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熊本市東区八反田1丁目14-8

発行者:福島 宏

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木原武士弁護士
依頼人死亡直後 1億円を自己口座に
 平成30年1月22日、熊本家庭裁判所は「遺言執行者解任申立事件」で申立人Kさんの主張を認めた審判を下した。遺言執行者は木原武士氏。

 主文

1、熊本地方法務局所属公証人関美都子作成平成23年第315号遺言公正証書による遺言者亡TMの遺言執行者木原武士を解任する。2、手続費用は各自の負担とする。

 判決理由は以下の通りである。「申立人は亡TMの姪であり、相続人である」「本件遺言者は、熊本地方法務局所属公証人関美都子作成の平成23年第315遺言公正証書による本件遺言者の遺言(以下「本件第2遺言」という。)により弁護士である木原武士(以下「木原」という。)を遺言執行者に指定し、木原は遺言執行者に就任した。」「木原が、本件遺言者から、遺言書作成のための契約交渉手数料、公正証書遺言作成手数料及び遺産の処分方法に関する法律事務の着手金として金員を受領したことは、弁護士職務基本規程(以下「基本規程」という。)24条に違反し、弁護士法56条1項に定める弁護士の品位を失うべき非行に該当する」「木原が、本件遺言者との間の委任契約に基づき行った財産管理は、基本規程38条に違反し、弁護士法56条1項に定める弁護士としての品位を失うべき非行に該当する。」「本件遺言者は、本件第2遺言作成時点で、当時84歳と高齢で、目と耳が不自由であり、字も見ることは困難な状況で、耳もかなり大きな声で繰り返さないと聞こえない状況であったにもかかわらず、木原は、本件遺言者に対し、報酬額が1667万円になるとの詳細な説明をしなかった。」「木原は、本件遺言者死亡後、同人の預金口座1億1千万円程度を解約し、肩書の表記もなく、木原名義の預金口座に入金した。」

「以上のことから、木原は、熊本県弁護士会から2か月の業務停止という重い懲戒処分を受けた。木原は、弁護士として遺言執行者に選任された以上、上記処分を受けたことにより、遺言執行者を辞任すべきであったし、かかる処分を受けた木原が、本件遺言者の遺言執行者になるのは大変不適切である。」と述べている。

 以上の審判理由と木原弁護士の悪行は2面に詳報する。



明るい未来を開くばかりではなかった
法テラス熊本県弁護士会法律相談センター
 木原武士弁護士については小紙平成25年7月号「熊本にも居る悪徳弁護士 遺言書作成手数料1664万円」の見出しで詳報した。翌26年11月号で「小紙報道の悪徳弁護士 県弁護士会業務停止2カ月の懲戒処分」の見出しで第2弾を報道した。先述、熊本家裁の審判はこの延長線上にある案件である。被害者のKさんは「木原弁護士が遺言者の判断能力の欠落につけ込んで第2遺言書を作成した」として、遺言無効確認と損害賠償を求めて熊本地裁に提訴するとともに、木原弁護士の懲戒処分を熊本県弁護士会に申立てた。

 熊本県弁護士会は平成26年3月木原弁護士(安政町法律事務所)に対し、前記懲戒処分を行った。弁護士法では、懲戒処分を受けた弁護士はその旨を裁判所に届け、指定された期間は弁護士活動が出来ない。つい先頃、全国でサラ金被害者の過金を取り返しますと、期間を偽って広告し、客を集めていた「アデーレ法律事務所」が日弁連から業務停止2カ月の懲戒処分を受けた。アデーレは、契約者と各契約者を解除すると共に業務活動を2カ月間停止した。木原弁護士も受託していた案件等について一旦解約をしたり、熊本地裁に処分を届ける義務があったにも拘わらずこれを怠っている。(別欄で詳報)

 木原弁護士と原告のKさんを結びつけたのは「法テラス熊本」(中央区水道町)である。同所は熊本県弁護士会が運営、県弁護士会所属の弁護士が輪番制で訪れる市民等の相談に無料で応じている。遺言者のTMさんは東京生れの東京育ち。夫との間に子供はなく、夫死亡後も東京に住んでいたが、只一人の姉が熊本に居た事からよく熊本を訪れていた。平成17年頃熊本市中央区に九電が建てた介護付き老人ホーム「グランガーデン熊本」の一室を購入、熊本に移住した。頼って来た姉も亡くなり、以後はその娘であるKさんが何かと面倒を見ていた。平成21年に法的問題が生じた為Kさんは高齢のTMさんを連れて「法テラス」を訪れた。その時応対したのが木原弁護士である。

