熊本県民新聞 WEB版
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熊本市東区八反田1丁目14-8

発行者:福島 宏

電話:096-234-8890
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細川家が乗っ取り図る?
K氏が語る出水神社の闇
 国指定の名勝史跡「水前寺成趣園」を管理する出水神社が、長年一人の男に牛耳られ続けている。仮にこの男をKと称して話を進める。先ずK側の云い分から述べる。

 私は戦時中数年間兵役に服した。戦後鹿児島県警の巡査を拝命、市内署に勤務中、朝日新聞新人記者として同社鹿児島支局に赴任した細川護煕氏と出会った。細川氏とは同郷という事もあってか親しく交流、私達に子供が無かった事もあって数年間細川氏を預かった。その関係から細川氏の働き掛けで鹿児島県警から熊本県警に移り定年まで勤務した。県警を定年で退職、昭和56年頃出水神社に職員として勤務する様になった。その頃出水神社に金はなかったが、私が努力して資金に余裕が出来た。当時の運営委員会の委員長は鰐渕熊大学長で委員には熊本市のOB(注・多分内藤睦義元助役)らが居て牛耳っていた。細川氏とは暫く円満に推移していたが、細川氏が県知事の時私は知事室に呼び出された。そこには細川氏の秘書をしていたSNとYNの両氏が居て私に「事務局員を辞めろ」と云ったが、私は断った。

  この頃から細川家が出水神社を乗っ取ろうとしている様に見えた。私の存在が彼らの邪魔になったんだろう。その後、泰勝寺にも呼び出されSN、YN氏に加え文化人のOM氏が居る所で「細川家に忠誠を誓うと約束出来るか」と迫られたが断った。これらの事をM宮司に話したが、M宮司は細川一門であるのか一切相手にしてくれなかった。細川氏が知事になって直ぐSYが神社を私物化してると進言。SYを追い出し私が事務局長になった。現在の私は総代で責任役員をしている。責任役員は全部で6人だが、私を除く5人が細川一門だ。加えて昨年9月に護煕夫人の佳代子氏を持ち回り役員会で責任役員として入れた。娘も神官の資格を取らせ神社に入れるつもりだ。出水神社は公の物であり、細川家の乗っ取りは許せない(以下略)。



K氏
元警官を笠に着て力を発揮
権謀術数で総代会を握る

 前述の記事は、長年出水神社の総代を務め、平成20年4月から責任役員を兼ねる様になったKの取材時の云い分である。外にKの右腕として陰に陽に動いている印刷会社のM社長が居るが、M社長の云い分もKと同一である。これらの情報を元にして関係先に裏付け取材を行った。その結果、Kらが本紙を利用して成趣園と、出水神社の運営を浄化しようと動いている人々を陥れようとする意図が読み取れた。Kが謂う所の「細川護煕氏が朝日新聞記者時代に鹿児島で出会った。当時自分は鹿児島県警に巡査として勤務していたが、細川氏の口利きで鹿児島県警から熊本県警に移籍した、当時の県警本部長は髙木氏であった。県警を定年退職後出水神社に再就職した」は事実の様である。が、それ以降の出来事や、出水神社の現状については多分に疑問符がつく。

 出水神社に採用されたのは「当時成趣園に来園する観光客の写真を撮り、高値で売りつける悪質な写真屋が居て神職らでは対応出来なかった。その対策として警察関係者の採用が決った」とは、当時を知る古い崇敬者。その時の事務局長が細川氏の秘書を務めたSN氏であったという。取材した神社関係者や、総代の中には「細川県知事の時、知事の口利きでK氏が出水神社に入った」との説が信じられている。

