熊本県民新聞 WEB版
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〒861-8034
熊本市東区八反田1丁目14-8

発行者:福島 宏

電話:096-234-8890
FAX:096-234-9883


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 小紙平成23年9月号、「熊本市職員採用 幸山市長コネ採用に手を染めたか」「本年度採用職員に 熊本市教育委員会幹部の娘 裏技を使ったとの噂も」の見出しで、市教委幹部の娘が市職員に採用された疑惑を報じた。この号が出た後、市職員から「あの記事の通りだ、外にも数人居るが確証はない」等の評価を頂いた。正しく「確証はない」のである。後述するが、職員採用の決定権者は幸山政史その人であり、お手伝いをしているのが西嶋副市長、人事委員会事務局長の2人である。そして11、12月合併号一面の予告枠「幸山市長また上底採用か」の見出しで「来春新採の中に某有力者の子弟が入る筈との情報を得たが、前打ちして変更されると当紙の報道がガセとなるので、当確ならぬ採確を確めて報道する」と書いた。その有力者が、見出しの寺本義勝市議の子息の事であった。旧臘12月某日市幹部の情報ルートから「合格者の中に入っている」と聞いたので今回の報道となった。

 寺本市議は政争の激しい旧城南町役場職員で、かつて小紙が八幡紀雄町長の入札疑惑を報道した際も、同町長のブレーンの一人として注目していた人物である。小紙報道の記事で、某町議が城南町議会で八幡町長を追及したが「そんなゴロツキ新聞の記事は信用がない」と一蹴した事もある悪ゴロ町長であった。その直後の町長選で落選したが、次の統一選挙で返り咲き、熊本市との合併に奔走したのは皆さん御存知の通りである。「政令市命」の幸山との折衝担当になったのが、八幡町長の"特命"を受けた寺本氏であった。熊本市との合併に城南町が動きだした時、寺本氏は同町企画財政課の合併担当係長であったが「十人抜きの特進」で課長に昇格、熊本市の窓口役のトップである西嶋副市長との交渉に当った(因に寺本氏の妻も城南町職員で熊本市と合併後は「城南支所」の職員である)。この関係から西嶋副市長と"昵懇"の仲となって「市内の高級料亭や、クラブで2人をよく見掛ける」と一部幹部職員の噂に上るようになった。

 八幡町長と幸山市長の間に「合併時に寺本氏を城南総合支所長にする」事も合併条件の一つにしていたと云われる。所がいざ人事異動が内示となってみると寺本氏は総合支所総務課長に留められた。当日八幡町長(特例区長・顧問)が熊本市秘書課に乗り込み、再考を迫ったのは知る人ぞ知る有名な話である。何故支所長か。支所長には管内の各種工事発注額4千万円までの権限が付与されているからである。寺本氏が八幡町長の要求通り支所長に就いていれば「八幡〜寺本ラインで甘い汁が吸えた」とは地元関係者。又、寺本氏の熊本市議選出馬については「突然の立候補表明」と云われていたが、既に平成21年頃から高校同期生の熊本市内の企業経営者らに支援を要請していたと周囲では語られている。

 平成22年12月で総合支所を退職、出馬表明したが、八幡特例区長の強力な後押しもあって四月の市議選では、旧城南町を地盤に出馬した3人の中でトップ、全市でも4位の5671票を得て当選を果したのである。


これが職員不正採用の手口だ
 前段で長々と寺本市議と八幡特例区長、西嶋副市長との係わりを書いたのは、これらの背景があって始めて寺本市議の子息が難関を突破して市職員に採用されたと読者に納得が出来ると思ったからである。

 寺本氏の子息は学園大4年生(22歳)である。来期の採用は約300人と云われるが採用試験に落ちた中に熊大、九大、早慶など有名大学生が居る。という事は、これらの大学生より学園大生が優秀という事になる。勿論個々人の実力の差は当然あるので、一概に学園大だから九大より劣るとは云い切れない。面白いのは、昨年度某市議の子息が熊本市職員を目指した。一次は合格したが、二次で落されている。その後子息は県警に採用されている。又、何人かの市議は「幸山市長に採用を頼んだが一蹴された」と語っており、この面だけ見れば幸山市長は正しい。しかし、今回の寺本氏の子息他、某代議士から依頼の子女が採用されているのは何故か(採用後各職場に配属された先で学力、人間性に疑問が生じる)。幸山市長が依頼された人物を採用するのは以下の手口である。

