熊本県民新聞 WEB版
本紙の信条

トップページ
コラム
バックナンバー


■ 発 行 所 ■
〒861-8034
熊本市東区八反田1丁目14-8

発行者:福島 宏

電話:096-234-8890
FAX:096-234-9883


*
 「一般社団法人熊本県クレー射撃協会」(柳一朗会長)が使途不明金問題で揺れている。同協会は、平成十八年四月一日、熊本県指定管理者に選定され、平成二十一年四月に一般社団法人化した。熊本県総合射撃場は、平成十一年開催の熊本国体に併せて十四億円余が投じられて建設された。当初は県教育庁体育保健課管轄の熊本県スポーツ事業団が運営に携っていたが、平成十八年から指定管理者制度の導入で、体育保健課管理の他の五施設と共に民間管理に移行した。総合射撃場指定管理者に応募したのは、県クレー射撃協会、県スポーツ事業団、JS(母体は再春館と云われている)の三団体が応募。選定委員七名が採点した結果、クレー協会411・7点でトップ。次点はスポーツ振興事業団の407・7であった。が、これはあくまで表向きの県のゼスチャー。入札の数ヵ月前、倉重剛県議がクレー射撃協会幹部に「射撃場は近く第三セクになるのであんたの所が取れ」と話を持ち込んだ。

  当時倉重県議は熊本県体育協会常務理事、スポーツ振興事業団の情報が得やすかった。倉重県議の意?を受けた当時のクレー射撃協会執行部は入札に向けて必要書類の作成に掛った。上部団体である(社)日本クレー射撃協会(麻生太郎会長)に指示を仰いだが、当時のT副会長が「倉重には仕事をさせない」として申請書類の作成に協力しなかった。その為、県クレー協会幹部が上京、麻生太郎会長に直訴した(当時の関係者談)。その結果日本クレー協会からT副会長とO事務局長らが来熊、書類作成を指導し、出来上った書類を提出して選定にパスした。指定管理者選任について、教育庁保体課補佐は「倉重県議が口利きした事はありません。外部委員の公正な判断でクレー射撃協会が選定されました。それまで年間六千万円以上掛っていた運営費が三千六百万円余に下ったので効果は大でした」と語る。が、前述の様に関係者は「申請すれば選定間違いないと確信していた」と出来レースを周囲に語っている。

  発足時の会長は高木繁幸氏、副会長柳一朗氏、事務局長倉重力氏が就任した。指定管理料三六、八八五、〇〇〇円は、利用料金制の為、一定以上の水揚げ分の使途は協会の自由となっている。教育庁保体課の二十年度管理運営評価の前年度値二六、五二八、二七〇円。実績値三〇、三六八、〇四〇円となっており、年度管理料三千六百万円余にプラスすると年間六千万円を超え、運営資金は潤沢である。その所為か、発足後二年程は高級クラブで一人五万円を費ったとか、本部役員が来熊した時など豪勢な接待をしたなど逸話が絶えない。

  そんな中で平成二十年度に日本クレー射撃協会から支払われたとする約六〇〇万円の使途が不明朗として地元協会員と、日本クレー協会から説明を求められているが、県クレー射撃協会の幹部らは出納帳の公開を頑に拒否したという。県クレー射撃協会が日本クレー射撃協会に協力しないのは日クレの不明朗な会計に端を発し、旧執行部の人事刷新を行ったが、これに旧執行部が反発、内部紛争真っ最中(四面詳報)といった事情がある。

  県クレー射撃協会(以降協会と称す)も「不明朗な経理がある」と云われる。その一例として左記に掲げた領収書の写しをご覧頂きたい。上の受領書は日本クレー協会から協会宛二十年七月二十八日付で請求があった「クレーマガジン十七台分」である。実は、この機械の納入は前年十月十日にメーカーから協会に納入。メーカーが日本クレー射撃協会に同月二十八日付で請求しているものだ。受領書の宛名も熊本市クレー射撃場となっているのを熊本県に訂正。受領者は日本クレー射撃協会事務局長であるのに訂正印は何故か県の協会印が捺されている。しかも現金手渡しだ。市内ならともかく、上京してまで手渡しする理由はあるのか。事務局長の大江直之氏は勤務歴が長い為現在微妙な立場に位置している様である。