 この時の木原弁護士の態度に好感したKさんは3カ月後貰っていた名刺を頼りに「安政町法律事務所」(現森都法律事務所)に木原弁護士を訪ねた。問題の案件を解決してもらったTMさんは「今後の事もある」として安政町法律事務所の木原弁護士と某弁護士の連名での顧問契約を結んだ。Kさんは木原弁護士に全幅の信頼を寄せ何かと相談していた。その陰で木原弁護士は高齢のTMさんを欺き、多額の現金を掠めたのである。これを見る時「法テラス」は右の広告に見る「力強いパートナー」を信じていいのか迷いが生じる。




 北口和皇市議へのバッシングが止まらない。昨年12月議会は北口氏に対し3回目の議員辞職勧告を行った。市政治倫理委員会の1回を加えると4回の辞職勧告を受けた事になる。事の発端は平成18年8月に熊本食肉センターの廃止を公表した事にある。代替施設は市が資金を出し豊野に新屠畜場を建設していた。ここでは牛馬だけしか屠畜出来ず、養豚業者は、県経済連運営の㈱熊本畜産流通センターを利用する様に指導された。これまで利用していた熊本食肉センターに比べ屠畜料が高く、他の条件も厳しかった。そこで養豚業者が市に「何とかいい方向に行く様に仲介してくれ」と申し入れたが市は「民々間の問題だから自分達で解決せよ」と突き放した。困った業者が代議士秘書と参議秘書に泣きついたが市は話を聞く耳は持たなかった。そこで業者らは他の業者と共に北口議員に仲介を依頼に行ったのである。

 北口議員は「代議士秘書でも通じない問題を今更私に持ち込まれても困る」と二度程断った。そこで業者らは元養豚業者で北口議員の有力支援者の出田氏に北口議員との仲介を頼んだのである。出田氏からの申し入れも当初は断ったが「しつこく云われたので仕方なく引き受けた」のである。その後は養豚業者側に立って市の不都合振りを追及、やっと業者と市の契約書を交わす所まで漕ぎ着けたのである。契約日当日、出田氏が私用で欠席したのを誤解して大声を出したのが生命取りになった。



 木原武士弁護士が主導して公証人関美都子が作成した遺言公正証書(第2遺言書)で木原は「遺言執行者」に就任した。平成23年9月23日の事である。1面でも述べたが、遺言者のTMさんは、平成21年に「安政町法律事務所」で木原と某弁護士連名の顧問契約を結んだ。

 しかし2年後の平成23年9月、TMさんを連れ、契約にも立ち会ったKさんに無断でTMさんと再契約をしたのである。最初の契約は安政町法律事務所の他の弁護士と連名であったが、2年後の再契約は木原一人になっている。その15日後に木原はTMさん(当時84歳、耳も遠くなり、目もよく見えなかった)から依頼されたとして遺言状を熊本公証人役場で作成した。裁判所、家裁で謂う所の「第2遺言」である。第2の前には当然第1がある。

 最初の遺言は平成12年に東京法務局所属公証人高橋欣一が作成した遺言公正証書である。内容は本件遺言者の有する一切の遺産をKさんに相続させる。祖先の祭祀を主宰する者としてKさんを指定する。本件遺言者名義の債務をKさんに負担させる。本件第1遺言の趣旨に反する遺言を含む生前行為が存する場合にはこれを撤回ないし取り消す。本件第1遺言の執行者として税理士IYを指定する。以上である。第2遺言が作られる10年以上も前で、TMさんの心身は健全であった。木原がTMさんに依頼されたとする第2遺言は以下の通りである。本件遺言者の有する別紙財産目録記載の財産(預貯金債権)から、1000万円を永代供養料として、宗教法人日蓮宗○○寺に遺贈する。本件遺言者の有する上記の財産(預貯金債権)から、上記記載の金員及び下記cに定める遺言執行者の報酬並びに本件遺言者の葬儀費用、公租公課、医療費、老人ホーム利用料等の未払債務の弁済及び遺言の執行に要する費用を控除した残余の財産を、下記の3名に、下記の割合で遺贈する。

