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問われる教育者のモラル
懇談会1時間・飲食3時間
-児童ホームで大宴会-

県下の小、中学校では春の新入学期が落ちついた4月下旬から5月にかけて、先生方の家庭訪問が行われた。かつては高級ケーキや、寿しの出前を取って先生方を歓待する時期もあったが、世論の批判もあって「お茶だけ」が定着した。そんな風潮が定着した中で、慈愛園を通学区に持つ市立砂取小学校では、校長以下殆どの教職員が慈愛園側から過剰な接待を受けている事が分った。慈愛園には現在41名の小学児童在園、砂取小学校に通学している。訪問懇談会が行われたのは五月初旬、慈愛園内児童ホームである。砂取小学校側は、松本幹男校長(59)以下23名が参加。

慈愛園側は、担当部署の子供ホーム西浦園長以下保育士10名、指導員5名が出席した。午後4時頃から始った意見交換は1時間余りで終り、園内見学後「飲みながら」の懇談となった。料理は慈愛園幹部と親しい某料理店からの仕出し。相当豪華であったらしく、ビール、焼酎、ワイン等も飲み放題であったという。学校側も手ぶらで来た訳ではない。一般教職員は千円、役付きはそれ以上出して切りのよい金額をお樽代として包んでいる。出席した教員の一人に直撃した所、匿名を条件に回答した。「貴方の云われる通り、相手が個人ではないものの、過剰な接待を受けたのは間違いかもしれない。学内の雰囲気としては、多くの子供を預る上、何かと苦労する子も多いので慰労の意味ととっていた様です。」と語る。

宴会は午後5時過ぎから始り同8時過ぎまで続いた。まだ陽も落ちていない頃から始った宴会は、園児達にどう映ったのであろうか。児童ホームのすぐ前には運動場もあり、この日先生方が訪れるのも知っていたので先生方の行動は気にしていたのではないか。その上、社会福祉法人という公費で賄われている場所で「会費」以上の饗応を受けた事は教育者としてのモラルを問われて当然であろう。

次は慈愛園側だ。同園の会計で「この様な接待費は出せない」とされる。学校側はお樽代を持参しているが、関係者の話では「その二、三倍は費用がかかっている」と云われる。差額はどの様に処理したか公表出来るのであろうか。一部では「いつもの様に互助会費から出したのではないか」と見ている。それとも児童の措置費から捻出したのであろうか。一寸横道に逸れるが、慈愛園に勤務する一部の職員は、この様な機会を利用して仕出しを余分に発注、関係者が分けて持ち帰るそうな。上が腐れば下も腐ると云うが、現在の慈愛園に創立時パウラス女史等が唱えた崇高な精神は消え果ていると行っても過言ではあるまい。潮谷総一郎とその一族が遺した禍根はいつまで続くのか。



塩谷一族が蹂躙した聖域慈愛園
-今秋90周年式典を予定-

慈愛園が正式に発足しのは大正12年4月(1923)である。

当時老人ホーム、婦人ホーム、子供ホームが完成して落成式が行われた。県知事以下知名士が出席、この席上。牧師で九州学院長遠山参良氏が施設を「慈愛園」と命名 した。従って本来は創立84周年となるのだが、慈愛園としては大正8年4月に開かれた日本福音ルーテル教会総会で、生活困窮者等救済の施設創立が認められた。この年を慈愛園創立の日と定めている節がある。それでも2年早いが、潮谷前知事(元乳児園長)は昨年「平成21年に園は創立90周年を迎える」と云っていたのだが、後半にな って「90周年行事を1年前倒しにする」としてミラーホーム他1棟の新築を急ぎ今春完成させている。

現在2名の専従員が90周年記念行事の賛助、協賛の為走り回っている。施設の創設を提言したのはネルセン女史とパウラス女史だが、最初に貧困家庭から赤ちゃんを引取って育てたのはネルセン女史(当時門司在住)であった。大正10年パウラス女史が新屋敷の借家でホームを開設したが、最初に預けられたのがこの赤ん坊であった。

その後、アメ リカのルーテル教会系団体から多額の寄付金が送られて出来たのが今の慈愛園である。(日本談義昭和26年4月号 )。創立は、この様にキリスト教の精神から生れた奉仕の施設であったが、潮谷総一郎氏が園長に就任し、パウラス女史が教会による定年制で日本を去って以後、慈愛園は堕落の坂道を転っていった事は小紙で以前にも書い たので省略する。現下の慈愛園を見るに、理事とは名ばかりの潮谷義子選、柏尾誠之選の理事が並び、園の改革への動きは全く見られない。



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