射撃場運営に不信感募る
事務局長に月給50万円

 熊本県クレー射撃協会が県の指定管理者に選定された経緯は前に書いた。倉重剛県議からのアドバイスで旧執行部が入札に参加、次点に数点の差で選任となった。発足は平成十八年四月一日、会長副会長と共に倉重力氏が事務長に就任した。倉重氏の報酬は月額四十万円。関係者によると「これ位貰わんと引合わん」と当人が云ったとか。事務局長の出勤はトータル月の半分か(関係者談)、タイムカードなど勿論なし。その四十万にプラス十万で、月給五十万になったのが平成二十一年四月から。余りの高給に関係者達が柳会長(高木繁幸会長が辞任後柳氏が副会長から昇格)に苦情を申入れた所、柳会長は「倉重先生(県議)と当初からの約束」とか「倉重先生に云われたから」と弁解(複数会員の話)した。上田清一副会長も「幾ら払おうと協会の勝手だ」(総会出席者)と発言。確かにその通りではあるが「仕事量から見て高い」の声がある。「元々事務長など居ても居ないでも済むが、組織上名目的に置いたのではないですか」と当時の関係者は語っている。通常の事務は二名の女子事務員が担当、別に陸自を定年退職した場長が居るが、大会などの行事がある時以外は会員の利用も少く(会員数六十名弱)事務量は多くない。

  本年四月、会員からの要請で「管理運営委員会」が設置され、“透明化”が図られたが、それまでは、会長、事務長、M場長の三人が運営を担当していて、会計帳簿などの公表はなく、会員達も運営状態を知る術はなかった。同射撃場に勤めていた元職員の一人は「会計など丼勘定でした。期末がくると事務員は柳会長がオーナーのホテルに詰めて書類を整えていたと聞いています」と語っている。「領収書なども一夜で一人五万円の高級クラブ代とか、コピーの領収書まで動員していた様です」と元職員も語っているが「帳簿を見せないので何も確認が出来ない」と役員の一人は不満を漏らす。これらを電話で柳会長に(会長多忙な為)ぶっつけた。「使途不明金と云われている三十四万余は、日本クレー射撃協会(以降日クレと称す)から八十四万余の請求が来た時、協会にお金がなかったので五十万だけ払った。その後、三十四万余については日クレ側に『負ける様交渉したら考えましょう』と云ってくれたので、以後日クレからの請求を待ったが来ないので、一旦私が受領書を書いて協会の金庫に保管している」「三年経っても払っていないのはおかしいではないか」と筆者。「その通りで、こちらは四万円でも五万円でも負けてくれて請求が来るのを待っているが、請求が来ない。何故請求して来ないのか不思議だ」「倉重事務局長の五十万の月給は高過ぎないか」「それだけの仕事をしてくれているので高いとは思わない。仕事量に見合った報酬と思っている」と会長。〈四面に続く〉



 十一月七日の市長選で幸山政史氏が三選を果した。先ずは「当選おめでとうございます」と申し上げたい所だが、広報代を貰ってない小紙の僻から「次期任期は大変ですよ」とご忠告申し上げる。又、熊本市民も`能なし市長aの三選で四年間隠忍を強いられる事間違いなしと断言出来る。

今回の選挙の投票率36・18%、歴代ワースト2である。それでも得票だけ見ると16万9千余で過去最多だが、多いのは当り前。人口が年々増加している上、今回は植木町、城南町、富合町三町が`編入aされて有権者は五万三千人余が加わっての約17万票である。この辺を熊日新聞11月9日「検証熊本市長選」「『36%の民意』」「上」の中でいい分析をしていたのでお借りする(厚顔か)。