a、あしなが育英会に3分の1。

b、公益社団法人日本ユネスコ協会連盟に3分の1。

c、日本赤十字社福岡県支部に3分の1。a、本件第2遺言者に木原を指定する。

b省略。c、遺言執行者の報酬は、遺言執行対象財産の1%と定める。この後にとして日本弁護士連合会が定めた旧報酬規程の表がある。紙面の都合上要点のみ記す。「経済的利益の額が3億円」を超える部分、着手金2%、報酬金4%。改定後、同額の場合、着手金0・3%、報酬金0・6%ともに「前項の着手金報酬金は、事案の内容により、30%の範囲内で増減することができる。なお、木原の所属する弁護士事務所は、旧報酬規程が廃止された後も、旧報酬規程と同じ内容の報酬を定めていた。」と指摘している。「木原は、平成22年頃から本件遺言者に呼ばれ上記介護施設を度々訪問し、本件遺言者の銀行などの外出に同行するようになった」とあるが、この頃第1遺言相続人のKさんが交通事故に遭って入院(3カ月)した時期と重なっている。TMさんが金の出し入れをするのに弁護士の同行は必要ない。ちゃんと入居先のグランガーデンに介護人が居るのである。(充分ではないが…。)この時期木原とグランガーデンのSが頻繁に交流を持っており「TMさんに強い“影響力”を与えた」とKさんは確信している。
(敬称略)



不可思議、遺産3億円の遺贈先
日赤・ユネスコ・あしなが育英会
 平成12年に東京で作成された第1遺言書にはKさんを遺産相続人に指定するとともに祖先の祭祀を主宰する者としてKさんを指定するとしている。しかし、木原が作成した第2遺言書には、この重要な「先祖を祭祀する」がなく「永代供養料として1千万円を菩提寺に遺贈する」と変わっている。要は金を払ってお寺に供養してくれと云っている様なものだ。血族が供養する必要はないということ。遺言者は10年前の遺言書に、はっきりと「先祖の祭祀を主宰する者」と記している。TMさんは自分が死んだ後は自分に代わって祖霊を祀ってくれという思いがあったのであろう。

 次に木原が作成した第2遺言書が不可解である。遺産の遺贈先として各経費を除いた財産を「あしなが育英会」「公益社団法人日本ユネスコ協会連盟「日本赤十字社」に各3分の1としている点である。Kさんが第2遺言書の存在を知ったのはTMさんが亡くなる1カ月前であったが、その前に木原はTMさんの指示があったとしてあしなが育英会に500万円。日本ユネスコに1000万円。日赤福岡本部に1000万円を寄付していたのである(既報済)。幼少の頃からKさんは子供が居ないTMさん夫婦に可愛がられて育った。それだけにTMさんの金銭感覚は熟知していた。Kさんによると「叔母は自分が付けるアクセサリーや美術品購入には金に糸目はつけませんでしたが、公共の施設、組織などには関心は薄かったと思う。子供が居なかったのに『あしなが育英会』に寄付や、遺産の遺贈など思いつく筈はありません」と語る。ユネスコなど余程身近に関わっている者が居ない限り寄付や遺贈など思い付く事はないだろう。

 遺産相続が約3億円、経費と木原の違法に高い“手数料”を引いても遺贈金は2億5千万円は下るまい。その財産を3等分にして前記指定先に遺贈するなど、TMさんが正常な判断力があったら考えられない事だ。因に筆者が指定されている前記3機関に「一旦寄贈したお金は『錯誤』であった時返金されるのか」と問い合わせたら「返金される」という事であった。Kさんは「私が裁判で負け、第2遺言が実行されたら異議を申し立てそのお金は取り返します」と語っていたが、謎の多い遺贈先である。



木原の意図を砕いたKさんの執念
 これまでも書いているが、遺産相続人のKさんが第2遺言書を知ったのは平成24年12月26日である。平成21年に木原を知って以後、木原を頼って何かと相談していた。TMさんが入居していたグランガーデン内の出来事も細かく相談した。特にTMさんが一般室から3階の介護フロアに移って以後同フロアを実質“支配”していたSの行状について対処法など相談をしていたのである。所が木原はそのSとはKさんに隠れて親密に情報交換をしているのが後に分かった。(SはTMさんの居室を訪れ「Kさんが来たら用心しないと何でも持って帰るけんね」とTMさんがKさんに不信感を持つ様再三話掛けていた。録音あり)

