熊本県民新聞 WEB版
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〒861-8034
熊本市東区八反田1丁目14-8

発行者:福島 宏

電話:096-234-8890
FAX:096-234-9883


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コロナ禍最中 宴会の席で
入社2年目 社員眼底骨折の重傷
 TKUの「ワンマン経営者」と云われる本松賢会長の子息が“優秀な営業力”を買われて「ヘッドハンテング」よろしく途中入社、早い出世で部長職に就いて程なく傷害事件を起こした。“正確な報道を”と思って幹部に面会を求めた筆者には“外出中”で面会拒否。これも3密を避けるため?。
 熊本市北区徳王町在の(株)テレビ熊本(本松賢会長)で、上司が部下の新人社員に暴力を振るい“全治3週間”の重傷を負わせる事件が発生した。熊本の民放テレビ第2局として創立された同社は「TKU」の愛称で知られるフジ系のテレビ局である。

 事件は、新聞、テレビで「3密を避けましょう」の大合唱が行われていた最中の4月初旬、同社の“歓送迎会”が北区のユウベルホテルで行われた(社員の又聞き)。その宴席で本松昌祐営業局事業部担当部長が「入社2年目の新人社員の態度が悪い」と云って突然殴りかかった。社員はまともにパンチを受け「眼底骨折」の重傷を負ったというものだ。関係者は「本松部長は相当酔っていた様だ」と話すが、だからといって暴力が許される訳ではない。この事実はすぐに社員達の知る所(当然役員も知っている筈)となったが、本松部長はその後も平常通りの勤務を続けた。収まらないのは社員達で「本松部長が本松会長の息子だから幹部達も処分が出来ないのだろう」と不満が燻り続けた。その空気を察したのかどうかは分らないが、会社側は「7月1日付で本松部長の2階級降格処分を行った」と聞いた(社員の又聞き)。

 本松部長は大学卒業(青学と云われるが未確認)後電通に入社、2、3の部門を歩いた後、4年程前に“課長待遇”でTKUに入社したと云われる。「電通に20年居た」と自称しているので年齢は46~7歳か。人物評は芳しくない。“電通”という花形企業に居たのを鼻に掛け、上から目線で物を云う。「会長の息子」だと誤った自惚れを持っているのか態度がでかいなど悪評さくさくである。
 暴行事件で「2階級降格」と云われるが、本人は本年4月1日付で副部長から部長に昇格したばかりであり、実質1階級の降格と変わりはない。傷害事件にしては甘いのではないか。



TKU 小紙取材に
役員全員“外出中”
 この種の案件は周辺を固めてから本丸(幹部)に当るのが小紙の取材姿勢で、大方の資料を固めた後直接TKUを訪れた。受付嬢に社名と氏名を告げ、「専務か総務局長にお会いしたい」と伝えると「お約束されていますか」と聞くので「いや、していない」と云うと「あちらの椅子でお待ち下さい」と云われたので数㍍離れた円型のソファに座る。電話が終って受付嬢がこちらに来かかったので筆者が受付に向かう。「専務は外出中で局長は会議中です」と云ったので筆者の名刺を渡し「明日電話致しますとお伝え下さい」と云ってTKUを後にした。

 翌日電話をかけ「総務局長をお願いします」と云うと「少々お待ち下さい。確認をします」と云った後「只今外出中です」と云う。「専務か部長は?」と聞くと「外出中です」と云うので切った。ここからが面白い(筆者だけか)数分して架電「総務課長をお願いします」と云ったら「只今席を外しています」と云ったので「社内ですか」と聞くと「はい社内です」と云ったので「又あとで電話を致します」と云って切り、10数分後に電話をかけた所「課長はまだ外出から帰っておりません」だ。先に出た女性社員と後に出た女性社員が同人物かどうかは不明だが、課長殿が席に戻った時「今福島という人から電話がありました」と報告を受けたであろう。で、「今度かかったら外出と云って」と云ったのではないかとは筆者の僻み心。その後の電話で「お宅は役員室か社長室があるでしょう」と聞くと「はいあります」と云ったので「そちらに繋いで下さい」と云ったら「外出中です」と完全に“県民新聞アレルギー”に罹っていると判断、2、3の確認とコメントを諦めた。