 しかし、筆者の調べによると、細川氏は昭和43年に政治家を志して朝日新聞社を退職、翌44年の衆院選に立候補して落選。昭和46年7月の参院選全国区で初当選を果たした。細川氏は参院議員を二期務めて昭和58年2月、激しい公認争いを経て熊本県知事選に立候補。初当選している。従ってKが云う様に昭和56年に出水神社に就職したのであれば、細川氏が県知事の時ではなく、参院議員在職中の口利きであったと云える。以後Kは何かにつけ「細川知事(議員)がこうする様に云った」とか「細川知事に云われたから」と云って自分の意見を押し付ける様になる。当時の総代、責任役員は「全くKに歯が立たず、総会などもKの独壇場でした」と語る。出水神社にしても「悪質な写真屋対策に」と採用したKだが、Kは何時の間にかその写真屋と意気投合し、持ちつ持たれつの仲となった。Kの人間性の狡さが出たのであろう。写真屋は前にも増して力を付け、成趣園内に勝手に建てた小屋で営業を続け、訪れた観光客と絶えずトラブルを起こした。商店街で知らぬ者は居ない。SN氏の後、事務局長に就いたKは当時の宮司を取り込み、傍若無人に振る舞う様になっていく。総代会も年に一度開けばいい方で、その総代会も独り舞台で終っていたと云われる。



成趣園内に在る出水神社本殿



 熊本市が誇る熊本城と水前寺成趣園は、熊本観光の目玉として多くの観光客が訪れていた。特に昭和の後半から平成初期にかけては水前寺成趣園の方が熊本城の入園者数を上回っていたのである。熊本市の水前寺公園(成趣園)入園者数の統計によると、昭和44年は172万4028人。昭和51年の189万4925人を最高に、以後は下降線を描いている。それでも平成6年までは100万人台を維持していたが、平成7年に100万人を割って減少に歯止めが掛からなくなり、平成22年度以降は30万人を割り込んだ。

 原因については、長崎、佐世保市のハウステンボスの活況などが挙げられているが、直接の影響が熊本まで及んだかどうか、熊本城の入園者は増加しているのである。筆者は成趣園の入園者減の原因の一つに、同園を管理する出水神社の運営能力不足を考える。今回の取材で分かったのだが、同神社の歴代宮司は昭和年代の観光客の来園の多さを「当然の事」と解し、外に向けてのPRその他の活動を怠った。全てとは云わないが、歴代宮司は安定した収入に乗っ掛って高給を貪るだけで将来への展望を描き、行動をしなかった。その結果、極悪写真屋の跋扈を許し観光客の不興を買った。この写真屋の横暴振りは別項で述べる。出水神社の宮司については故人となった宮司も居る上、きちんと整備された記録もないと見られる所から、現在関係者の記憶に残っている元宮司らについて分かった範囲内で述べる。取材は主に県下の神社界、総代、崇敬者、その他関係者に行ったが、当事者である宮司への直接取材は本号発行後、次号発行に向けて行う予定である。

 横暴を極めているKが採用された時の宮司から代を追ってみる。Kが採用された時の宮司が悪名高きYであった。当時の県神社界ではYの事を「金の亡者」と囁き合っていたという。神官に似ず(あってはならない)金儲けに励み、土地コロガシなどで利益を上げ、賃貸アパートまで建ててしまった。他に「水前寺共済会館」で行われる神前結婚式で神官の派遣を同会館から依頼されたが、Yは「私個人との契約」として謝礼を神社に入れずネコババしていた。Yが行けない時など出水神社に出入りしていた"神楽手"(神楽を舞ったり、奏楽をする人)を代理で派遣していた。

 ある日、結婚式の際その代理が出て神事を行ったが、参列者が「偽神官」と見破った。「何処の神社から来たのか」と問い詰めた所「出水神社」と答えた為、共済会館側がY宮司を問責、同宮司も認めた為、同神社との契約を破棄、他の神社に派遣先を変えた経緯がある。これらの出来事が原因でYは役員会で解任を決議された。当時Yの息子も同神社の禰宜を務めていたが、昇格は認められず、退任するまで身分は変わらなかった。又、この息子も金銭トラブルを起し神社側と裁判で争ったが、「退職金で穴埋めする」として解決している。

 Y宮司の後任の宮司がM宮司である。M宮司の父がYの前に出水神社の宮司を長年務めていた為選ばれたのであるが、先代には及ばなかった。一連の取材の中で、周辺から一番好感されていたのが父のM宮司で、細川家との繋がりも深かった。商店街の古い店主は「M宮司さんはよく出来た人でした。毎年正月には商店一軒一軒回って『今年もよろしく』とご挨拶されていました」と語っている。さて、Y宮司の後を継いだM宮司だが、当時事務を担当していたKに早速取り込まれて"操り人形化"してしまった。

