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* コラム [毒含流行論]
2020年242号掲載
稀代の硬骨漢
岡留編集長を悼む

 元「噂の真相」編集長岡留安則氏が逝って1年が経つ。岡留氏が亡くなったのは平成31年1月31日。噂の真相休刊後移り住んだ沖縄・那覇市内の病院であった。この3年程前に軽い脳梗塞を患ったが、その時既に肺癌に罹患していたと思われる(2年後に肺癌が見つかった時に既に手遅れのステージ4であった)。

 現役時代、殆ど病気らしい病気をした事がなかったが、時折癌検診を行った時には「俺が罹るなら肺癌か肝癌だ」と編集長日誌に書いている。ヘビースモーカーで酒好きを自認した発言であったのだろう。

 「お別れの会」は同年3月30日、千代田区九段の「アルカディア市ヶ谷」で開かれた。呼び掛け人代表は故人と親交が深かった左翼評論家佐高信氏であった。会場の「富士の間」は500人を超える(参加者談)人々が参集、故人との思い出を語り合った(と思われる)。献杯の音頭は作家の筒井康隆氏。出席者の多くはジャーナリズム界(参加者談)で、文学、芸能関係者に加え保守系の評論家など多彩で、故人の交遊の広さを知らしめた。主な出席者の一人にカルロス・ゴーンの弁護士を務めて“時の人”となった弘中惇一郎氏も居て「彼(岡留氏)が名誉毀損で刑事告訴されたとき、ぼくが弁護人だったのですよ」と週刊新潮に語っている。岡留氏の逝去・「お別れの会」(賑やかに送る会)については先述週刊新潮、文芸春秋「蓋棺録」など多くの紙媒体が報じた他、NHKは4月5日の「ニュース9」で10数分間放映した。

 岡留氏は宮崎県都城市の隣町で生れ、宮崎県立都城泉ヶ丘高校に入学、同校では野球部だったと云う。法政大学社会学部に入学したが、当時吹き荒れていた大学紛争に触発され同大3年生の頃から全国学生共闘会議に参加した。「社会学部ゼミ闘争委員会」を組織して自分が所属していた「中野収ゼミ粉砕」を叫んで授業に介入した。後に法学部に学士入学、卒業したが所属派閥は「社青同系構改派」と聞いた。大学を出てもまともな会社が採用する筈もなく業界紙を経て「マスコミ評論」の編集長を務めたが、路線の違いから追放された時、一人を除く全社員が岡留氏と行動を共にし、それが噂の真相創刊に繋った。
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