「今回、幸山が獲得したのは16万9517票、四人が戦った前回を約5千票上回り、同市長選としては史上最多得票となった。旧富合、城南、植木三町との合併で有権者が前回より約5万3千人増え過去最多となったのも大きな要因。投票率が前回を17・57%も下回る中『最低限の目標得票数』(幸山陣営)は確保した格好だ。しかし、当日の全有権者に占める同氏の得票数(絶対得票率)は29・46%と、前回の31・46%から2ポイント低下。新人二人を相手に、幸山に投票したのは有権者のうち三人弱。以下略」敢てこの記事をお借り(勝手に)したのは、今回の市長選で幸山市長を辛口批判したと見たからである。同じ熊日でも前日八日の当選直後を報じる記事の中の「解説」では「二期目の失点がほとんどなかった。事実上の信任投票」(幸山支持議員)。

「陣営関係者も『植木、城南との合併を成功させ、政令市をほぼ確実にした時点で勝負は決った』と話す」として他者の弁を借りて幸山を持ち上げている。その後で「ただ課題は多い。幸山氏が選挙戦で訴えた公共交通網。中心市街地の『再デザイン』裏を返せば二期八年で成し遂げられなかった『宿題』でもある」と記されているのが救いと云えば救いか。幸山氏とメディアの食事会、否定する訳ではないが、小紙より何倍もの情報を持つ熊日を始めとするメディアに今少し奮起して貰いたいと願うのは筆者だけではあるまい。

で、ここからは小紙が小耳に挟んだ幸山二期八年間の幸山評。先ず唯我独尊的性格とは身内の市幹部、心ある市議、経済人の多くが挙げている。次に自己保身の強さ、顕示欲の強さも外見以上。市民よりの前に市長の自分が在るとの異様な自負心を指摘する人も多い。選挙前もメディアの多くは30%行くか行かないかと予想していた。幸山陣営に近い人物は「幸山市長は20万以上はいくと見ていた」と話す。が選挙中に「相当低投票となりそう」の情報を得て、市職員、選対関係者に「もっと努力を」と指示をしている。熊日が報じた「失点がなかった」ではなく「何も出来なかった」のを市民が気付かなかっただけである。


不倫市長幸山政史殿
政令指定都市運転大丈夫ですか

幸山市長が選挙前から唱えだした「九州ど真中、日本一くらしやすいまち」作りがある。「九州ど真中」については「だからどうした」という答えしか出ないだろう。

江戸、明治の時代なら人と物の動きは陸路か、海路しかなく距離が重要であった。従って九州にあっては鹿児島、宮崎、大分、福岡を周囲に持つ熊本が利便の存在であったろう。だが二十一世紀の今日、新幹線全線開通、高速道の整備が進み地勢的にも熊本の優位性はなくなっているのである。九州の玄関口と云われた下関市(旧)は一時栄えたが、その後凋落し、福岡市が実質九州の州都となった。原因は多々あると思うが、筆者としては福岡市の地勢が優位に働いたものと思っている。開けた海と広い平野が近代都市の条件に適ったのであろう。熊本では、知事を始め、幸山市長、議員らが「州都は九州の真中に位置する熊本市に」と、県民運動として盛り上げようとしているやに思える。が、福岡県下の経済、政界の有力者は「仮に州制が導入された場合、福岡市が州都になるのは当然」と思っており、日常余り話題にも挙っていないという。

次に「日本一くらしやすいくまもと」(作りと思う)のキャッチフレーズも、その気になっている市民が何人居るのか。大体「○○一」「日本一」「世界一」という言葉は安易に遣うべきではないと云われている。絶対的裏付けが難しいからである。幸山氏は、一体何を基準に「日本一……」と云っているのであろうか。広大な外輪山を持つ阿蘇は確かに日本一かもしれないが、幾百もの要素が必要な都市機能を含む自治体を日本一に出来るのであろうか。交通網一つとっても課題は多い。加えて失業率は高まり、生活保護家庭は増加中。強引な合併の見返りで旧植木、城南、富合町などに投下する資金手当ての方策はあるのであろうか。首長や旧町議らの優待的給与は旧熊本市民に不利な条件である。ま、政令市に移行はほぼ確定と見るが、先ずは初代政令市長のお手並拝見といきますか。失政間違いなしと見る有識者が多い事を知って頂きたい。

筆者にも愛郷心はある。身の丈に合った、小さくてもいい、温かく包容力のある熊本市を目指せないのだろうか。大きい事が必らずしもよい結果を生むとは思えないのだ。


幸山市長 キャッチフレーズ好みで中身なし
わくわく(湧)都市って何?