 一説では「M宮司がKを利用、不明金の責任をKに負わせた」とも云われているが、「一時期MとKが"持ちつ持たれつ"の仲であったのは確かなようである。Mは県南の神社の出だが、Kとともに高給を得て派手な行動が目立った。Kは、平成20年4月に責任役員に就任したが、当時事務局長も兼務しており、これは明らかに神社の規約に反している。Kの当時の給料は80万(関係者の推定)で、Mは100万円前後を得ていたと云われる。そのMとKが金銭問題で揉めKがMに退職を迫ったが、Mは拒否。するとKは写真屋を使って神社の月次祭が行われた日に大勢の前でMを「ドロボー」呼ばわりするなど嫌がらせが続いた。挙句には、代表役員であるMを除いて役員会を開いてMの解任を決議した。結局Mは平成20年3月31日付で宮司職を退くしかなかった。翌4月1日付で権宮司のI氏が宮司に昇格する手際の良さであった。



新役員就任で追い込まれたK
最後の足掻き・新宮司探す
 水前寺成趣園を管理、運営する宗教法人出水神社は6人の責任役員によって管理、運営されている。現在の総代、責任役員は平成24年9月1日付名簿に依る。先ず代表役員は同神社の規則によりI宮司代務者が就任している。KT氏(メディア会長)、KH氏(会計士)は平成18年6月の就任。K(元出水神社事務局長)は平成20年4月就任。YR氏(県庁OB)は平成23年7月就任。細川佳代子氏(細川護煕氏夫人)平成24年9月就任、以上6名である(佳代子氏を実名としたのは同神社祭神の細川藤孝(幽斎)公直系の護煕氏夫人のため)。

 この佳代子氏の責任役員就任についてKは「総代の経験がなく責任役員に就く資格がない」と云ったり、別の者には「佳代子さんを責任役員に就かせると出水神社に問題が生じた場合責任を負う羽目になるので、細川家に傷がつくといけないから」と綺麗事を云ったり一貫性がない。

 Kが今、自己保身で焦りに焦りまくっている原因が平成23年に責任役員に就任したYR氏の存在がある。Kの横暴振りは細川護煕氏の耳にも達していたらしく、これまで数回Kに対し「貴方は長年役員を務めてくれた。もう年でもあるし、そろそろ身を引いたらどうですか」と暗に辞職を求めたが、Kは聞く耳持たずで役員を続けた。これらの動きを知った役員の一人が「このままでは神社の存立が危うくなる」と危機感を覚え、県庁幹部で定年退職、他の施設のトップに居たYR氏を説得、責任役員に就いてもらったと云う。

 その頃の神社の経理一切はI宮司とKが仕切っていたと云われる。神社の規則もあって無きが如き状態で、経理上も大雑把な所が見られたので透明化したいと、YR氏が県庁時代の後輩を暫定一年の約束で顧問として迎えた。このU氏は法規や経理に詳しく、神社の運営を正常化する為規則の見直しや、金銭出納について業務に励んだ。所がKがU氏の仕事を妨害し出したのである。社務所内の一室を事務所として使用していた所「ここは事務をする所ではない」と云って使わせず、場所を移せば「そこも駄目」と云い出す始末。Kの嫌がらせに音を上げU氏は昨年10月頃在任5カ月程で辞任してしまった。それでもU氏は13例程の社規則を作り上げた。今年3月、役員会はKに対し「役員と職員は兼務出来ない」として退職を迫り、Kもこれを受容れ、3月31日付で退職した。その退職金たるや「お手盛り」で数千万円を得たと見られるが、正確な数字は周囲に知られていない。前年急に退職したI宮司も同額程度を得ていると見られ「KとI宮司がこの点では話が通じていたのではないか」と勘繰る関係者も居る。この高額な退職金について関係者は驚きを隠さない。かつてI宮司とKは名コンビと見られた時もあったが結果的にI宮司は「Kの嫌がらせに耐え切れず昨年3月宮司職を投げ出した」のである。それを裏付けるように、Kは昨年から新宮司探しに奔走していたと見られ、市内の某神官や市外の某宮司などに声を掛けたが何れも断られている。Kの思いは「新宮司を連れて来れば、宮司が代表役員となるので、現在1対5の役員会の劣勢を一挙に逆転出来る」との計算が働いているのであろう。

