■ 冒頭の見出しに「棚牡丹(たなぼた)市長」と書いたが、その意味は八代市民であれば誰もが知っている比喩と分るであろう。
沖田嘉典市長が四選出馬を表した後、八代市職員採用に絡む収賄事件で逮捕された。その直後の市長選に社民、民主の推薦を得て立候補して初当選した時の実態を表したものである。
当時八代市には、自民党を名乗る支部が2つあり、夫々の支持者が独自の候補を推し、保守分裂選挙になったのは本紙前号でも書いた。
この時の得票は、中島氏18,722、沖田後継と目された永江明久前助役16,748、以下田方、上村、小早川3氏の順であった。 革新一対保守四の争いであった。保守が一本化しなかったとしても1人が下りていたら状況は変わっていただろう。
八代市民は革新市政を望んでいた訳ではなかった。俺が俺がのエゴが革新市政を生んだのである。
その証拠に、保守票を合計すると中島氏が得た票の約2倍である・・・
※ 上記内容の続きは、本紙購読にてご覧ください。
沖田市政の影を曳いた
八代市職員採用の透明性
■ 中島隆利氏は旧社会党熊本県本部副委員長を務めたゴリゴリの社会主義者、の筈であった。出身は九電労組、元々九電は公共性が強い企業の性格もあって労働運動にも寛容である。
中島氏は九電社員(休職扱い)の身分のまま、八代市議を二期勤めた後、県議の四期目(途中1回落選)の時、沖田市長の職員採用試験に関わる収賄事件で逮捕後の「出直し」選挙で初当選を果たした。
この時出馬した永江助役が「沖田市政の後継」と見られていたが、中島氏も県議時代から市長選では沖田氏を支援、逆に県議選では沖田後援会からの支援を受けていた。思想的には沖田氏と対極に位置するはずであるが、利害面で意気投合したのか常に沖田市政を支えて来た。
沖田氏逮捕後県警が押収したメモの中に中島氏の名前もあり・・・・・
2面記事に進む >> ※ 上記内容の続きは、本紙購読にてご覧ください。
|