 公務員採用については、1次と2次テストを経なければならない。1次は教養、適正、作文で行われる。県内の殆どの自治体は全国町村会に委託して執行される。テスト専門業者は熊本県も町村会も同一で、かつては熊本市も同一であったと云われる。が、近年熊本市だけは別ルートの委託先に替えた。1次試験の採点は成績順に機械的に行われる。結果は受験者別得点表一覧と、得点順位別一覧だけが送られてくるだけで、答案用紙は委託先に保管され、一定期間後廃棄されるらしい。この一覧により、採用予定の1・5倍〜2倍の1次合格者が決定される。2次試験は人物試験で、面接とグループ討議等の試験結果で合否が決る。上級職一般事務職は、一流大学卒でも難関だ。熊本市のカラクリは、西嶋副市長が委託先の幹部に受験番号を通知、得点の加点を依頼して1次を通す。2次は人事委員会事務局長に加点をさせる。この様に市長―副市長―事務局長の3人だけで決定する。他の職員が介入の余地はない。「合併による政令市実現の功労賞として寺本市議の子息が採用される」という噂は本当であった。


政令市実現に突っ走った幸山
綻び始めた合併三町の夢か
 幸山市長は初出馬の際「政令市実現」をマニフェストに掲げた。三角市長が推めていた益城町との合併を目前にしていたのを、一部の市議らから聞いていたからである。所がいざ当選し、益城町を訪れると剣もほろろに追い返された。その後は皆さん知っての通り、焦りに焦りまくって城南、富合、植木三町の狸町長、町議らの云い分を丸飲みした。その一部が、本欄で述べている市議子息の裏口採用である。城南町の八幡特区長が始めた土地改良区への莫大な資金投入であり、植木町道の駅の土地疑惑である(何れ詳報)。

 本欄で暴いた裏口採用のカラクリも手が込んでいる。かつて田尻、三角両市長時代は大雑把で、届いた得点表などお構いなく、依頼された受験番号をどんどん入れていったと云われる。所が幸山市長(西嶋副市長)は試験委託先幹部X氏と連繋、依頼人の受験番号を連絡、合格ラインの得点圏内に挿入する。従って疑惑が指摘されたとしても合格圏内ですと逃げられる。寺本氏は名誉の為小紙を告訴すべきであろう。




小紙協力者にお礼
 小紙には、各界から貴重な情報が寄せられています。中にはライバルを蹴落とさんとする賤しい物もありますが、多くは不正を糺す小紙の信条に賛同してくれている方です。正義感の発露の場として大いに小紙を活用して下さい。昨年はXさん、MAさん、ベムさん貴重な情報有難うございました。殆どペンネームですが、筆者は皆さんを信じております。ベムさん、今後もよろしく願います。この場を借りてお礼を申し上げます。



 昨年9月誕生した野田佳彦首相。当初は「可もなし不可もなしの人柄」と思っていた筆者である。が、初の所信表明演説?の時、演壇に立った際の野田首相を見た筆者は一瞬にして「この男は曲者、並みの男ではない」と直感した。これは単なる私見であり、当るも八卦当らぬも八卦の類である。

  その日、演壇に立った野田首相は、会場に向って深々と頭を下げたが、その下げ方が異常であった。これを読んでいる読者が気付いたかどうか。野田首相は腰を45度折り曲げ、バカ丁寧に低頭した。通常首相たる者、挨拶などは「く」の字程度で充分ではないか。それより一寸深くても違和感はないだろう。それを野田首相は直角と云える程腰を曲げたのである。