幸山市長のキャッチフレーズ好きは、他の中核市長に比べて抜きん出ている。紙面の都合で他市との比較は行わないが、以下に見る熊本市のキャッチフレーズを見れば、数の多さと、中味の空疎が判ると思う。下敷に本年三月三十一日付朝日新聞36面一頁広告(下二段は民間建築会社)で、朝日新聞社論説委員との対談形式の中で述べている幸山発言で進める。

この広告は、熊本市が周辺二町との合併を果した際に企画されたと思うが、合併、政令市への道については全てのメディアが報道している訳で、何も大金を遣って広告までする必要はないと筆者は判断している。この対談の右上には大きな字で描かれた「湧」が浮び、幸山市長の顔がどでかく出ている。何の事はない公費を遣っての選挙向けPRであろう。この日の一日前、北九州市は毎日新聞九州版に二頁見開きの大広告を打っているが、この広告内に北九州市長の写真は疎か、名前さえ出していない。北九州市の観光地を写真の多用で宣伝しているだけである。

で、本題。この対談の中でも幸山市長は「わくわく都市くまもと」を使い「熊本城や地下水、農産物などの本市ならではの特色に、歴史に基づくストーリー性を持たせ熊本の魅力の裾野を拡げていく取り組みを進めています。市民の皆さんとともに、`わくわくaするような魅力あふれるまちづくりを進め、多くの人に訪れてみたい、住みたいと思われるような『選ばれる都市』を目指していきたいと思っています」で結んでいる。

「わくわく」は別な場面では「湧く湧く」を使用しているが、この二つの言葉、意味が異なるのは誰でも判る事と思う。言葉の詳細は省くが「わくわく」と「湧く湧く」は同意味の共通性は乏しい。辞書にも「湧く」「涌く」はあっても「湧く湧く」という言葉は掲っていない。語意論は別にしても、「わくわく都市くまもと」で、一般市民は何を感じるのであろうか。幸山市長が秘書とラブホテルに行く時にはお二人ともわくわくしたと思うが、われわれ一般市民に、こんなキャッチフレーズはピンと来ないのである。この他、「九州ど真中」が大好きな様で、色々な場面で使っているが、交通機関が発達した現代、他県に比べて何の優位性もない。「男女参画」「市民協同」も好んで使われているが、少なくとも筆者には漠とした意味にしか理解出来ない(九大など夢の又夢のボンクラであった為)。熊本市民が現在一番望んでいるのは地域経済の浮上である。九大経済学部卒の学歴を生かして経済対策を是非お願いしたい。


お義理の辻立ち
退庁途中に水道町で

下の写真は、選挙中の或る日の夕方、水道町交差点で辻立ちする幸山氏である。撮る気はなかったが、筆者が執筆中にハンドマイクで煩く喚くので「記念に写真でも撮るか」と現場に赴いて撮した物である。

筆者が撮った直後、予定時間がきたのか、立止る市民が居なかったのか、マイクをお付きの男性に渡し、傍らに置いていた通勤カバンを持った。何の事はない`楽勝選挙aに義理の辻立ちをしたとしか見えなかった。「勤務帰りに一寸辻立ち」といった所か。ここに幸山氏の人格を見る事が出来る。即ち前回は佐藤達三氏出馬で慌てた。が、終ってみればダブルスコアの大勝。今回は共産党系候補と、無名の新人である。余分なエネルギー(運動員、パンフ、金)を遣わないのは彼の常識。お陰で親父は現げん金なまが残った?。幸山市長が真に市政を思うなら、選挙期間こそ街角で直接市民に訴えると思うが、自己中の男にそんな心はないか。





