当然県漁連会長も辞任すべきであるが、直近に迫った豊かな海づくり大会まで人選は叶わない為松本会長続投を組合は認めた。又、この条件について松本会長は「10月に天草漁協理事を辞任、後任に某を推します」と一筆入れているのである。こんな男を両陛下のお傍に付き添わせてはならない。



 安倍晋三政権が発足以来順調に9カ月を迎えた。東京オリンピック決定も第4の矢として安倍政権を後押しする型になった。「右翼政権」と誹謗中傷し、日本の固有の領土を奪取し、又奪取しようと虎視眈々と狙っている近隣中進国との課題は時が来るまで気長に待つのが正解だろう。

 その隣国に気配りの余り靖国神社参拝を遠慮しているのは如何なものか。首相就任時、第一次安倍内閣時代に参拝出来なかった無念を「痛恨の極み」と公言した思いは何処に行ったのであろうか。毎年8月になるとマスコミが騒ぎだす。目的は終戦記念日に、時の首相が靖国神社に参拝するかどうかである。終戦記念日も一つの節目ではあるが、靖国神社にとって重要な祭典は春秋の例大祭である。今年の春季例大祭は4月21日から23日までの3日間であった。安倍首相自身は参拝しなかったが真榊を奉納した。8月15日は萩生田総裁特別補佐官を名代として参拝させ玉串料を奉納した。自民党総裁イコール内閣総理大臣である。その安倍首相が自民党総裁特別補佐官を名代に立てたのである。参拝への地均しと見ていいのではないか。

  次の機会は10月17日から20日までの秋季例大祭である。出来る事なら当日祭その日に参拝して頂きたいと希っているが、中韓と日本の現状を考えると秋季例大祭の参拝も見送るのではないか。安倍首相に図太さはなく、冷え切った両国との関係をこれ以上悪化させたくないという心情が読み取れる。となると安倍首相の靖国参拝は来年の春季例大祭しかない。それ以上は国民が許さないのではないか。



 前号に続いて出水神社の主とも云われたKについて述べる。前号2面で記しているが、Kは今自己保身に焦りまくっている。平成23年7月に責任役員に就任した県庁OBのYR氏が、次々に神社の改革に動いているからである。Kは当初YR氏の役員就任に強い危機感はなかった様である。恐らく「これまで通り俺の云いなりになる」とでも思っていたのではないか。

 YR氏が役員に就任して驚いたのが、神社の経理の杜撰さであった。当時はK(88歳)が事務局長で宮司はIK氏で、この2人が経理の全てを握っていたのである。加えるなら何時の頃からかはっきりしないが、当日の神社の売り上げ(水前寺成趣園の入園料等)をKが自宅に持ち帰り、翌朝銀行がK宅に集金に行っていた(部外者が証言)のである。YR氏は経理の透明化が第一として役員会に図り、この道に詳しい県職員時代の後輩U氏を暫定1年間の約束で顧問に就けた。この頃からKは「YRはヤオイカン奴」と思う様になったと見る。平成24年5月頃からU氏は出水神社に出勤、関係書類に目を通し分析を始めた。これに対するKの嫌がらせは前号に書いた通りで、Kは凡ゆる手を遣ってU氏の業務を妨害した。耐えかねたU氏は同年10月頃顧問を辞した。だがU氏は今年5月の役員会で賛成多数(Kだけ反対)で正式に事務局長に就任した。

