熊本県民新聞 WEB版
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〒861-8034
熊本市東区八反田1丁目14-8

発行者:福島 宏

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八代自動車学校
 県警を定年退職の際、希望者には警務部が再就職先を斡旋している。特に年金支給が繰り下げられてからは「斡旋先探しに追われた」と関係者は語る。

 在職中に担当した部署に係わる企業などに再就職するのを"天下り"というが、これは運輸関係が多い。受入れ側も「外部とトラブルが発生した際、県警OBが居ると解決が早い」と話す。以前にも書いたが、「問題企業程県警OBを抱えたがる」傾向が強いのは現在も変わりがない。それも大物(警視正=市内二署長と本部の各部長クラス)を欲しがる。前号で見出しを打った再春館製薬所(九警など関連会社含む)に最初に天下ったK刑事部長(警視正)については「あんな会社に何で警視正が天下ったのか」と県警内に反対の大合唱が起こった。当時の県警本部長はK刑事部長が行くのに反対していたが、当時の北署長、後任の刑事部長ら3人の警視正が本部長を説得、天下りが決まった。その経緯を小紙が素っ破抜いた為以後小紙を県警本部長が目を通す様になったという。前置きはこれ位にして本題に入る。

 八代市井上町の八代自動車学校では、校長として赴任して来た県警OBの厳格な運営方針に職員達が萎縮している。OB氏の名前はS氏、平成23年3月多良木署長(警視)で定年を迎え、翌平成24年4月同校校長に就任した。S氏の2人の兄も警察官で県警では「S3兄弟」と呼ばれていた。3兄弟の中で「一番出来が悪い」として現職時代は2人の兄に比べ評価は余り高くなかった様だ。校長に就任後は校内の規律に従って職員を管理しているが、思考に柔軟性が乏しいのか職員達の反発を招く言動が多かった。恐らく女子教習生から寄せられたと思われるクレームを聞いた翌日の朝礼で「ここはセクハラ教習所か」とか「職員はバカばっかしだ」と強く叱責した事もあるという。

 就任して1年が経って内部事情も把握出来たのか、職員に弛みが出たのか平成25年になると「職員研修資料」の配布が多くなった。平成25年4月付「業務の重要性及び職員の自覚保持について」と題して「指定自動車教習所の法的位置付け」など4項目を書いた文書を校長名で配布。同8月には職員研修資料「規律の保持について」「1、規律の定義」として「人の行為の基準となるもの。おきて、秩序、きまり。(広辞苑から)」として職員が守るべき条例や就業規則を分かり易く書いた文章を配布。同9月11日付。「校長指示」として全職員宛「1、いかなる理由があろうが、職員自身の携帯電話番号、メールアドレスなど教習生には教示しないこと。以下略」と至極もっともな教示を行った。これらの指導を「厳しい」と感じたのか、一部の職員が反発、小紙に情報を寄せたのである。他の情報は裏付けが出来なかったので省略するが、個人的悪意も含まれている文面であった。今春で3年を迎えるS校長だが、「70歳まではここで働きたい」は少し欲ばり過ぎではないかと思われる。



熊本公徳会
 今、県警警務課が頭を痛めている事案の一つが熊本公徳会に再就職したK氏の扱いである。K氏は、長年教養課術科(剣道)で後進の指導に当たっていた。K氏自身剣道特練部の出身で、一時期「剣道部師範を目指した」(元特練部後輩談)事もあったが、Y師範の代に他の部員が師範のコースに乗りK氏は外れた。市内署の課長(警部)で定年を迎えた。この頃公徳会には術科首席師範を務めたS氏(これも長かった)が居たが体調を崩した(膝が悪化)為身を引き、その後任にK氏が天下った訳である。本来公徳会は師範級(警視クラス)の定位置であった。柔道出身者と剣道出身者が交互に任用されていたが、この時は剣道出身の首席師が県警とトラブル関係にあった為「空き」が出てK氏が運良く入ったという訳である。