 自社に不祥事が起きた場合取材に応じない企業は多い。しかし、苟も公共の電波を使うテレビ局の幹部が取材を逃げ回るのは如何なものか。小紙が「取るに足らない小新聞」であってもだ。会った上で取材内容が間違っていたら「そこは違う、そこも違う、あんた取材を為直して来い」位云うつもりで会ったらどうか。



TKUの来歴
 昭和42年の暮、郵政省から熊本に民放第2局として電波が割り当てられた。経、政界人らが争ってテレビ局設立に向けて走り出した。その中に“熊本の天皇”と云われた河津寅雄(全国町村会々長)や電力会社統合で名を馳せた紫垣隆らが居て大混乱した。見兼ねて寺本広作知事が調整に乗り出し一本化に成功した。社名は熊本中央テレビ(株)で、資本金は3億円、額面500円で60万株が発行された。新テレビ局設立に手を挙げた人達には夫々株式が配分されたが、実力者の河津寅雄が半数近くの株を取得したのは当然の帰結で、以後TKUは河津家が支配する。紫垣隆には6%の配分があったが、本人は役員には入らず甥の佐喜本陽太郎が設立に参加、大きな力を発揮した。フジ系列下になったのも佐喜本が当時のフジテレビ社長水野成夫に直接電話して認可された。社長に就いたものの政界活動に忙しい河津は全てを専務の佐喜本に任せた。

 43年3月、熊本中央テレビ(株)が発足したが、同5月に(株)テレビ熊本と社名を変更した。昭和42年2月河津寅雄が死亡。後任に寅雄の弟泰雄が就いたが、泰雄は体が弱く、名目上の社長であったが昭和57年2月に亡くなった。後任は一時的にしろ佐喜本が適任と見られたが、河津家が譲らず株主と社員の一部が佐喜本支持で動いたが、大株主の意向を変える事が出来なかった。この紛争を機に佐喜本はTKUを去ったのである。(敬称略)
(以下次号)




官製談合か
合志市浄化センター解体
 去る8月3日、合志市荒木義行市長は「須屋浄化センター水処理施設等解体工事」に係る条件付一般競争入札を広告した。予価6億円余だが、業界では「前田産業、星山商店JVで落札決定済の噂」。開札は9月4日である。(以下次号で詳報)



 7月3日から4日にかけて降った豪雨で球磨川が氾濫し、人吉市を始め球磨川沿岸の町村は大きな被害を出した。

 今回の大水害を受けて“息を吹き返した”のが川辺川ダム建設問題である。蒲島郁夫知事は球磨川氾濫直後の7月5日に報道陣の取材に対して「反対(ダム建設)は民意を反映した。私が知事の間は計画の復活はない。改めてダムによらない治水策を極限まで追及する」と述べた(熊日7月6日3面)。所が7月26日の定例記者会見で「川辺川ダムも選択肢の一つ」と態度を急変させた。その裏には何があるのか。蒲島氏は平成20年3月の知事選に初出馬した。自民党県連会長と村上実美県議が中心になって担ぎ出した所謂“ロボット候補”である。この選考には北里、鎌倉、矢上、岩下が立候補したが自民党県連が全力投球した蒲島が優位に選挙戦を進めた。当初蒲島氏は「川辺川ダム建設」を謳っていたが、他の4候補がダム建設反対を唱えた事から選挙運動中に「ダム建設は半年後に決める」に変えたのである。当選後、ダム建設は白紙撤回と公表、ダム問題は終息したかに見えた。所が国交省は諦めていなかった。今回の豪雨を「ダム復活のチャンス」と捉えた。増水した球磨川の流量を正確に計測して「ダムがあったら今回の氾濫は防がれた」とする調査結果が近く発表され、12月にはダム建設を公表する。