 あの日から早や4カ月が過ぎたが、国会答弁で気に障る質問や、野次に対する態度に筆者が思った通りのイメージで答弁するのを見た。でっぷりした体躯と人を突き通す様な目付きが気にかかる。今後政局で追い込まれた時、野田氏は常人が考え及ばない想定外の行動を執るのではないか。必要性は分るが、景気浮上が第一の現況下で執拗に消費税増税に拘る気持が理解出来ない。財務官僚に取込まれているとは云え、世論を無視した態度は、何かに憑かれている様にも見える。依怙地な性分は充分読み取れるが、これで一国の首相として、国民の負託に応えられるのか甚だ疑問に感じるのである。石原都知事が国政に向けて動き出した。自民党を率いて2年間だけの首相で現状打開はなる。



メディアは市当局の発表たれ流し 被害者善・加害者悪の構図作る
若手職員の虚言癖見破れず

 熊本市は昨年12月26日市職員の不祥事について4件10人の処分を公表した。26日と云えば御用納めの2日前である。処分はもっと早めに決められるが、パワハラ事件はその前日、2人の上司を停職6カ月の処分を行い、その結果を待って他の3件と共に26日に公表したのである。2日後は御用納めで正月の休みに続く。世間が忘れ易い日を選んだと見る筆者は"拗ね者"か。当日付新聞テレビニュースは他の3件は目になく「パワハラ」を大々的に報道、熊日など年明け以降シリーズ化して報道している。ここで筆者が云いたいのは各メディアとも"熊本市は"とか"人事課によれば"の記事ばかりである。かつて小紙は、これらメディアを"市の広報になり下がった"と批判したが、未だにこの始末で、"足で稼いだ記事"は殆ど見なかった。

 小紙もメディア報道を受けて市役所関係者から情報収集を行った。当初は加害者とされる参事と係長を糾弾するつもりであったが、心の何処かで「2年半も外部に漏れなかったのは被害者側にも何らかの問題があるのではないか」との疑念を抱いた。各メディアは「農水商工局の出先機関」とだけしか報じなかった。何故か未だに出先機関名は公表されていない(尤もネットオタクの間ではすぐ熊本市水産振興センターと所長名、電話番号、加害者名と家庭の電話番号までばらされたらしいと後から聞いた)。

 独自に取材にかかったが、水産センターに行っても「被害者、加害者の名前は教えられない」「事情は少し聞いたが後は人事課が担当だから分らない」と逃げの一手だ。上(上司)が駄目なら下(職員)があるさ、とこちらを当ったが口は固かった。で、加害者らがいつも接触している漁協関係に当り、加害者、被害者の氏名を特定、別ルートで自宅電話番号と住所を特定した。又、本庁内の小紙の支持者(市、県、県警に結構居ます)に情報収集を依頼、それを元に各人の身辺取材に走った。この間3週間で、又々発行日が遅れる一因となった。

 先ず発端だが、11月9日に被害者とされる若手職員(以降A君と称す)が祖父(75歳)に伴われて水産センターを訪れた。手には抗議文(祖父が作らせたらしい)A4用紙2枚分が出され、強い言葉で祖父が抗議した(と思われる)為すぐ人事課に問題を通報した。この時「加害者」にされる二人の上司は研修か何かで関西に向っていたらしいが「確か所長補佐だったと思うが電話で呼び戻す声を聞いた」と職員の一人は話す。翌日から水産センターの所長以下全職員の事情聴取を人事課の担当係長が中心になって行った。報道では何度も行った様に書いてあるが、少ない職員は1回、多い職員で2、3回で、一部職員は課長、局長からも聴かれている(本庁職員談)。


被害者家族の実像と虚像
若手職員Aの生い立ちと環境

 新聞などの報道で被害者の若手職員とあるA君が育ったのは市の南部の住宅街の外れに在る。ずい分前に倒産した住宅会社が建売りした60〜70戸の住宅団地内に在る。袋小路の一番奥まった所に在るので近所の聞込みは楽と思って訪れた。2、3軒に当ったがどの家庭も口を揃えた様に「あそことは係り合いたくありませんので他所で聞いて下さい」とか「さあ、付合いがありませんから何も分りません」と取材を拒否した。「何かある」と思ったので団地内の離れた家と、A君と同級生が居る家庭を探して歩いた。その結果又聞きながら家庭状況が判明した。