 この時事務局長は不在であった。これまで事務局長を務めていたKは、直前の役員会で「社則では役員と事務局長は兼任出来ない」と指摘された。その際Kは「事務局長を辞めても実験は握っていられる」と錯覚したらしく、すんなりと辞任している。が、事態はKの思惑通りには進まなかった。そこでKは相棒の企画会社会長のMと組んで事態の打開を目指す以下の行動に出た。平成25年4月17日付「緊急議題」として役員会で正式に承認したI宮司代務者について「I氏の定年退職について」と題し「I氏は平成25年2月28日で定年退職している。定年退職以降は、正式な再雇用契約が交わされないままでの違法出勤ですので、3月1日以降の給与については出水神社として支払い義務はない。支給済みの時は至急返金を求めます。返金なき時は訴訟まで考慮しなければならないと思います」として、出席役員5名の同意を取り付けようとしたが、I宮司代務者はこれを受理せず、K以外の役員は誰一人同調しなかった。同時に「出水神社 総代・園内組合長E他総代・崇敬者有志」名で以下の「提言書」が提出された。「昨今、出水神社の運営上の問題について、数多くの悪評を耳にいたします。悪評が出ること自体不自然で…以下省略」要は宮司も長期間不在だ、宮司がいない神社は閉庁するに等しい、役員は責任を考えろと云っているのである。

 その後「噂として耳にしたこと」として9項目挙げているが、2つだけ挙げる。「六、多数決で決めることが民主主義ということも耳にしますが、十分議論したうえでの話で、最初から結果が判明しているのは民主主義とは云えないと思う」「九、現在まで誰が財政面・運営管理面をはじめ、多大な実績を残されたということも考慮すべきではないでしょうか?」ここでこの提言書がKが作った(作らされた)とボロを出している。宛名は「宗教法人出水神社 宮司代務者殿」となっている。当然I宮司代務者は受け取りを拒否してこの提言は宙に浮いてしまった。そこでKは6月30日、出水神社社務所2階で開かれた役員会で「細川佳代子、YR両氏の責任役員就任について経緯と根拠を示せ」と文書を出したが、代表役員がこれを不受理とした。又Kは、I宮司代務者の退職金(役員会で了承済)と、U事務局長の雇用(責任役員会5体1で決定)についても質したが、「役員会の承認済」として蹴られた。



宮司不在に焦ったK等
後任探しに東奔西走
 次頁に詳報しているが、K責任役員に頼り掛かって口糊を凌いでいたのが、前号で「印刷屋」と書いたMである。本紙に最初の情報を持ち込んだのがこのMで、前号発行後「よく書いてあります。有難うございます」の電話をもらった。その時「私は印刷屋ではありません」と云ったので「名刺を貰っており分かっております」と答えた。Mはデザイン企画会社の会長さんである。そのMの本紙前号の間違いを指摘したのが2面の一番下の段の「Kは昨年から新宮司探しに奔走していたと見られる」で「奔走はしていない」と云ったので、その証明を示しつつここで述べる。

 「出水神社を細川一門が乗っ取ろうとしている。是非県民新聞で暴いてほしい」と云って、各種資料と共に出水神社の現状を手書きしたメモがあった。その中で「24年4月1日宮司代務者IT就任(さだかではない)。24年7月17日Y氏に宮司着任打診(KよりTELにて拒否あり)。24年6月11日M氏より宮司推薦有り面接(某神社宮司)於出水神社々務所にて。7月12日、面接宮司着任の件出水神社、K、I拒否決定あり(役員会の議題にのっていない)その後宮司の件物色の兆しなく現在」「25年6月25日神社庁へ宮司推薦依頼書、役員押印依頼、I宮司代務者へ渡すも受取拒否、文面すら無視。6月30日総代会、K役員より宮司容認議題提案するも受付けず細川家一門の宮司着任への抵抗」と自筆で書いてある。その後KとMが筆者に「適当な宮司が居たら紹介してくれ」と依頼した他、市内の有名神社の宮司に相談したが、冷たくあしらわれている。資料持ち込みのすぐ後にもKが県南の神社の宮司を訪ね、就任を頼み込んだが蹴られている。これを世間では「○○探しに奔走」と云うのです。M会長様。