県北各地区で説明会
不適切受給者増加か
 中国武漢を発生源とする新型コロナウイルスが全世界を覆っている。日本でも東京を中心に全国に蔓延、物心両面で多くの国民に被害を与えている。日本政府もやや後手後手ながら国民の負担軽減に動き出した。当初生活困窮者に対し30万円の給付金を支給しようとした(これは正論と思っている)が、手続きの煩雑さから敬遠され、一律10万円支給となった。併行して中小企業、個人事業者を支援する「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策」を講じた。この政策は拡大され、第2次補正予算が組まれるに至った。それにより「果たして支援が必要か」と思われる商工業者、農家までが支援対象となったのである。

 この制度に飛びついたのが本欄で報道する「西野だいすけ事務所」である。西野氏は先の衆院選で熊本2区から出馬して落選、次回を目指して猛活動中である。その一環なのか荒尾地区の梨農家、玉名、横島地区のトマト、イチゴ農家に対し「持続化給付金」の受給資格、手続き等の説明会を開催し多くの農家から感謝されているという。

 説明会では左上の表紙で綴られた農水省発行のパンフレットのコピーや西田事務所でこのパンフの内容を分りやすく解説した資料等で構成されている。その一例が図2である。

 この図は両面印刷となっており、裏面は経産省が中小企業者に向けた「持続化給付金に関するお知らせ」がコピーされている。図2の年月の欄は青色を掛けているので読みにくいが、2019年の売上が1、2、3月300万円、12月300万円で「年間総売上1、200万円。2020年1、2、3月は前年同様だが4月は収入は0となっていて、以降12月迄0ととして計算されている。従って本年の収入は1、2、3、4月の収入は900万円、それを4カ月で割ると225万円の数字が出る。前年が月平均100万円だが、本年の4月が収入0の為前年の月平均の50%以下となって給付の対象となる。

 図2を見て分かる通り前年の12月に300万円の収入があるが、本年はまだ5月である。12月に300万円が入る可能性は十分にあるが、この計算式が通用しているのである。「※ただし、制度の趣旨と異なるため、注意が必要です」(筆者が下線を記入している部分)。この部分が“味噌”で、後に登場する玉名市選出の城戸淳県議が主役となる。国の持続化給付金については商工業者には各地の商工会などが相談窓口を設けて業者の相談に乗っている。農業法人や一般農家はJA中央会が指導して各組合に同様の窓口を設けている。従って各農家(個人事業者)は申請に当たっては各組合窓口に相談すれば適切な指導で給付申請が出来る。それをしない農家は「自分は受給資格がない」と分かっているからである。云い換えれば良心的農家である。考えてもみてほしい。飲食業者や物品販売業がコロナ禍で大きな打撃を受けているのは連日のニュースで広く知られている。素人考えだが「農家がコロナ禍を受ける」のはどの様な場面か、筆者には想像出来ない。この問題の根源はコロナ禍に怯えた政府の椀飯振舞(おうばんぶるまい)であろう。





トマト農家の説明会
城戸県議・手続代行料1割明言
 西野だいすけ事務所が選挙区内の農家を対象に、持続化給付金の申請について説明会というか、集会(説明資料の最後に「ご静聴ありがとうございました」とある。)を開いているが、これには荒尾地区は前田敬介県議とペアを組んで主に梨農家を対象に説明会を開いている。その結果と云えるかどうかは不明だが、中堅梨農家が受給資格から外れているにも拘わらず申告して給付金を受け取っている。似た事は6月初旬に開かれた横島地区でも見られる。玉名、横島地区は地元選出の城戸淳県議と西田氏がペアを組みトマト農家の某氏宅で説明会を行った。この席で参加者の中から「申告の仕組みが分からない」と質問すると城戸県議が「申告を代行してあげます、手数料は1割です」とはっきり明言した。その後複数の農家が受給したと云われるが、JA関係者は「厳密に云えば制度に反しているが、制度の抜け道を利用しているので黙認状態だ」と語る。