 現在のA君方は、祖父と母とA君の3人家族。祖父は10数年前まで南部地区でAモータースの名でバイク屋を営んでいたが道路拡幅にかかったのを契機に廃業した。祖母は数年前ガンで病死。母は1男3女の長女で姉妹皆頭がよく、母も熊高―熊大教育学部を出て中学校の教員になった。その後銀行員と結婚、A君を儲けたが、A君が2、3歳の頃性格不一致を理由に離婚した。A君は教員の母より祖父母が中心になって育てられた。所謂「おばあちゃんっ子」である。その後母は南部の市立中学校勤務を最後に「ウツ病」で休職したが、そのまま復職する事なく退職した。祖父は厳格な性格で人嫌いの変り者との噂。母は、よく云えば几帳面小紙流に云うと神経質気味。



 阿蘇に源流を発し、熊本市街を貫流して有明海に注ぐ白川は、総延長68キロの一級河川である。この白川には、上流立野地区から第1支部、熊本市の第5支部まで沿岸町村の漁業従事者が加入、組織する白川漁業協同組合がある。現在の組合所在地は菊池郡大津町錦野、代表理事組合長は坂田拡穂氏である。坂田氏は元山口系大門組坂田組の組長であったが平成7、8年頃引退し、坂田組二代目は、当時若頭をしていた長利某が継いだ。

坂田氏はその後菊池郡大津町で不動産業を始め、現在に至る。坂田氏が白川漁協第3支部の組合員になったのは後藤組合長の時である。この後藤について小紙は、平成11年10月号で「後藤守の悪業 白川をめしの種に三十年」の見出しで白川漁協を私物化していると糾弾した。後藤氏はその年の総会(6月)前から取材に動いている小紙の事を知り「次の総会で熊本市区(第5支部)から出ても理事推薦はない」と知り、大津町の第3支部で、既に理事に選出されていたFと取引をして理事に滑り込んだ。その上、管理部門に配置されたのに不満を唱え、「渉外部」に変更を要求したが、それも小紙の報道で潰れた。この時期、後藤は有力暴力団幹部らと会って小紙の発行を「どうしたら阻止出来るか」打合せを行ったが、翌日小紙が発行された為「阻止工作を断念した」とは関係者に後から聞いた。

この後藤氏は河川法を楯に白川沿岸工事や、開発業者、立野ダム工事請負業者などから協力金として工事高の1%を得てネコババ。その他ゼネコンなどに接待を要求したり、高級クラブの飲代のつけ回しをするなど"夜の帝王"として名高い存在であった。河川法が改正され、開発業者が漁協の印を貰う必要はなくなったが、悪しき習慣として未だ工事費の0・5〜1%の協力金が支払われている。又、工事業者に「因縁をつければ金一封が出る」と語る組合員も居て、組合の会計明朗化が望まれているのも確かだ。

白川漁協は、立野地区を第1支部として熊本市(小磧橋より上流)の第5支部まで5つの組合があるが、理事は第1支部が2名の他、各3名が定員で、14名の理事の中から代表理事が選ばれる。推薦されたりして1人だけの場合無投票だが、複数立候補者が居る場合は選挙で過半数を制した者が代表に就任する。任期は3年で、前組合長の坂口氏は平成20年に選出されたが、平成22年2月、酒の席で酔っ払い、女事務員に卑猥な言葉を投げた為、同女が坂田氏に泣きついた。以後事務員は反坂口に回り「坂口組合長が居る事務所には出ない」と云ったとかで、坂田氏は組合事務所を熊本市吉原町から大津町の現在地に移したのである。この少し前から坂田氏が組合の経理から数万〜20数万単位の金を持出して流用するようになった。これに対して坂口組合長が注意するが一向に聞く様子はなかった。これらが坂口、坂田間の確執となり、前記女事務員問題以後坂田氏が坂口組合長の辞職を要求するようになった。これに嫌気して坂口組合長は22年6月に辞表を提出、8月20日付で受理された。
その後組合長に就任した坂田氏は「給料は不用、無償でやる」と云っていたが23年12月に開かれた臨時役員会で役員報酬を復活、組合長に50万、副組合長を6万、理事3万を支給した。同年、理事達から公金流用を追及され、辞職を迫られたが「吉原橋がすむまで待ってくれ」と頭を下げたという。吉原橋は県が架替えを計画、本年着手する。