 第2遺言を知ったKさんは早速行動を起した。新たな弁護士を見つけて相談するとともに、木原が取得した「手数料」などを調べた。木原は「遺言者が申立人(Kさん)」に遺産を相続させたくないと考えるようになった平成23年頃『信託銀行に遺言信託が出来る』として委任契約。着手金として九十七万円(1000円代は省略、以降も同じ)。この時の遺産額1億5千万。木原は十回程信託銀行に電話、TMさんを2回連れて信託銀行を訪れたが、信託銀行に拒否された。その事をTMさんに説明した所「本件遺言者は木原に対し、本件第1遺言を書き換えた上で、木原が遺言執行者に就任することを求め、木原はこれを承認した」(以上審判書より)。その後「対象遺産が3億になる」として遺言書作成費用として138万円を追加収得した。

 次いで「第1遺言の相続人から訴訟を提起された時の着手金」として、弁護士報酬を上限の1337万として受領した。平成24年2月、対象財産が増加したとして535万円、同6月388万円を受領した。同年9月19日熊本公証人合同役場で遺産者の財産管理等に関する委任契約及び任意後見人契約を締結、遺産者から通帳、印鑑等を預かり、財産管理を開始した。平成25年1月25日遺産者は死亡した。木原は25年2月及び同年3月頃、本件遺産者名義の複数の預金口座から、合計1億1000万円を、木原の個人名義の郵便貯金口座に移した。」(以上審判書から)。以上の事実を知ったKさんは熊本県弁護士会に木原の懲戒請求を行った。県弁護士会は懲戒委員会の議決に基づき、平成26年3月14日から5月13日まで2カ月間の業務停止の懲戒処分を行った。Kさんは前記木原が取得した合計2358万円の支払を求めて「不当利得返還請求」を、第2遺言については「遺言執行禁止の保全」を求めて提訴した。

 その結果、「報酬金2358万円は、一部が暴利行為に該当するとして木原に対し1608万円及び平成24年6月から支払済みまで年5分の割合による金員の支払い」を木原に命令、木原はこれに応じた。平成29年3月Kさんは「遺言執行者解任」を熊本家裁に申立て、今回の審判を勝ち取ったのである。「木原の様な悪徳弁護士は許さない」とするKさんの執念が実を結んだと云える。審判を木原は受け入れた。Kさんはこれとは別に「木原が懲戒処分中に弁護士活動をした」として県弁護士会に懲戒処分を申し立てたが「該当しない」決定を受け、目下日弁連に異議申立てを行っている。



 小紙創刊から15年目の平成15年3月号、4月号で当時の県警本部長折田康徳氏を批判した。3月号見出し、「熊本県警 折田康徳本部長“側近政治”に不満の声 二度の人事異動で捜査現場混乱」として、折田氏が平成13年7月に県警本部長として着任以降の事柄を報じた。折田氏に急接近したのが刑事畑を歩いて来たA警視である。

 一部記事を抜粋する。「A(警視)はかつて暴力団対策幹部当時、優秀なマル県担当刑事2人(共に警部補)を第一線から外した。1人はすぐ辞表を出したが、あと1人は『子供が大学生だから』と留まり定年迄勤務した。この時の異動に現在も第一線の刑事達がAに反感を抱き続けていた」というものだ(後日判明したが、この人事は単なる“利権闘争”の結果であった)。そのAが折田氏に取り入って“意見具申”した結果、今春の可笑しな人事異動になった。又折田氏の父親が転勤族であったので、折田氏は小学4年から中学2年迄を熊本で過ごした。その時の同級生が熊本の政・財界の中堅に育っていて折田氏を事ある毎に招待、酒好きの折田氏はほいほいと付き合った。この際に入手した情報を基に「あれこれ直接指示を出す」事に県警幹部が振り回された。「松岡代議士を逮捕する」と広言、特捜班まで作って腰砕けで終った。大勢が居る宴席(折田氏は蒲島知事同様酒癖が悪い)で「今度あいつ(県北の県議)をパクッてやる」などの放言もあった。二世の警察官を嫌う傾向があり、優秀な警官を専門職から外すことも再三あったという。