宮司不在に焦ったK等
後任探しに東奔西走
 前号にも記したが、細川護煕氏の秘書となったS事務局長の時代、Kはその下に職員として働いていた。細川氏が国政に転じた為S事務局長も熊本を離れ、その後任にKが就いた事は前号にも書いた。当時の宮司が"悪徳宮司"として名高いYであった。当初KはY宮司に従順で、Yの指示で動いていたと云われる。この時代にKは神社の裏の顔を知る事になる。と云うのは、前にも書いたY宮司が水前寺共済会館での結婚式の玉串料の着服をKが知らない筈はなかった。又、Yが「不用用地」として出水神社の周辺部に在った土地(合計250坪と云われる)を安価で獲得した際も"協力"している(Yはこの土地に2階建アパートと自宅を建てた)。

 Yは金銭感覚も乏しく、毎晩の様に高級クラブを飲み歩いていた(古参神社関係者談)と云われたが、これらの行状が役員に知られて宮司を解任された。K事務局長の存在感が出て来たのがこの後からであった。後任のM宮司は真面目な人柄であったが、一つ弱点をKに握られた。それは、M宮司が兼務していたお宮の能楽堂を出水神社が買い取った金額にある。当事者が死亡しているので金額は、はっきりしないが"時価"に相当上乗せされたものであった。以後M宮司はKに頭が上がらなくなったと云う。Kが事務局長になって出水神社は西原村にある山林を3回(3カ所)に亘って購入している。Kに云わせれば「出水神社の将来を思ってやった事だ」となるが、その手法に疑惑の目が向けられている。山なんて物は「二束三文」と云われて久しい。従って売買の対象にはならないのであるが、出水神社が購入した山林は何故か転売された物である。その売り主はKの身内ばかりである。その身内が買った山を数カ月後(関係者談)に出水神社が買い取っている。

 この行為は、「Kが身内を儲けさせている」「Kが仲介料?をとっている」と邪気が多い筆者は勘繰る。Kは周囲に(筆者にも)「自分が来た頃出水神社は金がなかったが、自分が資金運用で稼ぎ出したから今の成趣園がある」と自慢する。が、一寸待てと云いたい。前号にも書いたが、成趣園(水前寺公園)は出水神社が熊本市に賃貸していたのである。従ってかなりの賃貸料を得ていた。賃借解消後、成趣園は入園料の徴収を始めた。昭和42年12月から一律に一人20円である。この年の入園者数は分かっていないが、昭和44年の入園者は172万4,000人である。これに20円を掛けると3,448万円となる。その後入園料は値上げされ年間収入1億円を超える様になった。

 この頃の逸話を水前寺商店街の古参店主は「毎日夕方銀行の車が集金に来ていた。帰る時は車の後部が下がっていて一目で集金した事が分かった。古くから旭銀行(本店鹿児島)だったが、その内に肥後銀行に替った」と語る。これだけの収入は園を管理、運営して有り余るものであった。その剰余金をKは投信で運用を始めたのである。M宮司の頃ではなかったかと関係者。運用資金、投資先は「宮司とKの2人だけで決めていた」と云われるが、実質はKの独擅場であった(自身が自慢している)。現在の投信は2千数百類もあり、Kが主に扱っていたのは仕組債の長期物が中心の様である。リーマンショックで相当額の損失を出しているのは確かだが、簿価には反映されていない。最近になって見直しが行われ「時価評価」をする様になったらしいが、実態の把握には相当時間を要する見込である。投資総額は10億円前後、利息受取りタイプではなく、再投資型の為運用益(又は損失)は神社では掌握していない様で、今後の対応が注目されている。



親ウナギ禁漁に
シラス採捕は100日間
地獄網は放任のまま

 毎年「土用の丑の日」が近付くと各メディアが季節の話題として報道する。数年前までは町のうなぎ屋さんが、かば焼きをしている場面や、うな重を美味しそうに食べる客の姿が紙面や映像を飾った。最近は様変りしてウナギの生産量の減少や、価格の高騰をメインにした報道が目に付く様になった。原因は稚魚のシラスウナギの不漁にある。本紙もこれまで数回に亘ってシラスウナギ漁について報道した。本紙の目的はシラスウナギを採捕する地獄網の使用を許可している県や、1強5弱のウナギ養殖業界の裏側を暴く事に重点をおいた。