 去る1月15日福岡高裁は一審判決を不服として県警(県)と原告の山田博徳夫婦が控訴していた「損害賠償訴訟」の判決を云い渡した(元県警首席師範山田博徳氏が県警を相手に提訴した)。

 西謙二裁判長は一審判決をそっくり踏襲して「いじめの事実はあった」として被告県警に200万円の支払いを命じた。判決理由で西裁判長は「いじめの行為は認められるが、死亡との因果関係はない」といじめは認定したが、死亡との因果関係は認めなかった。いじめ認定の根拠となった証言は、当時山田真徳氏と交際していたNA巡査部長(当時巡査)の証言「一番(死亡原因)はいじめがあったことだったと思います」に尽きると思われる。熊本地裁もこの証言を重視したのは当然と云えよう。現職の警察官が"身の不利"を承知で証言したのである。又、いじめたとされるのは、自殺した真徳氏が在学中であった警察学校で剣道の教官を務めていたMS氏である。一審判決文中では「MSらがいじめた」と表現しているが、MS氏以外の人物の特定は出来ていない。いじめがあった証言のNAについては後述するが、MS氏が結婚した時の仲人は山田博徳氏夫妻であった。警察社会は恩義を重んじる社会である。MS氏も証言で「次第に山田師範の剣道部運営に従いていけなくなった」と証言しているが、この言葉は多くの特練部員が語っている。対立していたとされるKT氏にしても「山田師範の指導を受け、当初は尊敬していたが、次第に尊敬の念が薄れた」とはっきり証言している。即ち、山田博徳氏の自己中心主義的思考が部員に嫌われたという事ではないのか。

 福岡高裁判決翌日の新聞各紙は「2審も『いじめ』認定」「県警剣道部巡査自殺因果関係は認めず」と殆ど同じ見出しで判決を報道した。見出しを見る限り「いじめ」が存在し、それが原因で巡査は自殺したと解する読者が多いのではないか。小紙は毎日新聞が"スクープ"報道以後一貫して「巡査の自殺はいじめではない。交際中の女性巡査の二股交際を知ったのが直接の原因」との報道を続けた。山田夫婦が提訴した訴状は、いじめの証拠能力が乏しかった。それ故か平成22年10月20日の法廷で長谷川裁判長は「訴因の追加的変更をしてはどうか」と原告側に提示、原告側もこれに応じ「本件請求の趣旨3項を5項に追加。訴因追加の1、真徳の慰謝料請求権の相続。ア、もし仮に県警察官による亡真徳に対する精神的、肉体的攻撃(いわゆるいじめ)と、亡真徳が自殺した事との因果関係が認められないとしても亡き真徳は、この様ないじめによって著しい精神的苦痛を受けたものであり慰謝料請求権を有していた」中略「いじめの期間は平成13年4月から同16年の死亡するまで」として原告両人に550万円の支払いを求めるとするものであった。提訴した損害賠償金は6900万円プラスであった。が、判決は、前述の通り追加的変更の請求額に対して200万円を払えである。加えて訴訟費用は30等分し、その29を原告(山田側)に、その余を被告の各負担とするとした。訴訟費用負担から推察すると素人のわれわれは30の責任の内県警側の責任は一つというと解釈する。即ち、山田氏側の訴えは1/30だけ認められたという事だろう。

 メディア各社は一審の判決文を入手している。その中に「NAとの関係が自殺の原因」とはっきり記されている。にも拘わらず剣道部内のいじめを中心に報道するのは如何なものか。