 因みにKの嫌がらせで顧問を辞したU氏は、今年5月の役員会で人選を一任されたYR氏の推薦により多数決(Kのみ反対)で事務局長に就任、出水神社の組織、金銭出納事務の正常化に向けて努力中と云われる。



写真屋撮影禁止に
 水前寺成趣園内で営業していた写真屋Mの悪業振りは同園内は勿論、水前寺商店街でも有名である。

 Mが園内で写真屋を始めたのは昭和50年代と云われる。それ以前は、天草五橋の開通で二号橋近くに松島町などが建てた観光施設で写真屋をしていた。しかしMの人柄故か、同施設での営業が出来なくなり「伝手を頼って成趣園に入り込んだ」と商店主。初代のM宮司の頃であったと云う。成趣園には以前から観光客相手に写真を撮って販売する業者が居たが、Mは先輩写真屋を無視して背景がいい場所を確保、観光客が団体で座って撮れる様にした。当初、商売は順調の様であったが、カメラブームが到来、使い捨てカメラが大流行した為、態々専門の写真屋に撮ってもらう客が激減した。「それまでもよく大声を挙げて観光客と喧嘩していたが、商売が廃れ始めると一層荒れ出した」と関係者は語る。

 かつては修学旅行のコースにも入っていて団体用のバスも多く訪れていたが、Mはそのバス会社のガイドを怒鳴りつけたり、時として観光バスの前に大手を広げて立ち塞がるなど嫌がらせを行った。数年前には訪れた団体客をセットの椅子に座らせ写真を撮ったが、帰途一枚も買った客が居なかった。怒ったMは、現像した写真をバスの前に叩きつけ足で踏み躙ったという。たまたまそのバスがJTBツアーであった為「以後JTBは観光コースから成趣園を外した」と云われる。出水神社は新体制発足後Mに対する「園内での写真撮影許可取消し」を提訴、昨年9月福岡高裁で判決が確定した。違法に建てた小屋も何れ撤去される様である。



 水前寺成趣園は理由(わけ)なき咎で移封となった加藤家の遺領を継いだ細川忠利から数えて3代目の綱利の代に完成したとされる。水前寺は元々忠利が入国の際、豊前から連れて来た玄宅和尚が建てた寺と云われる。後にこの地の湧水が気に入った忠利は、水前寺を北に移し(現在の玄宅寺)ここに別邸(茶室とも云われている)を建て、その庭を成趣園と称した。庭は築山山水式で東海道五十三次を模した造りとなっている。

旧藩時代は細川家一党以外の出入りは禁じられていたが、明治に入って公開された。明治5年7月御歳21歳の明治天皇が、九州初の御巡幸の際水前寺成趣園に御成りになられた。この栄誉ある成趣園が、昭和に入ってからだけでも数多くのトラブルを抱えたが、その最たるものが前頁に於けるKらの横暴であろうか。同園は昭和4年12月国から「名勝史跡」の指定を受け、全国的にも有名になった。成趣園周辺の一帯は何時の頃からか「水前寺公園」と呼称され、多くの市民、観光客らに親しまれた。昭和6年「水前寺公園拡張期成会」が結成され、同園裏手の細川家所有の製工場跡地の利用などは紙幅の都合上省略する。成趣園を管理する出水神社は昭和36年6月、それまで無料で市民に開放されていた水前寺公園の入園料徴収を発表した為、水前寺商店街はこれに猛反発した。同8月、出水神社は公園を管理していた熊本市に公園の返還を申し入れている。

昭和41年7月出水神社は入園料徴収を強行。これに反対する商店主らは、出水神社前にピケを張って阻止しようとした。同時期、熊本市庁舎で「水前寺成趣園運営に関する委員会」第1回会合が開かれた。その後、同園に関する第三者委員会が設置され、数度に亘る話し合いの末、大正14年以来続いていた出水神社と熊本市の間で結ばれていた賃貸契約が解約となった。市は文化財の保存と神社再建案を受入れ同年12月、入園料徴収が始まった。当初の入園料は大人、小人の区分はなく一律20円であった。昭和42年1月熊本市は「水前寺動物園」に代わる物として「水辺動物園」の建設に着手した。この間、出水神社と熊本市は使用権などを巡って係争があったとも云われるが、時間的余裕がなく確認には至っていない。この時の遺恨か、はたまたMらの暴挙が再々熊本市に持ち込まれ不信が募ったのか、熊本市発行の観光案内書に水前寺成趣園が載っていないと聞いた。