 尖閣沖で、日本の巡視船「よなくに」が日本領海内で操業していた中国`漁船a「晋漁5179」に領海侵犯を警告の為漁船前方を横切った。しかし漁船は速度を落さず「よなくに」の後部に衝突して逃走を始めた(よなくにの側面には遠くからでも見える様に電光掲板が設置されている)。その為近くに居た僚船「みずき」に連絡、みずきは停船する様に指示をしながら漁船の少し前を併走中、急に速度を上げた漁船がみずき右舷後方に衝突したのは流出したネット動画で鮮明に確認出来た。その後二船でこの漁船を挟む形で強制的に停船させ、みずきの保安官六名が中国船に乗り込みエンジンを止めた。この時漁船の船長・其雄は「かなり酒に酔った状態」であったらしい。その後、海保は漁船と船長、乗組員らを石垣島に連行、翌八日・船長を逮捕したが、この時の模様もビデオにきっちり撮られているが、菅政府は公開する気はない様だ。その後の経緯は小紙前号でも触れており、各メディアも大きく報じているので省略する。

  小紙は前号で「日本メディアのおかしな報道」の見出しでこの一連の事件報道に対するテレビ、新聞の姿勢を批判した。中でも「中国漁船と b巡視船が b衝突」との表現について「中国漁船が b巡視船に b衝突」が正しいのではないか」と苦言を呈した。衝突前後の映像が流出した途端、各メディアがその様に表現を替えた。何を恐れて「漁船と巡視船が」と云ったのか。政府の迷走がよく問われるが、メディアも中国の逆鱗に触れない様にとの心配りが目につく。中国漁船長逮捕後の中国政府の態度は高圧的で日本を嘗めきったものであった。

  九月七日、海上保安庁が中国漁船を連行した直後、中国外務次官が丹羽中国大使を呼んで抗議。未だ何もはっきりしていない時である。八日中国船長逮捕、菅内閣は「国内法に基づき粛々とやっていく」と意気軒昂発言。直後中国は東シナ海ガス田の日中条約交渉延期を発表、ガス田「白樺」への機材搬入、発掘再開を始めた。又、一国の大使を深夜国務委員が呼び出して恫喝。二十一日温家宝首相が船長の無条件釈放を要求すると共に「新たな対抗措置をとる」と脅して来た。

  二十三日レアアース対日輸出の禁止公表、日本の民間会社フジタ社員を強引に拘束。理由は「軍事禁区」に許可なく立入ったというもの。しかし、現場のビデオ映像を見る限り、フジタ社員らは「警戒線」の警告板の前から引き返している。その先は鉄条網が張られていて簡単に入る事は出来ない。中国政府の意図は漁船長逮捕に対抗する為の「人質」を捕ったのであろう。以降菅内閣は腰砕けとなり、那覇地検の`判断aで船長を釈放した。後に仙谷官房長官の指示が浮上しているが、仙谷は一切認めていない。菅首相も「検察が適切に判断した結果でしょう」と他人事の様に嘯き、未だ政治関与を認めていないが、日本国民もそれ程バカではない。強烈なシッペ返しが待っている?。


海保・一色主任航海士の勇断
ネット投稿で事実を知らされた国民

 菅政権が極力中国を刺戟しないようにとの配慮から「尖閣事件」の矮小化を図って来たのは皆さんもご存知の通りである。

  ・船長を逮捕直後に日本政府は漁船が巡視船に衝突して来た時の映像を公表すべきであった。これをやっていれば中国政府の態度も相当変っていた筈、と思うのは筆者だけか。菅首相(実質的に指揮を執ったのは仙谷)ら閣僚は極力映像の公開を渋った。が、野党の要求を呑んで十一月一日国会で議員限定として僅か七分程の映像を流した。だが天網恢恢疎にして漏さずの喩え通り五日後(正確には四日後)インターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ」に衝撃的映像が流出した。流出したのは四日午後八時過ぎから翌五日の午前八時過ぎまでの二十四時間。この公開した時間にどんな意味があるのか一色氏に聴かなければ分らないが、勇気ある一色氏が事件現場の映像を流した事で、菅民主政権に与えた影響は計り知れない出来事となった。