勝者なき灰色判決 いじめ証言の女巡査部長
自己保身で正義が曲った

 小紙が謂う所の山田裁判は高裁判決で結着した。県警側は最高裁への控訴も検討したと聞くが「この判決を覆す新証拠はない」として上告を断念した。山田側も同様の判断をした様だ。7000万余の損害賠償金の請求に対して200万円は余りにも少ない(と筆者は思う)額だ。金額で判断する気はないが、この訴訟で山田博徳氏が失った物は余りにも大きかった。それは同期の元幹部の一言に集約される。「山田は40年間県警で飯を食った人間だ。その県警相手に訴えを起したのはミスだったと思う。加えて共産党系の弁護士を選んだのもマイナスに作用した」である。

 小紙が主張し続けたように、真徳氏の自殺の原因は"初体験"相手のNA巡査であった。小紙で連続報道しているので、NAについてはここで蒸し返さないが、男性読者諸君、貴方の初体験の女性、頭に残っていませんか。結婚するまで何人かの女性を知り、その女性達の記憶は薄れても初体験の女性(例えブスでも)は忘れていないと思う。亡真徳氏は、「結婚する」とまで惚れ込んでいたNAが、事もあろうに自分が先輩とも、剣道教師とも思って信じていた世帯持ちの上司と男女の仲であったと知った時の落胆、悲しみ、苦しさは察して余りあるものだ(筆者も似た経験を持つ)。

 事件の後NAは荒尾警察署に異動となったが、ある時電話に出たNAに上司が「誰からか」と聞くと交際相手であった「AKさんからです、頑張れよと云われました」と話したと云う。NAとAK氏の交際は、当時剣道部員の一部の者は感づいていたと云われるが、NAが「師範の息子に手を出しているのは知らなかった」と一様に驚いていたのを思い出す。そのNAだが、「何故山田側の証人を承諾したか」は未だ謎である。色々な説を耳にしたが、ここでは筆者の思いだけを書く。

 事件後NAは巡査部長に昇進した。針の筵と思われる県警を辞める気もないようだ。そのNAが何故自己に不利な証言をしたのか。通常考えられるのは「自己保身の為に敢て山田側の証人に立ち、いじめが原因と逃れている」という見方だ。真徳氏の自殺の責任が「自分にある」と思いたくない、思われたくないの一心であったのか。それともせめてもの罪滅ぼしで山田夫妻に味方したのであろうか。彼女の証言が原告優位に働いたのは否めない。証言での「首の傷」については何度も云う様だが「故意と無意識」の区分は不可能と剣道関係者は断言するが、裁判長は「故意」と認めた。今回の"山田裁判"を小紙は「勝敗なき判決」と結論づけている。


県警 所属長24人勇退 トップクラス春の大異動長
生安、組対強化か

 熊本県警の今春の人事異動は、かつて例がないと云われる程、各トップが動く。警視以上の所属長24人が一斉に勇退の期を迎えた為である。「小紙は異動の一覧を入手した」と書きたい所だが、県警はそこまで甘くない。で、本部の部長クラスと市内3署に絞って、あちこち探りまくった結果と、これまでの慣例のルートを勘案した異動を予想してみた。従ってはずれもあると思って頂きたい。 

 先ず市内3署、現在1強2弱と云われている切れ者署長の後任は九州管区警察学校教務部長U氏が帰任して就任する。大分劣る南署長の後任には本部交通参事官のT氏。もっと劣る東署長の後任は本部刑事部参事官のY氏が就く。次は本部。刑事部長にはI首席監察官が昇任。警備部長にはT警備部参事官兼警備一課長が昇任。生活安全部長には同部参事官兼企画課長が昇任。交通部長はN天草警察署長が昇任。警察学校長にはO宇城署長が昇任すると推定する。

 各部署の勇退者は地方自治体や百貨店、金融機関、大学等に再就職するか、殆どが既定のルートで、先輩の後を継ぐ。金融機関の一行だけは新たなポストが用意されているようだ。暴排条例の導入で警察官の天下り先が増えたと云われるが、警視以上は身分が国家公務員となる為再就職先が限定され警務部は再就職斡旋に苦労しているらしい。
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