 本紙7月号1面で報道したK弁護士は熊本地裁に「遺言無効確認」と「損害賠償」を求めて提訴され、原告との間で目下係争中である。他に「K弁護士に懲戒を」と熊本県弁護士会に請求していた事案で、熊本県弁護士会綱紀委員会が「K弁護士につき、懲戒委員会に事案の審査を求めることを相当とする」議決をしていた事が分かった。同委員会が弁護士法に違反したと議決した事案は以下の通りである。「遺産の処分方法に関する法律事務及び書類作成手数料について」「K弁護士が、報酬等として受領した1,667万円の内訳は、信託銀行との遺言作成の為の交渉費用93万円、遺言書作成費用131万5,378円、懲戒請求者との紛争解決の為の着手金1,273万6,828円その他消費税等となっている。」
  「信託銀行との交渉費用に加え公正証書遺言作成手数料を受領している点」について同委員会は「すでに信託銀行に依頼して作成した公正証書遺言が存在する場合であっても、特段信託銀行との交渉の必要はない。にもかかわらず、信託銀行との交渉手数料と公正証書手数料それぞれ93万円と131万円余りを受領することは『適正かつ妥当な弁護士報酬』とは言い難く、弁護士職務基本規程第24条に違反する」とした。「予測される紛争の為の訴訟着手金を受領している点」として、「K弁護士が遺言書作成時に依頼人のT氏の資産額の全てを訴額とする前提で訴訟着手金を受領した時点で紛争の範囲は一切確定していない。訴訟着手金は訴訟の受任時に初めて発生するもので、訴訟を前提とした着手金の受領は『適正かつ妥当な弁護士報酬』とは云い難い」と断じている。又、K弁護士は、旧規定に基づき、故T氏の資産が新たに判明する度に、その判明した金額に応じた追加の手数料を受領しているが、この事案に関しても「想定した紛争や訴訟は全く現実化していない。にもかかわらず、不適切な計画根拠に基づき、遺産の処分方法に関する法律事務の着手金を複数回受領し続けた点はさらに非難されるべきである」とし「旧規定の訴訟着手金算出基準を用いて算出された費用を遺産の処分方法に関する法律事務の着手金として受領した金員は『適正かつ妥当な弁護士報酬』とはいえず、弁護士職務基本規程第24条に違反する」と判断した。

 K弁護士は「前述の費用についてT氏と協議の結果受領したもので問題はない」と述べているが、これより4年以上前からT氏が器質性精神障害(老年性妄想症)の疑いが持たれて精神科の診察を受けている。K弁護士が係わるようになった平成23年から24年の秋頃にかけては、認知症もかなり進み、判断能力の低下が著しくなっていた時期である。この様なT氏をK弁護士が操るのは"赤子の手をねじる"より易しかったであろう。この点は同委員会でも「更に公正証書遺言作成に際し行われた鑑定(乙7号証)によれば、認知症、特にアルツハイマー病を発症する前段階にある可能性も指摘されていた。」として「具体的手続や、着手金算定の基礎となる金額や計算方法を丁寧に、かつその場で口頭で伝えるだけではなく他人にも説明出来る資料を付ける必要があった」「K弁護士はそれを怠った上、その算出根拠にも問題がある」としている。

 結語として「K弁護士は、平成24年9月から25年1月25日までの間預り金の保管を行い、遺言の作成に際し、『紛争が予想される』として遺言作成手数料とは別に紛争着手金として23年10月に12,736,820円及び消費税636,841円、平成24年2月に535万円、同年6月3,885,160円、合計22,608,829円を受領した。その上、遺言作成手数料を受領しながら、遺言作成に伴う信託銀行との示談交渉着手金93万円と消費税46,500円を受領した。これら不当に受領した金額は計23,585,329円である。これらの行為は、弁護士職務基本規程38条、同24条に反し、同第56条第1項に定める弁護士としての品位を失うべき非行に該当する」として結んでいる。(紙幅の都合で要旨外省略)



グランガーデン熊本
健康管理の杜撰(ずさん)
 前号4面「グランガーデン介護フロアの地獄 入居者が悲痛な訴え」の見出しで、3階介護フロアに入居しているMさんの案件を報道したが、本稿はその続きである。