 これらの出来事は熊本県農林水産部も把握、JAなど関係方面に注意を促す文書を出している。

 農家に対する持続化給付金についてはJA熊本中央会が傘下の組合員に「『組合員の皆様へ』と題し、持続化給付金の申請支援を行います」と農家に案内状を配布している。従って農家の多くは「自分に支給資格があるかどうか」は問い合せ済ではないか。JA各組合は受給資格の有無を判定、有資格農家で申告(WEB申請)が出来ない農家の申請については充分に支援しているのである。



無資格農家が受給
 本欄下の図3を見てほしい。これも西田事務所が作成した物で「具体例Ⅲ売上げが季節性かつ減少している場合④」の見出しの中で、白色申告と青色申告について解説している。左欄に前年と本年の売上表が付いている。この図では「白色申告、青色申告の農家も共に受給資格(給付の対象)はない」とした後、下部の「白抜き」の部分では「(注意)季節性収入の場合には、特例がございますので、詳しくは、西野だいすけ事務所までお問い合わせください。」と意味深長な文言がある。「抜け道」を伝授しようとでも云うのか。又、「白色申告の方」の下部分欄「ただし、今後、年内に売上げが50%以下となる月があれば、給付の対象になります。」と記されている。
 西野事務所が先述「2県議らと“説明会”を開いている」と情報を得たのが6月中旬である。説明会場で配られた資料を見ても、前年との売上げ対比月は1月から4月までであり、彼らが5月~6月初旬に懸けて資料を作成し、説明会を開き出したと思われる。その結果「不適切受給農家が増加した」と不快感を示す某農協組合長が居た。
 同組合長によると名前こそ出さなかったが「農業には農閑期がある。それを利用して『コロナ禍の収入減』として申請し、受給した農家が複数以上あると聞いたが組合を通してないので申請の実態は掴めない」と憤りを隠さない。この問題、米農家にも及んでいるのである。




 識者が“低俗番組”と折紙を付けている3民放の「ワイドショー」に連日出演している“コロナの女王”こと岡田晴恵の「無知」を暴く。

筆者が岡田を初めてテレビで見たのはメモ帖から推して1月22~23日頃の午後のワイドショーと思われる。話を振られた岡田は「大した事はありませんね(感染拡大について)中国が発表した感染者の数も少く対策も講じているので今後も拡がる心配はありません」ときっぱり断言したのである。字幕で見た肩書きは「元国立感染症研究所研究員白大学教授 専門、感染症学」とあった。肩より長い髪は手入れが悪いのかボサボサ頭で、一見“何処のおばさん”かと思った程だ。

筆者が、この岡田発言に不信を抱いたのは、岡田が中国発表の感染者数をそのまま信じて「大した事にはならない」と発言したからである。彼の国は、自国に都合の悪い事は出来るだけ縮小して公表するのは世界の常識ではないか。この時点では「感染者、数百人」ではなかったかと思う。その数字を鵜呑みにして断言した岡田を「バカ」と見たのである。

1月27日のメモ「中国武漢発のコロナウイルスが拡散し始め、数は少ないが全世界で感染者が出だした。中国も感染者が2千人を超えたと慌てだし、海外旅行の足止めを始めた。「この前昼おびで『大した事はない』と云っていた岡田が又出ている」同29日、「1週間程前昼おびで『大した事はない』と云っていた岡田が今日も出ていた。出る方も出る方、出す方も出す方。」筆者としては断言した予想が大きく外れた訳で、その後は「恥かしくて出演出来ないだろう」と思っていたのである。

筆者が不思議に思うのはこの“大失言”についてテレビは勿論、情報誌などが一言も報じない事だ。筆者が見た岡田は、テレビに出演しだして何回目か知らないが、前後2~3日は同様の発言をしていたのではないか。少なくとも放映したテレビ局(TBSとテレ朝)側は知っている筈と思うが陸続と出演させている。