 K氏は公徳会に再就職して6年を迎える。2年前には県警教養課術科首席師範(柔道)が定年を迎えた為、県警としてはこの首席師範をK氏の後釜にと考えたとしてもおかしくはない。しかし、K氏は頑強に"肩叩き"を撥ね返して居据った。挙句には公徳会の某氏がわざわざ県警警務課を訪れて「剣道出身者のK氏がいいので交替させないでくれ」と申し込みを行ったと云われる。その前から関係者の間で「Kは公徳会に行ってから金回りが良くなった」「あそこは居心地がいいらしい」と囁かれる様になった。K氏自身も元同僚や、県警関係者に「公徳会は金が余ってしょんなかつたいな」とか「遣い道に苦労すっとぞ」等話している。これはK氏の駄法螺ではなく(3面で公徳会の正体を書いている)同会は金が余ってしようがないのである。同会関係者によると、一般財団法人である公徳会はこの法人規定により「余剰金の処分制限」を受けており「余剰金の分配を行うことができない」となっている。建物や設備など将来に向けた積立金は可能だが、関係者によると「必要にして充分な積立てを続けている」という。事情通は「公徳会の某氏とK氏のコンビで旨い汁を吸っている」と語るが、これが事実であれば同法人の監査(監事は3人)は甘いと云わざるを得ない。



嫌われる居据り組
 再就職先で居据るのも後進の道を閉ざすが、外部に再就職先が見つからず定年退職後も"再任用"で古巣に留まる者にも批判の声が飛ぶ。かつて小紙でも報道したM警部だが、今春定年を迎える。M警部について県民新聞報道後も色々問題を起こしたが表面化しなかった。人柄に問題があって外部に受け入れ先がなかった様だが、「この様な人物(腐ったリンゴ)が3年間組織に残るのは不快」の声も寄せられている。



熊本県警春の異動
熊本北警察署長に吉長氏
 県警は3月5日付で警部級以上の異動を発表する予定。異動規模は昨年より小さくなる見込み。警視以上の主要人事を小紙なりに予想してみた。現時点では飽くまで小紙の推定であり、外れが多いかも。刑事部長は池部正剛部長が留任。熊本北警察署長には吉長立志首席監察官が就任する。生活安全部長=中島恵一熊本南署長。交通部長=山広行交通部参事官兼交通企画課長。警備部長=佐藤正泉生活安全部長。首席監察官=甲斐利美警務部参事官兼会計課長。警察学校長=春野慎治天草署長。熊本南署長=奥田隆久刑事部参事官兼刑事企画課長。熊本東署長=岩本信行交通部参事。警務部参事官兼会計課長=松岡範俊宇城署長。交通部参事官兼交通企画課長=真嶋浩刑事部参事官(組織犯罪対策)。八代署長=宮崎正道警備部参事官兼警備一課長。宇城署長=松山昌紹生活安全部参事官地域兼地域課長。大津署長=石原裕洋九州管区警察局より帰県。玉名署長=村上文明警務部理事官(監察課長)。吹原直也熊本北署長は勇退する。以上過去の県警人事の流れから主要人事を予想してみた。当たるも八卦、当たらぬも八卦で、前回も相当外したが、昇進を予想して外れた方は寛容願いたい。御協力を頂いた方々にお礼を申し上げます。



 肥後建極会設立時の理事については、3面に掲載した小紙で報じている。理事長安達謙藏以下政治家、学識者など当時の一流人が名を連ねている。理事、監事12名の中で昭和30年代に残っていたのは石坂繁熊本市長と、伊豆富人熊日社長の2人だけであった。石坂市長は「建極会の土地を市民の為に生かせないか」と色々と構想を練っていたが、目的が定まる前に病歿された。

  しかし、かつて石坂市長が衆議院議員時代に秘書を務めていた八木繁県議が石坂市長の意を継いで動いたが、八木氏も若くして病死した。3面右下に見える地籍図は見て分かる通り昭和社(熊日)の土地と建極会の土地が複雑に入り組んでいるのが分る。再開発問題が浮上した後、ある情報紙に取材を受けた永野社長は「入り組んだ土地を使い易い様に調整はするが、建極会の土地は使わず、自社の敷地と一部民間の土地を利用して複合施設が入るビルを建設する」と断言している。

