熊本県民新聞 WEB版
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〒861-8034
熊本市東区八反田1丁目14-8

発行者:福島 宏

電話:096-234-8890
FAX:096-234-9883


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幸山突然の不出馬宣言
自民党県・市議団対応出来ず
人材不足図らずも露呈
 6月2日の幸山政史市長の4選不出馬宣言に一番驚いたのは市議達であったと思われる。自民党市議団は幸山4選出馬を既定の事実として早々に支持を決めていただけに"怒り心頭"の心境は察して余りある。

 早々に次期市長候補選びにかかったが議論百出、有力候補は浮上しなかった。熊本市を地盤とする県議団も、県職員、県議団の中から選出しようと動いたが"適任者"は居なかった。この中で、早い段階から「勝てる候補を推したら」と大西に乗っかかる声も出だしたが、某県議は「市長選だから市議団から推薦してくるのが道だ」と候補の選定を市議団に投げたのである。焦った市議団は高田副市長に声を掛けたが、市長職の裏をよく知る連れ合いの一言でノー。次いで農政局長に声を掛けたが彼も断った。次は坂本観光文化交流局長だった。人の善い坂本局長はOKしたものの選考委員会で歓迎されないと知って候補から下りたが、元のポストに戻す程幸山は甘くなかった。窓際に追いやられ不遇をかこつ毎日だ。飽く迄独自候補に拘わる(これは正論)市議団は若手市議に声を掛け、市議も「その気になっていた」らしいが、某からの一喝で尻尾を巻いた。

 この頃筆者は、某国会議員秘書と連絡「政令市となった熊本市を仕切れる人材は熊本には居ない。中央省庁に熊本出身の能吏は居ないのか。地元としがらみがない市長が誕生したら熊本市の活性化が図られるのではないか」と話し、相手も「その線を考えない事もなかったが、これまで成功した例がないし、先ず選挙まで時間が足りない」に納得した次第である。結局各メディアが報道した通り、自民党の候補者選考委員会で判断を一任された江藤委員長、小杉副委員が大西一史県議の推薦を決定、他の委員も同意して一応の決着を見た。但し、この決定について村上寅美県議団長、山本秀久県連会長には事後報告であった。

 大西は父の代から自民党県議の二世県議。父の地盤を引継いでの初当選で、当時幸山、大西、馬場、井手を若手4羽烏と、将来を期待した向きもあった。平成14年突如市長選出馬を表明した幸山を大西は公然と支援、自民党県連から離党勧告を受けて離党した経緯がある。県議団、市議団はこの時の"裏切り"をどう捉えているのであろうか。推薦すべきではないという正論派を"ゴリ押し"で押し切ったのが県議団の某である。狡賢いこの男「大西のMICE推進に期待をかけているのは明々白々である」とは某建設業者の見解である。(敬称略)



大西前県議・幸山と五十歩百歩
市政刷新 経済人石原に期待呈
 幸山市長が4選不出馬を公表したのが6月2日だったが、翌日には松野頼久(日本維新の会)が熊本入りし、大西一史、事業家Iらと会合した。その場で大西は市長選出馬を意志表示。松野、I等も同調して水面下で活動を開始した。

 大西が市長選出馬の意向を公表したのが8月8日、松野の大西支援表明が9月14日である。だが、この2人が出馬を確認し合ったのは6月3日である。その間大西は周囲に対し「幸山から事前に不出馬の連絡はなかった」とか「せめて私に一言あって然る可きだろう」等"異常な程"云い捲っていたのである。この大西の動きと幸山の「後継指名はしない」を裏から見ると何となく符合を感じるのは筆者の僻み根性の所為であろうか。即ち、幸山は大西にバトンタッチしたかった。だが己れの12年間の市政を顧みると負の評価の方が大きい。幸山後継が逆にマイナスに働くと考えても不思議ではない。ならば後継を指名せず大西が勝手に出た事にすればよいと考えるのも当然の流れだ。断っておくが、この筋書きは知性に欠けた老人が考えた事である。仮に大西の云う通り幸山の記者会見後に知ったとしよう。東京に住む松野が翌日熊本入りしたのをどう解釈したらいいのか。その場で大西は出馬を決め、事業家Iは支援を約束しているのである。その後出馬表明まで大西は支持者の意見を聞くとして多くの会合に出席しているが、関係者の話では「出馬準備の会合であったと解している」であった。