5月7日の「ひるおび」から。出演中の岡田晴恵
(見違えるほどおしゃれになっている)


旧悪 週刊誌が暴く
「出る杭は打たれる」の謂どおり、3月に入ると岡田は週刊各誌の標的となった。中でも“文春砲”の記事は他を圧した。

3月26日号「コロナの女王岡田晴恵 不適切データ 禁断の師弟愛 パワハラ疑惑を直撃」の見出しで、岡田の経歴、国立感染症研究所時代の上司との不倫疑惑、論文捏造疑惑を報じた。文春は「感染研の元同僚のA氏が明かす」として「千葉工大の工学部で応用化学を専攻、共立薬科大院の修士課程を経て順天堂大院の博士課程でエイズを研究。中退後、90年代後半に感染研・ウイルス第1部の実験補助員に採用されました。岡田氏は医者ではないが、夫は医師免許を持つ研究者で、感染研の別の部署で働いていた。」紙面の都合で以下要旨を述べる。

夫との間に子供まで居たが、当時の上司、田代真人部長と“禁断の師弟愛”に陥った。田代氏が第3部の部長に異動した後、岡田もそこの研究員として正式採用され、実験補助員2名を付けて厚遇。以後岡田は何かあると「部長命令です」と云って要求を通す。

岡田は「麻疹の細胞性免疫」に関する論文を発表したが、内容に疑惑を持たれ、所長から「生データを出しなさい」と云われたが無視。しかし内部調査で論文の捏造が浮上したのである。



創刊24年を振り返る〈13〉
熊本中央信金の暴虐を暴く
下に掲げたのは小紙平成9年10月号と、平成12年4月号である。9年10月号で熊本中央信用金庫糾弾第1号を放った小紙であるが、以後12年4月号まで6回に亘って報道を行った。それだけ“ネタ”が多かったという訳だ。情報源は内部告発と取引先の中小業者で、同信金を利用した為住む家を失った事業者や、住宅ローンを組んだ個人も複数居たのである。

本面で取り上げているM不動産については本文が読めると思うので省略するが、中央信金の融資先のトルコ風呂の経営が悪化、債権回収不能と見た同信金がM不動産に買収を持ち掛けたのである。人が善いM社長は「収益は上がっている」という同金庫の森山唐人町支店長の言を信じてこれに応じた。次に押し付けられたのが下通のHビル買収資金の自金庫利用である。ビルの買収話を持ち込んだのは住友銀行熊本支店だ。当然買収資金の融資は住友銀行が行って当然だが、中央信金は強引に自信金の利用を強要、好人物のM社長はこれを断りきれなかった。金利が2%以上高いにも拘わらずである。その後もM社長の判断で物件購入などで同金庫から昭和57年11月に最初の融資を受けてから8物件の融資を受け、平成4年12月末の融資残は7億3千万円であった。因に利息を挙げると第1回目6%だったが、以後融資の度に金利は6.5%、8%、8.5%、9.5%と上った。当時の他行金利が3~5%から見ても高いのが分かる。当時のM不動産の年額家賃収入は5200万円、これに毎月700万円をプラスして支払っていたが、安定経営を目指したいとしてM社長は同金庫に「家賃内での返済に切替えてくれ」と申し入れ、支店長は「分った」と回答したが以後連絡はない。

平成5年6月に支店長からM社長に「本部が喧しいので形式的に公正証書を作りたい」と云われ、M社長は「これで取引き条件がよくなる」と解釈して応じた。所が同年8月26日、M社長は信金本部に呼び出されて「融資物件を売却して貸付金を払え」と半ば脅迫的に伝えられた。抵抗するM社長を無視して同金庫は平成7年6月、熊本地裁に債権差し押さえと競売を申し立てた(平成9年11月現在係争中)。以上でM不動産の件を終る。紙面の都合上以降は見出しだけ記す。