 3月号の反響は大きく、複数の警視正から“激励”のお言葉を頂いた。3月号だけで終わるつもりであったが、これを読んだ県警内部、各記者から情報が寄せられ4月号に続いたのである。4月号の見出しは充分に読めると思うが、この時米英軍がイラクに侵攻した直後であり、日本でもテロ攻撃を警戒して自衛隊、警察などに厳戒指令が発せられている最中であった。ここに掲げた4月号の記事は読めると思うが概要を記す。花見は水前寺「K荘舟座敷」としたが「料亭きむら荘」である。花見は3月30日の午後5時に開宴したが、この花見は折田氏が大手紙熊本支局の女性記者に持ち掛けた。それも「女性記者だけでセットせよ」であった。所がせこい記者が「県警記者クラブの積立金(毎月各社千円出し)を利用しようとした事から男性記者に知られて「県警記者クラブ主催」となったのである。後は本文を読んで頂きたい。折田氏はその年夏本庁ではなく警察学校に異動した。県警関係者によると「左遷」であったという。その後厚労省を経て山梨県警本部長、四国管区を経て九州管区局長で定年退職、九電本社に再就職している。




 右に掲げたのは平成29年11月13日付熊日紙1面である。この新聞を手にした時「えっ」と思ったのは筆者だけであろうか。熊本日日新聞(以降熊日と称す)が「あの日から 熊本地震1年7カ月」のシリーズ物で、震災後の復旧復興への個人・企業の取組みを報じている。右の熊日を見て分る通り大見出し「ペダルこぐ笑顔探して」横白抜見出し「ケーキ職人の新本さん」である。このシリーズ物は恐らく地震で被災した人達を勇気付けようと企画されたものと思う。普段は他の面に出ているが、余り読む事はない。震災に遭った殆どの人が落胆した後、奮起して立ち上ろう(立ち上がった)としているのは当然な事だからである。1000人が被災すれば1000の復旧復興への道が出来る筈である。「ペダルこぐ…」はその内の一つの例でしかない。始めに筆者は新本さんに何の恨みも妬みもない。熊日に対しても同様と断言出来る。熊日については「もっと奮起して新聞本来の使命感を発揮してほしい」と心底念っているのである。さて本題。

 新本さんは「33歳で古いトタン屋根の小屋を借りて店を構えた」とある。現在62歳であるから29年前である。自立した後新本さんが取った行動は「自分が作ったパンケーキを自分の足で売る」作戦である。毎日の様に下通「マキノ」付近に自転車を停め、後の荷台に載せたケースのパウンドケーキを売り出した。多分その姿、ユニークさが熊日記者の目に留まったのであろう。或る日熊日が「トタン屋根のケーキ屋さん」として大きく採り上げた。新本さんの経歴も今回の様に紹介してあった。あの辺は筆者の縄張りである。上通、下通、鶴屋は毎日の様に通る。熊日の記事に触発されて某日パウンドケーキを1本買った。値段についてはよく憶えていないが千数百円であったと思う。「高いな」という印象が残っている。自宅で食べたが「不味い」と思った。以後1度も買わなかったが、その頃はよく売れていた。お客と立ち話をしている姿もよく見た。恐らく“熊日効果”であったと思う。その後も熊日やテレビで報じられていたと聞く。

 そのケーキ屋の復興話しを熊日は1面トップに持って来た。暇ネタとは云わないが、少なくとも公称30万部を発行する新聞の1面を飾るには役不足ではないか。記事も納得し難い個所が目立つ。「…本震直後の朝、失意のまま店に行くと見慣れない顔の男性ががれきを片付けていた。男性は『10年ほど前、アレルギーに苦しむ子どもの1歳の誕生日に特別なケーキを作ってもらった』と話した。現在住んでいる神戸市から夜通し車を運転して駆けつけたという」本震は午前1時25分頃である。それから車で神戸を出て朝には坪井の新本さん宅のがれきを片付ける事が出来るのであろうか。「店に残っていたケーキを無料で配り、避難所に届く支援物資を自転車に積んで、取りに来ることができない人に届けた。1人で避難しているお年寄りにも声を掛けて回ったとあるが、「取りに来る事ができない人」をどうして見つけたのであろうか。本震後数日間は、県警、県、市の職員でさえ負傷者や独り暮らしの老人を把握するのは困難だったと云われる。この様な美談より「震災復興事業で優先順位をゴリ押しする県議」や「北口市議より悪質な暴言市議はこんなに居る」の見出しの記事をわれわれは熊日に期待しているのです。余談だが、この熊日の記事に前後して多分RKKだったと思うが、新本さんを採り上げていた。自転車にケーキを積んで本渡市まで行き“お得意先”に届けたという話。筆者は「現代にあって何故自転車で」という思いが湧く。阿蘇や八代にも自転車でお得意さんにパウンドケーキを届けている。いくらお得意さんの笑顔を見たい、笑顔を届けたいと云っても商売である。もっと効率性を追求してもよいのではないか。記事中「以来コック帽と白い服で自転車をこぎ、ケーキを売り歩く…」とある。某日新本さんの店「ラ・モード」に丁度帰ったばかりの新本さんを見た。新本さんは帽子、服を着替える事なく厨房に入って何やら仕事を始めた。ケーキを作る“ケーキ職人”である筈、少々衛生面に気遣いが足りないのではないか。美談の裏はかくも寂しい。