 シラスウナギの採捕に2通りの方法がある。前述の「地獄網」と「タモ」と呼ばれる網で掬い取る方法である。地獄網は通称「提灯タブ」と呼ばれ河口から少し上流に上った川に仕掛けられる。地獄網の名の通り、シラスと他の魚類を一網打尽にする漁法である。平成10年頃資源保護の観点からこの漁法は全国的に禁じられたが、熊本県と宮崎県が許可し続けた(宮崎県は県条例を制定、無制限の採捕を禁じている)。本紙で再三報じた県水産振興課と業者との癒着が地獄網の使用を禁止出来ないのである。加えて云えば、本紙が県内各漁協の組合員資格、運営の違法性を報道しても関係機関は知らん顔、せいぜい管轄している県の団体支援課の課長らを天草水産センターに飛ばし、トカゲの尻尾切りで終わっていた。所が、どうした風の吹き回しか今春になって熊日が「漁協資格取材班」を編成、連続して漁協の実態を暴いた。閑話休題。シラスウナギの不漁はここ数年続き、それも極端な不漁となった為全国的に話題となった。元々漁業者に云わせると「シラス採捕が解禁となって漁を始めてからしか不漁か、豊漁かは分からない」と以前取材で聞いた。近年、大学を中心にウナギの生態が徐々に解明されつつあるが、未だにその実態は分かっていないという。ひょっとして、間もなく解禁される今期のシラス漁は思わぬ豊漁となるかもしれない。逆に昨年よりまだ不漁となるかもしれない。尤も中国、台湾の貪欲な連中が乱獲したのも一因と考えると豊漁は望めないかも。

 ウナギは川を溯って6、7年して親ウナギとなって産卵の為海に戻る。その親ウナギになる前に稚魚であるシラスを河口近辺で獲ってしまえば産卵出来る親ウナギが減って当然であろう。今更じたばたしても後の祭りである。

 環境省は今年2月、ニホンウナギを絶滅危惧種に指定した。所謂「レッドリスト」入りしたのである。但し何ら強制力が働く訳でもなく、後は各自治体と採捕業者の裁量任せである。これを承けた型で熊本県は去る9月17日、県内の漁場での下りウナギ(親ウナギ)を12月に限って全面禁漁を打ち出した(宮崎・鹿児島は10~12月)。関係先に通知、30日間のパブリックコメントを経て各漁業調整委員会の了承を取り付け11月下旬の発効を目指している。シラスウナギも数日短縮して100日間を予定している。これらは各漁業者が遵守してこそ有効に働くが、「悪ごろ」が多いこの業界である。「金の成る木」ならぬ「金になるウナギ」とあれば密漁者が続々となってもおかしくはない。

 平成23年の農林水産省の漁業・養殖業生産統計では全国トップは鹿児島県の8501屯、宮崎県4090屯、この2県に比して熊本県は僅か319屯。その原因は以前に何度も本紙が伝えたが、水産県を名乗る熊本にとっては寂しい数字である。おかしいのはこの年シラスウナギは90㎏前後獲れているのである。シラスウナギが成魚となって出荷される際は800~1000倍に体重が増えていると云われる。800倍としても統計の倍、700屯とならなければならない。半数のシラスが消えている。



役員人事に口出し・介入も
企画会社TのM会長の横暴
自ら墓穴を掘った間抜け

 これから書くMとは、市外で総合広告を謳うTの取締役会長の事である。本来メディアは情報源の秘匿が義務である。その義務を破り裁判所で情報源を明かした日経新聞の記者が居た。メディア業界で侮蔑の声が挙ったが、当然である。で、筆者もここに出水神社に関する情報提供者を明かす。即ち、前述のMとKである。