 又、「くまもと経済」が平成8年4月号で「再開発は『日航ホテル』核に」と報じたのを受けて月刊誌「自治通信」の平木社長がくまもと経済の記者に「あの土地は熊日だけの土地ではないので大きな建物は出来ない」と伝えたら記者は建極会の土地も熊日の土地と思い込んでいた事が分った。その後平木氏が永野会長に確かめた時も「うちの土地しか使わない」と回答している。が、その時には建極会の土地を含む一帯を再開発複合ビル建設の青写真は出来ていたのである。当時熊日社員の多くが「新聞社がホテルを建てるのには反対だ」と云っていたのを鮮明に憶えている。



幹部数名が一斉退職
看護師不足で大混乱
 「支配人に次ぐ実力者」と入居者や、職員から囁かれていた「介護サービス部」部長兼「ソーシャルグループ長」のSが平成26年7月31日付で退職した。それも自分の部下数名を引き連れて。Sの退職については、平成25年秋頃から一部の関係者の間で噂になっており、その後「辞める、辞めない」で会社側と揉めていた様で、26年の春頃には「金銭トラブルで会社から解雇された」との噂も立った。

 このSについては「損害賠償」を求めて入居者から提訴されている事は以前にも書いた。目下原告と係争中だが、これが退職の原因とは考えられず「別の金銭疑惑が表面化したため」と見る職員も居て、真の退職理由は目下「薮の中」である。数日毎に出勤したり欠勤したりしていたが会社側が正式に退職を公表したのが、前記7月31日付である。

 Sは勿論正社員。京都市内の病院勤務を経て熊本の民間病院に転職、平成19年4月にグランガーデン熊本介護フロアーの「ソーシャルグループ」の主任、平成20年8月介護サービス部マネージャー。平成23年4月に同グループの部長兼ソーシャルグループ長に就任し、以後退職まで権勢をほしいままにした。同時に退職したのは、介護サービス部Nグループ長。ソーシャルグループT主任。介護福祉のトップのOさん。以上は正社員である。介護の契約社員Iさん。Sらの少し前7月4日付で介護のナンバー2のYさん。8月19日付で看護師Uさん(正社員)の7名が3カ月の間にごっそり辞めているのである。会社側は派遣看護師で急場をしのいでいるのが現状であり、Sはケアマネージャーを兼ねていたので、Sの不在によりグランガーデン熊本の要介護者に支障が出ていると思われる。看護師、介護士不足で介護フロアは綱渡り状態が続いている。

 介護室入居者は12月現在28名で、残されたスタッフと臨時の職員では満足な介護が出来る筈はなかろう。会社側は入居者の不安を解消する為か、九電から出向し、総務部長兼総務グループ長の松山茂人氏を副支配人に格上げした。しかし松山氏は老人ホーム運営については素人であり「土、日祝には福岡の自宅に帰る松岡支配人を補佐出来るか疑問」の声も出ている。

 大量退職理由について全く報告を行わない会社側に、入居者は不信感を募らせているのが現状である。



S部長「退職届」送り付ける
何故か弱腰・会社側の対応
 S部長ら介護部幹部らの一斉退職は"反乱"と云っても過言ではない程で、会社側が受けた打撃は計り知れないものがある。

 Sは介護部長として、支配人らと共にグランガーデンの運営に携っていた訳で、その幹部社員が何度も辞意を表明した挙げく出勤しなくなった。慌てた会社側は福岡から茂田社長が駆け付けてSに翻意を促したが、Sが聞き入れる事はなかった。