平成10年3月号「徹底糾明第四弾 熊本中央金庫」「保育園長抗議の自殺 八代通町支店長Mの謀略 融資打ち切り・妻まで犯され絶望か」「S氏自殺後夫人が抗議 M支店長県北に左遷」「M支店長 融資するからと騙し 保育園経営を元職員に押しつけ 本人には融資せず妹夫婦に代替りさせる」同2面。「熊本中央信用金庫 歴代理事長・権力闘争の勝者 五代目理事長藤本追い落し 前田、山口連合で奏功!」「クーデター成功前田理事長誕生」「第五弾熊本中央信用金庫」「人吉支店 無関係の他人名義で融資 悪徳不動産屋とぐるで 融資金は山分け?」「三〇〇万円の山林を一〇倍に評価 不正融資の後は強引に回収」裏面にもまだあるが紙面がない。前田米蔵理事長の背任疑惑も衝いているが。




 こちらの熊本県民新聞は、平成30年5月号1面である。この号から社会福祉法人「敬人会」坂本純理事長について小紙は批判を開始した。以後2弾、3弾と続けたが熊本市は坂本氏が熊本市観光局長の職に在った事から、坂本理事長の違法行為に目をつぶり続けていた。坂本氏が敬人会の理事長に就任したのは平成27年4月の前理事長梅田洋一氏が招いたものだが、恩人とも云える梅田氏の追落しに成功すると以後独裁的施設の運営を続けている。梅田氏を始め古い職員らの解雇、雇止めを続発した為梅田氏らは平成30年1月労組を結成、連合熊本ユニオン・敬人会労働組合を名乗った。以後数回に亘って敬人会及び坂本純理事長を相手に団体交渉を行った。元々ここに至る迄の梅田前理事長と坂本理事長の確執はケアハウスわらべ苑の給食問題に端を発している。

 わらべ苑は平成15年に東三起夫が創業したが、同苑の土地及び創業資金は梅田洋一氏が寄付したもので、社会福祉法人星峰会を設立した際両名とその周辺者が理事に就任した。理事長には東氏が就任、梅田氏は施設長に就き、東氏の経営手腕もあって、以後老人福祉施設や保育園を増設していった。当時から給食は星峰会の別会社が行っていたが食事の質など先ず先ずであったという。

 平成26年に内部通報で東理事長の星峰会の私物化を熊本市が把握、業務改善命令を出した。その直後に開かれた理事会で東氏は理事長を解任され、梅田氏が後任に就いた。梅田氏は東氏の影響下にあった給食の“外部委託”を止め、和食の調理師を採用して自前の給食を開始した。わらべ苑入所者の多くは高齢者ばかりである、最大の楽しみは食事であり、梅田氏のこの試みは入居者に大歓迎され、入居者から「毎食事時間が待ち遠しい」とまで云われるようになった。しかし坂本氏が理事長に就任すると「わらべ苑の調理部門は大きな赤字を出している」として外部委託に向けて動き出した。これに猛反発した事から坂本、梅田両氏の間の溝が深まり、坂本氏が梅田氏の雇止めを通告した事から他の職員と共に労組結成となったのである。ずい分長い前置きとなったが本題に戻る。

 敬人会労組と敬人会、坂本理事長との団交は当初こそ労組の希望通り開かれていたが、途中から坂本氏が団交を拒否する様になった為、平成30年5月労組側は「団体交渉権の有無」等を求めて熊本地裁に提訴した。その結果熊本地裁は令和2年3月、原告は団交権がある事、団交の必要性を認めると判決。敬人会及び坂本純理事長に計77万円の損害賠償を命じ、その他の請求は棄却した。敬人会・坂本理事長はこの判決を不服として高裁に控訴している。
 この一事を見ても坂本氏の人柄が分ると思う。一見柔和に見える外見に似ず心中に黒い物を感じる人物である。組合側が申立てた雇止め、不当解雇、配転等は「証拠に欠ける」として認められなかったが、坂本氏が理事長就任1年後から約2年間に10数名の職員が退職しているのである。その多くが上からのパワハラによるものだが、口頭での遣り取りで辞めざるを得なかった職員に今更「証拠を」と云っても立証は難しいのは自明であろう。坂本理事長誕生までは梅田、野田氏の大口寄付者は共同して旧星峰会理事長東氏の排除に動いたが、智者坂本氏はこの2人を分断、野田良一氏を味方に抱き込んだ。野田氏の娘を理事にした上、わらべ保育園の副園長に就け高給を支払い野田氏は渉外担当で雇用、毎月45万円の給与を支給している。