  首都圏の新聞は夕刊一面を遣って報道。夜のニュースも流出映像に大きく時間を割いた。六日朝刊全紙は、「尖閣ビデオネット流出」とほぼ同じ大見出しでこの事実を報道した。筆者も早速ネットに接続、映像を入手したが、これ程リアルな映像は海上保安官による`内部告発aと直感した。何故か。それは小紙の経験からである。大手紙は当然として、小紙にも内部告発的文書、電話がよく掛かる。中にはライバルを誹謗中傷する物もあるが、大半は「物言えば唇寒し…」の職場に勤務する人である。例え正義であっても職場の不正、経営者の不正など一職員が進言すれば周囲に疎まれるだけである。特に正義感の強い者が内部告発に走る傾向がある。一色正春主任航海士が名乗り出た後、一色氏について「変り者」「正義感の持主」と二つの見方がある様である。筆者は後者を採っているが、その理由は以下の通り。先ず一色氏が勤務先の第五管区に近い日テレ系読売テレビの記者と事前に接触していた点である。読売テレビは、読売新聞系列で、四大紙の中では産経新聞と共に保守系と目されている。その前には映像が記録されているチップを米CNN東京支局に送付している事も判った。正に確信犯的行動である。犯と云えるかどうかは当局の結果待ちだが、巷間報道されている様な「犯罪者」に当るかどうか。読売テレビの記者とは綿密な打合わせ、アドバイスを受けている筈。当然弁護士の意見も聴いていると解するのが常識であろう。日テレニュースは次々にスクープ映像を流した。名乗り出る時間、巡視船の帰港時と、下船して来る一色氏(当時は顔ぼかし、匿名)の映像、担当記者を出しての経過報道。加えて一色氏が書いたとされる行動に至った心境等、我々日本人が知りたい事が全てこのニュースによって解き明かされたのである。政府首脳の慌て振りは見苦しく滑稽であった。「公務員守秘義務違反で逮捕」を検察に指示した。検察は大林検事総長以下幹部が政府の意向を容れて「逮捕説」。現場(捜査を担当する)の検事は「立件難」の案件と反発。結果的に国民の声に驚いた政府が逮捕を引っ込めた。その後、同映像が海保全体に周知する為に編集されていた事が判明。目下一色氏は任意で事情を聴かれている状態だ。海上保安庁にも一色正春氏の様な正義漢が居た事は、日本人にとって大きな救いである。


魚釣島に建立されている尖閣神社(伊勢神宮から分魂)
魚釣島に建立されている尖閣神社(伊勢神宮から分魂)

魚釣島の大岩に国旗を描く隊員
魚釣島の大岩に国旗を描く隊員



 幸山政史市長、初出馬で現職三角を破って当選。一期目の市政は五里霧中で何の成果もなし。いや、あった。例の秘書係長とW不倫であつあつの市政であった。二期目の挑戦は自民党市議団が佐藤達三を擁立、必勝を期した筈であった。

  所が公示前頃から自民党市議団が柳腰になった。いや腰砕けになって幸山は大勝した。その陰には涙ぐましい父の気配り、じゃなかった金配りがあったと聞いた。で二期目の実績は?というと、富合、城南、植木三町に「エサ」をばら蒔いて合併に成功、政令市への道筋をつけた。その間、市職員の不祥事が続出、歴代市長の中でワーストワンを記録した。しかし、幸山市長に反省の色は見られず、原因は「田尻市長時代に裏口採用した職員ばかりだ」と逃げる。

 だが市電が女性を撥ねた交通事故を交通局ぐるみで「相手が信号無視した」と事実を歪曲した事実はどう説明するのか。処分を受けたのは運転手のみ、上司の電車課長(こいつが運転手が赤信号だったと云ったのを青と云わせた)や石田管理者に何のお咎めはなかった。そして三期目の挑戦。幸山が数人を除いて信頼していない筈の自民党市議団が早々に幸山支持を表明した。これには市民の反発は強く「自民党も堕ちたものだ」と批判の声を多く聴いた。翻って隣県福岡市長はどうか。自、民を軸に七名が立候補(一人途中下車)して争い、自民、公明支援の高島宗一郎が現職(民主、国新推薦)を破って初当選した。元民放アナの知名度はあったが保守系政、経一体の支援が勝利に導いたのである。それに比べて熊本市は…ど田舎だ。
*
  * *