熊日 「あの時何が」に物申す
白川公園・貯水槽に触れず
 熊本日日新聞(以降熊日)が同紙3面に連載している「熊本地震 あの時何が」について、疑問に思う記事があったので私論を述べたい。

 平成29年10月31日付「熊本地震123」とあるので123回目の記事と思う。見出しは「『水はいつ出る?』白川公園に長蛇の列」「熊本市上下水道局編④」だ。本震当日の午前の事だろう「『…白川公園が大変です』。同日午前、水道局に無線を入れる給排水設備課主査、山下豊(48)の声は上ずっていた。見る限り千人もの市民が水を求め、長蛇の列をつくっていたからだ』に続いて山下の役割を書き、当時、飲料水を唯一確保できた東区の健軍水源池で水をくみ、各拠点に配置した給水車やタンクに補給。中略。「…道路は激しい交通渋滞が発生。健軍から5キロしか離れていない中央区の白川公園まで、2時間以上もかかった」その後主婦の状況を書き「市役所、北部総合出張所、下益城城南中、長嶺小、花園小…。各地の給水拠点の中でも、特に多くの市民が集まったのが白川公園であった」以下略。この記事でおかしいのは白川公園が「防災公園」であること。地下に「耐震性貯水槽」があること等に一言も触れていない事だ。加えて掲載されている写真は「市上下水道局内敷地」で給水を受ける市民の姿だ。解説はあるが、記事とは一致しない。「見る限り千人もの市民が」と山下豊に云わせているが、あの時白川公園には2千~3千人が押し寄せていた。「2500人は下らなかっただろう」と話した北署員も居る。肝腎の地下貯水槽は、地震で止水バルブが故障したか、作動しなかった為流出してしまった。この貯水槽には100屯の水が貯水される。市の説明文によると「1人1日3lとして1万人の3日分に当る」とある。

 白川公園他防災公園については、小紙平成28年5月号で特集している。熊日の記者は目にしてると思うのだが、書いた記者は知らなかったか、若しくは「それを書けば市を批判する事になる」又は「県民新聞の記事は信用出来ないから無視」となったのか。4月号で「熊本地震から2年」として、2年前の記事を下敷きにして書くのでご覧頂きたい。白川公園に避難していた近くの住民は「水、食べ物全てが足りなかった。給水車が連続して来る訳でもなく、近くのメルパルクの水で大分救われた」と語っていた。水道町の米白餅からのおにぎり無償配布などもっと称えられてよいのではないか。多角的視点の報道を期待したい。



 目先の仕事、用事を優先する余り又もや大幅な遅れとなり心からお詫びを致します。5月号で発行月に追いつく予定ですので御寛容願いたい。

 最近「終活」が話題になり財産の生前贈与、遺言書の作成などが雑誌面を飾っている。当然財産管理の専門家である税理士や弁護士に相談する案件も増加していると思われるが、その相談相手に裏切られたらどうなるか、の見本が1、2面の悪徳弁護士の存在である。本記事では証拠が乏しく書かなかったが、被遺言者が周囲に“洗脳”されていた可能性が否定出来ないのである。第1の遺言書は木原弁護士が作成した第2遺言書に勝てなかった。目下最高裁で争われているが勝ち目は殆どないと見ていいだろう。唯一の救いが熊本家裁が下した「遺言執行者を取り消した事」であろう。この記事を読んで「全ての弁護士が信用出来る訳ではない」と知って貰いたくて記した。

 前号2、3面を見た読者は「あれっ」と思った方が多いのではないか。白蓮歿後50年として3面で少し流すつもりで書き始めたが、資料を読んでいると面白くなってあの記事となった。小紙及び筆者と北口議員について憶測の噂が流れている。次号特集で真相を明かす。
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