坂本理事長らの勤務表改竄問題
市議会で追及・市が不正認める
 社会福祉法人敬人会(坂本純理事長)が、職員不足で人員基準が満たされないのを隠蔽する為、熊本市に提出する「勤務形態一覧表」を正規の一覧表とは別な一覧表を作り熊本市に提出した。この問題は熊本日日新聞が平成30年4月11日付社会面で大きく報道した。「勤務改ざん、提出か」の白抜きの大見出しに「休暇を出勤に 給付費不正受給疑い」の脇見出しで実態を詳報した。同欄で改ざん前と後の「地域密着型デイサービスセンター」の一覧表も提示していた。

 続く翌12日も「熊本市 内部告発対応せず」「社会福祉法人 勤務改ざん疑惑」の見出しで、「職員らは昨年10月4日まで2回にわたり『告発書』の形で市に内部告発。介護給付費の減額を避けるため、小規模多機能型居宅介護施設の勤務表を改ざんしたという内容だった」「熊日の取材に対し、市介護指導室は『個別の事実に詳しい説明はできないが、昨秋の段階では問題なしと判断した。理事長が元幹部職員であることは対応に影響していない』と釈明した。」と報じている。熊日は単に「社会福祉法人」としているが、同案件を報道した小紙は法人名を「敬人会」と表記し、理事長名も「元市観光局長坂本純」と書いた。本号にある様に「小規模多機能型居宅介護施設」は「きずな」であり、平成29年8月の勤務表の改竄(かいざん)前と(上)と後(下欄)を載せ、介護給付費の不正受給を追及した。元々理事長は職員として勤務出来ないのだが、頭数を揃える為勤務表に名前だけ入れたもので勤務実態はなく“給付費を詐取”した片棒を担いでいると断言出来る。市側は、これだけの資料を載せた報道を無視し、敬人会職員、一部理事らが提出した勤務表と出勤簿を照合する事さえ行っていなかった。市OBである坂本理事長に手も足も出なかったのである。坂本氏は常々敬人会職員の前で「私と大川主査は繋っているから大川の云う事を聞いていればいい」と公言(大川主査は市高齢福祉課所属。坂本氏との繋りは否定)。

 その後、この問題は市議会厚生委員で追及され、市側も「精査する」として改めて再調査を約束した。その結果本年3月議会厚生委員会で「平成30年4月~11月に基準未満の月が8カ月間分あり、介護給付費の返還の対象になる」と報告し、それ以前についても調査を続けているとした。その後熊本市は敬人会に対し過剰に支払った介護給付費の返還命令を出したと云われる。返還金額は6~700万円と云われるが正確な金額は次号以降で報道する。内部告発を受けながらきちんとした調査を行わず「問題なし」とした裏に市OBの坂本理事長の存在があるのではないかと、勘繰られて当然であろう。

 熊本市は平成30年9月議会の厚生委員会で「敬人会から提出された勤務表や業務日誌などを精査した結果、介護給付費の減額対象となる違法性はなかった」と弁明、給付費の返還を求めなかった。先述した様に本年に入ってから返還命令を出したという事は違法性を認めた訳である。この時点で市は敬人会及び坂本理事長に対し「改善命令」を発して当然だが、まだ筆者の耳には届いていない。他方敬人会と似た手法で運営費を不正受給したとされる東区内の障害児通所支援事業を営むS施設には平成30年3月「虚偽の職員数増や、勤務実態をごま化して運営費を不正受給した」として業務停止などの厳しい処分を行ったが相手会社が提訴、熊本市は敗訴している。
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