 Mは本年7月初旬に電話で「出水神社の事で相談したい」と連絡して来た。7月10日を約束、当日M一人が資料を持って当社を訪れた。資料は出水神社の規則の抜粋(第2章から同5章までと、第40条として追加手書き)と役員名簿、先述しているMの宮司の退任、責任役員名等を記したもの等であった。筆者が「本紙の存在を誰から聞いたか」と聞くと「前からあちこちで見て知っていた」と云う。筆者は目前に置かれた資料を見つつMの説明を聞きながら、疑問点を尋ねてメモを取る。当初Mは「先生の所にお願い(書くことか)に私が来るとなった時、Kに『手ぶらでは失礼なのでお礼を持って行きたい』と云ったのですがKがいいと云ったので手ぶらで済みません」と云う。「そんなの気にせんでもいいですよ、不正を暴くのがうちの仕事ですから」と云ってMの説明を聞いたのである。Mの云い分を要約すると以下の通りになる。

 先ず最近の宮司の退任と新宮司の就任。現在の役員構成と分類、6名中Kを除いて細川一門としている。それと前頁に書いた様に新宮司の模索と推選の経緯である。たかがと云って悪いが、出水神社に商売で出入りしている一介の商売人が、何故かくも神社役員人事に口出しをするのか。疑問に思ったので「何故貴方はそこまで介入出来るのですか」と尋ねた所M曰く「私は30年以上の崇敬者ですのでKさんを助けて動いているのです」と云う。Mが一番力説したのが県庁OBで役員に就任しているYR氏とメディア界のドンK氏であった。Mは「この2人を役員から追放しなければ出水神社は細川一門に乗っ取られてしまいます。細川家も娘に神官の資格を取らせ宮司に送り込もうとしています」(これは事実で、佳代子氏の娘は神官の資格を取得、目下神社本庁に奉仕中)。「佳代子もKを辞めさせる為YRらが入れた。役員は名誉職であるので神社の運営は出来ません」とも云った。筆者が「Kさんからも話を聞きたいが」と云うと電話番号を教えてくれ「私からも伝えておきます。Kさんが一番詳しく知っていますから」等を話して帰ったのである。その後、Kと連絡をとり、K宅でKに会って取材した。K宅での取材は前号でも一部記述しているが、この時点でKとMの話を筆者は半信半疑であった。人は嘘をつく動物と思っているのでダボハゼの様に何でも飛びつきはしない。2人の取材を終えて早速裏付け取材に動いた。

 関係者10人前後に話を聞いた所M、Kらの情報は全て自分達に都合良く色付けられたものである事が判った。即ちMとKは筆者を騙して虚偽の記事を書かせYR氏、K氏ら役員を追い出そうと図ったのであろう。筆者が情報源をばらす所以である。

 2人の莫迦振りは「筆者が聞いたままを書くとの思い込み」「本紙如きで宗教法人の役員を追放出来るとの思い込み」「自分達が攻撃されると思いつかない知能の貧困」であった。しかもMは本紙8月号を読んでも「自分は責められていない」と思っていたらしく、最近当社を訪れ、今度はKを含めYR氏らの追放を訴えたのである。怒鳴りつけて追い帰したが…。