 平成26年8月22日付「平成26年度運営懇談会総会議事録」(開催日同年7月23日)から潟Lューデン・グッドライフ代表取締役社長茂田省吾氏の挨拶の要旨を抜粋、引用させて頂く。「7月は九電の異動時期でございます。皆様にお支えいただきまして、私も、一緒に着任した副支配人の松山も無事に3年目を迎えることができました。異動に関しましては、グッドライフグループの各施設において『九電からの出向者が短期間で入れ替わるのはいかがなものか』とお叱りを受けることが多くございます。私自身も全く同感ですが、出向者をこちらの都合だけでずっと引き留めるわけにもいきませんので、九電本体には極力長く置いてもらいたい、また長く置ける人材を派遣してもらいたいという要請をしているところでございます(筆者注。これを通り一遍の回答という)。当グランガーデン熊本におきましては、支配人の松岡が定年退職後も当施設で働きたいと申し出てくれまして、今年の2月からは出向ではなく、グランガーデン熊本の直接雇用に切り替っております(筆者注。九電の経費削減で今後このパターンが定着するか)。

 福岡に自宅を持つ松岡を長くトップに置くには、サポート体制を強化する必要があると考えまして、2月に松山を副支配人に昇格させる人事を行いました(筆者注。これまで松岡支配人一人体制は一体何だったのか)。一方、介護サービス部におきましては最近退職者が多数出てしまいまして、皆様に何かとご不便をお掛けしておりますことお詫び申し上げます。介護サービスレベルそのものは悪くないと思っておりますし、クリスマスなどのイベントを見ていますと、創意工夫を凝らして楽しそうにやっておりますので、私としましては、職場の雰囲気は悪くないと思っておりましたが、実際は、その裏側にしっくりこない人間関係が潜んでいたようでございます。ぼつぼつ退職者が出始めて困ったなと思っていた所に、S部長から退職の申し出がありまして、正直大変なことになったと思いました。私は、今日のグランガーデンの介護があるのは、Sの功績だと思っており、高く評価しておりますし、有能なSが抜けるのは、本当に大きな痛手ですが、Sも昨年来、部下との信頼関係の構築に悩んだ結果での辞意表明でありましたので、この際、Sもグランガーデンも、新たな道に踏み出す選択肢もあるのではないかと思った次第です。実は昨年末にもSから退職の申し出があり、その時は引き留めようと福岡から熊本まで飛んでまいりまして、一生懸命慰留したのですが、今回は本人の辞意を尊重し、退職ということでやむなしという決断をいたしました。以下略」。

 この挨拶おかしいと思いませんか。「Sも昨年来、部下との信頼関係の構築に悩んだ結果…」というが、直属の部下を引き連れての退職である。信頼関係が確りしていたから部下がSに同調、若しくは引き摺られて辞めていったのではないか。「後足で砂を掛ける」が如き仕打ちの者に何とも寛容である。



グランガーデン熊本に弱み?
大量退職の原因究明なし
 S介護部長が部下を連れての退職は一種の反乱ではないのか。そのSを茂田社長は「Sも昨年来部下との信頼関係の構築に悩んだ結果…」と恰も弁護する様な言辞を述べている。Sはこれまで何人もの看護師や介護士を辞めさせており、職員からは「支配人よりも怖い実力者」と陰で囁かれていたのである。グランガーデンを切り盛りしていたと云っても過言ではない程で、九電から出向する生活サービス部長、総務部長、支配人らは全くSに歯が立たなかった、というよりSに頼り切っていた感が強い。別欄で「Sらの集団退職の真の理由が分からない」と書いたが、真理に近いのではないかと見られる「噂」を述べる。

 Sについては、食事が余り摂れない入居者に"誘われて"キャッスルで「2万円の中華料理を食べた」等、地位を利用した"たかり"的な行動が確認されている。入居者から「任意ではあるが現金を貰っていた」「入居者の金銭が紛失した(何度かある)時も本気で解明に動かなかった」と云われ、Sに疑惑の目が向けられた事もある。「金銭トラブル(横領)が表面化した為居辛くなったのではないか」と語るのは元社員である。小紙としては事実確認の取材を進めている段階であり、金銭疑惑を含めて"集団退職"の原因を突き止めたい。

 Sがグランガーデン熊本の運営に深く係っていたのは間違いなく、介護保険料の"増収"に貢献していた訳で「会社側は何か弱点を握られている為、Sを処分出来なかったのではないか」と見る事情通も居る。S等が去った介護グループは、主任のM看護師がグループ長に、Y看護師が主任に昇格したがS部長の後任は決定していない。ソーシャルグループは残ったYさんが主任に昇格した。