所で大西は果して"市長の器"としての能力を有しているのであろうか。ある市議は「幸山より幅はある」と語るが、県議の一人は「よく勉強して議会で質問をしているが、本人の視点がどこにあるか分からない」と語る。県議2期目までは「親父より真面目だ」と評されていたが、3期目頃から"口利き"の話を聞くようになった。議員の宿命である。支持者の利便を図らなかったら票は減っていく。当選を重ねる程県職員を動かし易くなるのは理の当然であろう。ここに筆者の政治家擦れを嫌う原点があるのである。

その点石原は事業家であり、政治家としては未知数であるが、経営者の視点から市政の運営を委ねてみるのも面白いと見ている。石原のいい所は私利私欲がない事だ。水あかりも完全なボランティア精神がなければやれるものではない。MICE施設に反対するのも経済人としてのソロバンを弾いたからであろう。一企業を利するだけで、費用対効果は「マイナス」とまで極言されているMICE案は否定されて然る可き愚策と云える。(敬称略)



三角、幸山、大西?
市政刷新 経済人石原に期待呈
 ここで熊本市長を数代遡ってみよう。筆者が知っているのは石坂繁氏からである。石坂氏は漢詩に造詣が深い学者市長であった。頑固な所はあったが私欲に動かない人でもあった。石坂氏の跡を継いだのは石坂市政で助役を務めた星子敏雄氏であった。満州国で高級官僚を務め、シベリア抑留も体験した苦労人であったが、石坂氏同様漢詩を詠む博学多才人で、清廉の士でもあった。色紙を貰っているが字は余り得意ではなかった様である。星子氏が後期助役として登用したのが田尻靖幹氏であった。田尻氏は助役を最後に退職し、次期市長を狙って深く静かに動き、見事市長の座を射止めた。田尻市長以降熊本市長の品格の低下が始ったと云える。田尻氏は3期目を狙ったが検察に動きを封じられ、急遽三角保之県議が自民市議団に担がれて出馬、当選した。が、脇が甘く、3選を狙ったものの、幸山政史という伏兵に虚を突かれて破れた。その幸山市政12年間が残したものに特筆すべき事柄があるであろうか。政令都市の実現を挙げる市民が多いが、合併町長、町議らの云いなりに施設を作り、連中の収入を保証した結果でしかない。そして大西?。



 告示日前旬日の今日現在、3候補の動きを追ってみた。

 元々県議としての基礎票を持つ大西一史は自民党推薦の御墨付まで貰って断トツで独走と云いたいが、必ずしもそうとは云えない様である。組織票を持つ県議、市議宅や事務所に足繁く通っているのも不安の表われか。幸山市長は「特定候補を支援しない」と云っているが、幸山の後援会は大西支援に動き始めている。但し、幸山と違って全力支援はなく「よくいって半分の票が大西に流れる位だ」と冷めた見方をする元幹部も居る。地盤とする北区は農家も多く、幸山後援会(現存するかどうかは知らないが)の多くは農業従事者が多い。だがJA熊本は石原との長年の取引きで人脈も繋りが深く、石原支持に傾いている。辻立ちの為大西が某JA支所の使用を申入れたが断わられたというのも一つの例だろう。

 3人の中で只1人政治経験がない石原靖也は東光石油渇長の経済人。「兄程の力量はない」と云われていたが、出馬宣言後の行動を見ていると「意外に根性があってやるじゃん」と思う様になった。その内の一例を挙げると自民党に推薦願いを出さなかった事だ。自民党県連や市議にも人脈を持つ石原が「政党の力を借りず市長選を戦う」とした心意気を買う。ある県議は「石原が推薦願いを出していたら多分石原を推薦しただろう」と語り「推薦したくても申請がないのに推薦する訳にもいかんしな」と、渋々大西に決まった経緯を語る。その石原の周辺は、と云えば全くの素人ばかり。事務所も自身が経営するGSの事務所を使用し、ボランティア10数人がのんびりと動いている有様。石原が若者に焦点を合わせているのは、水あかりや、まちづくりなどのイベントで中心となって動いた当時の大学生である。今では立派な社会人として活動している彼らが中心となって草の根として動いている。加えてプロ級のイベント立案者と云われる人物も熊本入りしている。本来熊本商工会議所が力を発揮すべき所であるが、「政治はタブー」として纏りはない。