Kはこんな「わる」だった
M会長、Kにおんぶに抱っこ
藤孝公銅像発注の不思議

 Mが何故Kを除く責任役員の追放に動くのか。又その資格があるのかと問えば「それはない」と断言出来る。筆者はMに「貴方が動いて現状が変えられるのですか」と聞いた所、Mは「ええ出来ます、私は崇敬者です。神社の規約は『崇敬者が総代を選び、総代が責任役員を選出する』のです。従って崇敬会を握った者が勝つんです」と宣う。だがMが持参した「出水神社規則」の第2章第9条は「代表役員は本神社の宮司をもって充てる」第10条「代表役員以外の責任役員は、氏子、崇敬者の総代、その他の氏子または崇敬者で神社の運営に適当と認められる者のうちから総代会で選考し、代表役員が委嘱する」と明記されている。この条文をMはどう解釈したのか真顔で前述の説明をしたのである。その上「私は崇敬者を50名近く集めているので近く行動に移す」と自信たっぷりに話した。この期に及んで尚、筆者を利用しようとしているMの意図に愛想尽かしをした筆者が「あんたの事は色々情報を得ている。話を聞くつもりはないのでさっさと帰れ」と叱ったのである。するとMは「私も情報網は持っている。この新聞は嘘ばかりだ」と憎まれ口を叩いて出て行った(まだ色々あったが省略)。

 前号をKとMに送った。Kから電話があり「総代から色々書かれていると云って来たので書かれているのは知っていた。お世話になり有難うございました」と云う。Mも「読ませて頂きました。よく書いてありお世話になりました。今後ともよろしく」と電話があった。その後当社に訪れた遣り取りが冒頭の言葉である。さて、一頃は宮司以上の存在感を示したKの行状を書く。

 先ずKは女癖が悪かった。出水神社の事務職員であったA子(子持ちの後家)と深い仲になり「家まで建ててやったらしい」(関係者談)。外にも「札所」と呼ばれている入園料徴収所で働く女性にも手を付けた、それも複数だという。社屋の工事発注の際「僅か300万円の工事に80万円寄越せと云われたので受注を断った」と市内のA業者。園内の作業もKが出身の西原村の業者に丸投げしたり、村のシルバーセンターから草取りなどの作業員を連れて来るなど公私の区別が全くない。出水神社は市内に在るのである。市内の業者を優先して使うべきであろう。

 次に疑惑を持たれているのが、平成22年11月に行われた「細川藤孝(幽斎)没後400年記念事業」で建てられた藤孝公銅像についてである。この銅像は何故かMが会長を務めるT社に発注された。㈲T社は銅像の作成を富山県の専門業者であるTに依頼した。熊本市内にはこの種の企画、デザインを行う会社が何社も有る。何故入札方式をとらなかったのか。1千数百万円と云われる事業である。役員会で充分検討されて決める案件であるが、その形跡が全くない。神社のチラシやパンフ類もT社に丸投げしているが、「成る程」と思える出来栄えではない。22年11月6日から「水前寺まつり」が水前寺公園一帯で開かれたが、この時YR氏らは入園料を無料にした。これをKは不満に持ったのである。市民、水前寺商店街、成趣園が一体になってこそ存在価値が上がると思うが、KとMには望むべきもない事だろう。


没後400年を記念して建立された藤孝公銅像



 出水神社(水前寺成趣園)の報道は少なからぬ反響があった。書き落としたが、今年6月30日に出水神社々務所で開かれた役員会が面白かった。この役員会にMがのこのこと顔を出したのである。Mを知っていたのは出席した12~13名の役員の内僅かであった。冒頭Mがいきなり「出水神社の現状」について話しだしたのである。最初訳が分からず聞いていた役員(総代、責任役員)が「あんたは一体誰か、何の資格でここに居るのか」と誰何された。それでも名乗らず滔々と喋り続けるK。全てK擁護の弁であった。とうとう痺れを切らせた役員の一人が「あんたは出席資格はない。出て行け」と怒鳴りつけた所やっと出て行ったという。こういった輩を"厚顔無恥"と云うのだろう。

 1面の松本忠明県漁連会長について書くのが少し遅くなった。それでもこんな男が両陛下の身近に侍るのかと思うと腹が立つ。海づくり大会直後には会長退任を約束していたが、今になって辞めないと云いだしたとか。又揉めるのだろうか。豊かな海づくり大会に御臨席の両陛下の御体調が案じられる。無事に行事を終えられて帰京されますよう心から御祈念申し上げたい。
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