 左に掲げている県民新聞は平成11年1月号である。この記事は前年浮上した熊日を中心に「上通A地区再開発」に疑義を抱いた事に始まる。

 開発用地は熊日所有地(昭和社)と2人の土地所有者で再開発組合を設立、ホテルをメインにした複合ビルの建設となっていた。が、筆者は熊日社員の駐車場として使用していた土地が、財団法人肥後建極会の土地であると聞いていた。再開発問題が話題に上り出したので、その疑問を解こうと同地の土地謄本を法務局で取得した。やはり噂通り、再開発地の大半が肥後建極会名義であった。

 筆者が取材に動いていると知った当時の熊日社長永野氏から連絡があり「書くのであれば出来るだけ正確に書いてほしい。熊日が持っている資料も提供する」と云って若干の資料を頂戴した。しかしその資料は熊日に都合がいい様に纏められたものであったので、独自に資料を収集した。その結果、安達謙蔵(元衆院議員)が昭和18年9月8日付で財団法人肥後建極会に寄附している事が分かった。

 小紙では、同地を安達が青少年育成の為振武館など武道練習場を建設した折、「土地所有者らが主旨に賛同して安達に寄贈した」と聞いていたのでそのまま記した。しかし、今回改めて土地謄本を確認した所、土地の変遷が判明した。土地所在地は熊本市手取本町15番地ノ1(漢数字は現在に合わせた)。宅地1、122坪3合3勺であった。その後土地は合併、分筆等で昭和31年1月現在で1、159坪5合9勺となっている。所有者は同市上林町の沢村大八であった。この土地を明治24年10月13日付で済々黌創立者佐々友房が4、500円で取得した。翌明治33年6月安達謙蔵(水道町62番地)が売買により取得した。その後安達は長安寺町に転籍した。その後も数坪単位で隣接地を買収、昭和18年9月8日熊本市手取本町15番地在の財団法人肥後建極会に全ての土地を寄附した。

 肥後建極会を財団法人化したのは、個人が私的に運用するのを禁じる為であり、その財団に土地を寄附するという事は「土地を公の物として将来まで残す」という意志であったと思われる。建極会の目的も簡潔なもので「国体の本義に則り国民思想の善導、社会教育の普及及び発達を図るを以て目的とす」であった。この建極会は熊本公徳会と名称を変え、目的も本義を除けて文化面を強調、代表理事も代々熊日社長が務めて今日に至っている。(以下次号)



社会福祉法人星峰会
理事長退任
 熊本県高齢者向け優良賃貸住宅を運営する社会福祉法人星峰会が、この制度を悪用、理事長とその母親、妹らが不正に利用していると小紙が報道したのは、平成26年2月号であった。その後を報告する。

 小紙の報道を基に熊本市は同年4月、星峰会に対して特別監査を行い、事態の改善を勧告した。この際東三起夫理事長は辞任しており周囲では「責任逃れではないか」と囁き合っていた。報道の概要は「星峰会が運営する『県高齢者向け優良賃貸住宅』は公的(国と県)な補助金が支給されるが、星峰会理事長は母親の住民票を同所に移し、実際は二女が居住していた。母親は星峰会が運営する『望星タウンビル1階』に住まわせていた」というものだ。小紙の報道後二女は同住宅を退去したが、その間に受けた補助金は百万円を超えている。この外星峰会が運営する介護施設で供する食事も直接外部業者に委託せず、長女が代表を務める「竃]星」に委託、望星が某業者に"丸投げ"している。その他玄関マットなど施設の消耗品なども望星を通して納入されており、その分高くなっている。公的資産が投入される社会福祉法人にあるまじき利益優先行為ではないか。又、不動産の管理、売買がメインの竃]星の代表取締役は長女が就任しているが、実際の運営者は東三起夫氏と周囲の誰もが見ている。