 下川寛は「大西と話し合いの途中で大西が出馬表明した」として意地での出馬か。得票は大西5、石原3、下川2と見ていたが、今回の市長選は目玉が無く、市民の関心も薄く、投票率は低いとみられる。(敬称略)



幸山市長4選不出馬
強力な支援者が糸引いた?
 別項で幸山政史市長の4選不出馬について?で記したが、最新情報を元に分析してみた。

 幸山後援会について別欄で「存在するかどうか分からない」と記したが、同会関係者によると「後援会の解散はない」と聞いた。世上流れている噂では「幸山は衆院狙いでいる」「出るなら1区だ」「2区だ」「知事狙いだろう」等々喧しい。幸山自身不出馬表明後も政治家への転身を否定していないので前記噂が立っているのであろう。

 別項で「幸山の初出馬から強力に動いた人物が居る」と記した。その人物像が朧げながら見えて来たのである。仮にX氏と呼ぶ事にする。小紙5月号月旦評でMICE施設について「総務省出向の寺崎副市長が遺していった」と書いたが、これは誤りであった様だ。幸山に花畑地区の再開発を勧め、それが頓挫するとMICEに切替えたのもX氏の蔭がちらつく。ある情報では「幸山はX氏が見放したので出馬を退めた」と聞いたが、X氏も幸山も次を見越した不出馬であった様だ。

 X氏は幸山の市長選出馬を促し3期市長の座に据えた。4選不出馬は今年の始め頃からX氏の胸中にあったと云われ6月2日の不出馬表明に繋った。翌日松野頼久が帰熊、大西、I氏らと会合したのもX氏がセットしたと見られる。現在は大西支援で動いているが、X氏は松野支援者でもあり、大西市長が誕生した後は松野支援で衆院選で動く。その後が問題の幸山の行方だが、次の目標はずばり「知事の座」である。

 蒲島知事について「3期は出ないだろう」の声もあるが、蒲島は3選を狙っていると断言する。即ち現職蒲島対元市長幸山の戦いになるのは必定だ。蒲島さん思わぬ強敵が現れましたな。われわれから見れば、どっちも能(政治力)なしだ。蒲島は熊本出身と云っても知事選で戻って来ただけ、X氏程の人脈はない。3選なるかどうか。2年先の事を云うとカバが笑う?。
(敬称略)



MICE施設中止か推進か
二者択一で次期市長選出を
 次期市長選に出馬表明している3人だが、何れも保守系で、人格的に見ても"団栗の背競べ"(失礼)にしか見えない。市政の将来について大局的視点があっての出馬とも思えない。まさかの幸山4選不出馬で泥縄的に出馬を決定した感は否めない。但し、石原靖也は前回市長選の折「幸山では熊本市の発展は期待出来ない」として親しい関係者に出馬の希望を伝えた。しかし何れの関係者からも「今の幸山に勝てる見込みはない」と云われ、出馬を断念した経緯があり、熊本市政に対するビジョンは持っていたと云える。大西一史についても「幸山の次は自分が…」の思いを親しい人物に漏していたと云われ、市長への意欲はあった様である。当然幸山と話し合いの上で"後継者"として出馬が可能と読んでいた節がある。今回大西が云う様に「不出馬について電話1本なかった」のが事実であれば完全に幸山に裏切られた事になる。しかし、大西がMICE施設をほぼ幸山案で進めるという声は多く「大西の後に幸山あり」と事情通は読む。

 そのMICEだが、幸山が花畑再開発に失敗して産交グループが主導する桜町地区再開発に乗り替えた。要は産交グループが建設する複合ビルの保有床を熊本市が買取るという事である。ここに3000人収容の施設を作り各種会議、コンサートを呼び込み「市街地の活性化を図る」構想だ。市は施設の利用率を80%と宣うが、冗談ではない。市の資料でも平成23年度の都市別国際会議の開催件数は、福岡市の221件に対し熊本市は僅か10件でしかない。その福岡市は新たに5000人収容の施設の建設に着手しているのだ。3000人規模の施設を作ったからと云って80%稼働するなど夢の又夢である。この様な施設に300億〜350億円を投入するのは愚の骨頂である。その分の資金を福祉関連事業に投入し、市民の福利を図るのが市長、市議らの務めではないのか。