 先述Mさんは70代の男性で、平成17年の4月に入居した比較的早期の入居者である。気付いた事などはきはき云う確り者である。罹病して体が不自由になるまでは5階に入居していたが、前号の通りMさんは自身の病歴と経過、他病院からの退院後のグランガーデンの職員の対応等を質問、是正を求めたのが本年6月21日付であった。その後6月25日付でMさんは「なんでんBOXの追加」として「介護を受けているほとんどの人が車イスを私費で購入している。」「訪問リハビリを受けている人もいるが私も受けて10割負担している(約10万円以上)当施設においても訪問リハビリは出来ないのに紹介等をして訪問リハビリを続けさせている。」「トイレの左手すりを退院時につけさせた。この場合私が負担するのではなく、グランガーデンが当然取りつけなければならないはず。それを私が十数万円出して取りつけさせた」「手すりはベッド等乗り降りするための手すりである。当然これはグランガーデンが負担すべきであるが私が負担させられた」「ベッドを車イスの高さに合わせるための改造の費用も私が支払いした」(以下略)。

 前号のMさんの訴えと前述したMさんの訴えに対するグランガーデン側の回答は以下の通りである(25年6月 定例運営懇談会議事録より)。「質問状に対する回答」と題し「はじめに、お身体が不自由な状態になられましたことに対して、心よりお見舞い申し上げますとともに、お申し出に対する当施設の対応にご満足いただけなかったことをお詫び申し上げます。当施設としましては、行政の指導に従うとともに他の施設のサービスも参考にしながら、よりよいサービスを目指して取り組んできております。今後も引き続き、入居者様のご安心とご満足のため誠心誠意努めてまいります。ご質問につきまして、以下のとおり回答申し上げます。」として回答欄に、質問番号と回答を記している。1、追2欄は「当施設では、重要事項説明書に記載しておりますとおり、機能訓練指導員がリハビリを担当してまいりました。なお、訪問リハビリにつきましては、入居者様の個別のご判断により、自己負担で受けられているものと理解しております。」2、追1は「ベッド・車イスは、入居者皆様の共用としてご準備いたしております。」追3、4、5「当施設の設備は、行政の指導に沿って設置しております。入居者様のご都合や希望により設置する追加設備につきましては、自己負担とさせていただいております」。切実に訴えるMさんに対する回答が以上の通りである。

 紙面の都合で、この回答全てに反論出来ないが、リハビリについてのみ述べる。グランガーデン側は「機能訓練指導員がリハビリを担当」とあるが、現在同所には少なくとも30名前後のリハビリ要の入居者が居る。それに対し訓練指導員1名で事足りるのか。同所周辺のリハビリ施設に週3回以上通っている入居者の何と多い事か。しかも、外部リハビリ施設(整形外科など)にSケアマネージャーは極力行かせない様にして、患者を自社(グランガーデン)に囲い込んでいるのである。訪問リハビリもSが選択していると云われ介護の闇は深い。



 水前寺成趣園については、出水神社のM宮司が退職した頃から不明朗な噂を耳にしていた。今回はKやMらが動いたのが報道の切っ掛けとなった。管理する最高責任者が宮司であるが、その宮司を手駒の如く動かしたKのわるには恐れいった。現在良識派の総代や責任役員が正常化に向けて動き始めており、周辺商店街と共にかつての活況を取り戻そうと動いている。遠くない日に名実ともに名園が復活するものと思われる。
  前号トップ記事で報道した悪徳弁護士の化けの皮が剥がれつつある。県弁護士会が出した懲戒委員会に事案の審査を請求するのは「数年に1回の出来事」と云われる。弱い者の味方であるべき弁護士が、依頼人の心身ともに弱った老女から不当に大金をむしり取った行為が許せない。その頃から悪わる弁護士はBMWの高級車を乗り回しているという。
 それと連んでいるのがグランガーデンのSと見られている。何れSの悪業も白日の下に晒されるであろう。山都町の工藤町長の不倫報道が未だ尾を引いている。当人があっさりと認めればいいが、認めたら町長のポストが危くなる。身から出た錆とは云え、毎日見苦しい云い訳で逃げ回っている。
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