 東理事長の経歴についても謎が多い。「植木の貧乏寺の出身」と云う者が居たり「妻が八代の方の大地主の娘」との説もあってはっきりしない。一番の謎は「彼が何故東海大学や、第二高校の寮を作る立場にあったか」である。これは本人から直接聞いたが「東海第二の学生寮(望星)69棟は全部私が建てた。それは私がマージンを取らず公正に入札するので大学側の信頼を得たからだ」であった。しかし、周囲では「東は仕事を出す時はっきりとリベート(3、4%)を要求する。その上建築費を値切るので儲けはない。だから俺は受注しなかった」と語る建築業者の声も聞く。69棟の多くは、何故か大分市に本社があった梅林組、後藤組が施行している。

 前号発行後東理事長は親しい市議に「福島さんに余りいじめんでよと云って下さい」と云ったらしいが、ここではっきりしておく。落水市議の件で2、3回あんたに取材した。その時の態度の横柄さと、その後の言動に不快感を持っていたのである。他ひ人とを甘く見ない方がいいよ。おっと忘れていました。望星の某女は20年来の「親密関係」だそうですね。女に家庭があるのでイニシャルも控えるが、彼女名義の預金通帳も色んな入出金がある様ですね。



熊日新聞に見る識者
大型識者の境界は?
 昨年12月23日付評論欄の見出しに異和感を覚えた。見出しは「大型識者評論『慰安婦報道検証』神戸大教授と、アジアプレスセンターナショナル代表」の2氏が慰安婦についての報道を論評したものだが、内容はさておき、見出しの「大型識者」に引っ掛かったのである。筆者が知る限り「大型識者」の初出は、蒲島郁夫県知事が「いい顔作り」に熊本県立大学に理事長に招聘した五百旗頭真元防衛大校長の論説を掲せた紙面であったと思う。五百旗頭氏は小泉内閣末期に防衛大学校長に任命されたが、その時から「何でこんなリベラリストが防大に」と思った記憶がある。案の定というか防大在職中に生じた"田母神問題"を批判した事でネット上で非難を浴びた。又朝日等リベラル紙にも「防大校長としては如何なものか」と思われる論文を発表、物議を醸した。確かに五百旗頭氏の経歴は華やかで多くない著書で「吉田茂賞」2回、吉野作造賞、毎日書評賞を受賞、文化功労者に名を連ねている。大型識者と云えば確かにそうかもしれない。が、若しこれ以上の大物が熊日紙上に登場した時はどういう見出しになるのであろうか。「超大型」と書くのか。1月にはオウム事件で名を挙げたフリージャーナリスト江川紹子氏も大型識者に列せられている。単に「識者」と表現された識者達が"僻む"のではないかと案じてこれを書いた。



再春館国税査察で
県警OBが土下座?
 轄ト春館製薬所に国税査察が入ったと前号で一報を打ったが詳細は調査中。洩れ聞く所では関連会社とキャッチボールで"節税"していたが、同社が渡した代金を相手会社代表が私したのを衝かれたとか。査察に怒った会長に県警OB2が土下座したらしい。



 熊本県警がサンズイ(汚職事件を指す)から遠ざかってずい分経つ。先頃上天草市の副市長が業者から買収された一件は久し振りの実績だが、副市長が建設部長当時から地元ではよく知られていた案件で、寧ろ遅きに失した感がある。熊本市議、県議は云うに及ばず、箱物の落札率が95%を超える阿蘇市を始め、南関町の廃棄物処理場など疑惑の事業は山ほどあると思うのだが。

 2面のグランガーデン熊本に「これが九電経営の高級有料老人ホームか」と思われる程次々に内部問題が発生している。抜本的に改良しようとする動きは全く感じられず「流石は九州経済界の雄九州電力」と思わされるばかりだ。体が不自由になり、外出時に介護士などの付き添いを頼むと1時間1500円である。居住者が「高いではないか」と懇談会の時に伝えると支配人は「高いとは思っていません」と答えている。ま、入居者は富有者が多い所為か余り不満は出ない様だ。4面の筆者のがん治療体験記は、治療だけに絞らず入院中に感じた人間関係を含めて記録したい。面白くない人は飛ばして下さい。前号で抗がん剤投与の予定表を載せたが説明文が抜けていました。お詫び致します。
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