 このMICE施設について熊日の紙面に変化が見られだした。幸山不出馬もその一因か知らないが、明らかに「MICE批判」を意識した記事が増えたように感じる。常識を持つ多くの市民はMICE施設を批判している。中央省庁の関係部局でも「何を今更」と呆れていると聞いた。争点が殆どないと云われる今回の市長選であるが、このMICE一点だけでも充分に争点となり得る。それを知っているからこそ大西陣営はMICEを争点から外そうとしているやに取れる。

 見識ある市民に訴えたい。次の市長選びはMICE施設計画の推進派か中断派かで選んで貰いたい。二者択一である。選挙公約など当選してしまえば過去の物、何の役にも立たない事は幸山市長、蒲島県知事が証明済みではないか。小紙はこれまでも、桜町再開発で市中心街の活性化はないと論じたが、今後もこの論調に変りはない。(敬称略)



これでも車が悪い
貰い事故の教訓
 交通警察官が去った後、筆者が「整形外科に行きましょうか」と云った所、ダンス教師が「私も一緒しますから一寸待って下さい。バッグを取って来ますから」と云ってビルの階段を上って行った。筆者は〈どうせゆっくり歩くんだからダンス教師を待たなくても整形外科に向かっていると追っつくだろう〉と思って女に「病院にいきましょう」と誘った所「いや、私は歩けません」と云ったまま道端に立っている。筆者は肚の中で〈何が歩けないか、大した傷ではない筈〉と思いながらも〈タクシーを呼んでも一方通行をぐるぐる回って整形外科に行くまで相当時間もかかるしなあ〉と考えているとダンス教師がビルから出て来た。

  女に「さあ行きましょう」と声を掛けると女は教師の後について歩き出したではないか。足を引きずる様子もない。普通人よりゆっくりだが、徒歩で電車道を渡った。鶴屋東館を抜けるとすぐ中川整形外科である。2階にエレベーターで上って中川医院に入り、筆者が受付に状況を伝えた。女が診察室に入っている間、ダンス教師と雑談。女は菊南方面に居住、夫は死別で息子は県外に世帯を持っている等話し「あの人は心臓が悪いのでダンスのレッスンも激しい踊りは出来ません。ボケてはいませんが、物事の判断が危ういのでこの事故については私が仲介しますから」と云ってくれたので「よろしく。御迷惑を掛けますねえ」とお礼を云う。診察が終わった中川医師に呼ばれた。「福島さん骨折はありませんが、この方は高齢なので、あとから出る事もあるのであと2、3日して又レントゲンを撮ります。今日はシップ薬を出しておきますから」と診察結果を説明した。支払いについては筆者もよく出入りしているので「事故扱いで保険手続きを後からしますから今日はいいです」と云われて外に出る。ゆっくり歩いて「電車道を渡り、筆者の事務所前でダンス教師と女に「その内に教室に伺いますから」と云って別れた。

 18日に腰の牽引の為中川整形に行く。この時中川医師に「診断書はどうなっていますか」と聞くと「来週本人が来た時に書きます。年だから見えない骨折があるかもしれませんから」と宣う。大事故でもあるまいし、自分から筆者の車に当たりタイヤで足を踏んでもいないのに骨折などある筈はない。

 7月22日、熊本北警察署の交通第二課捜査係に呼び出しを受けていたので行く。係官から事故当時の状況を聞かれ、筆者が回答。簡単な書類を書き上げた。係官は「相手から診断書が出らず、示談が成立したらそれでいいですから」と云われ室を出る。私に仲介すると云っていたダンス教師は「診断書は出さないと本人も云っていましたから」と聞いていたので「これで一件落着」と思ったのである。

 この少し前頃から筆者の声が嗄れ出した。専門的には嗄声(させい)と云うが、要はガラガラ声になったのである。一週間様子を見たが改善しないので耳鼻咽喉科を訪ねた。医師は鼻からファイバースコープを挿入して診察後「声帯の片方に腫れが見られます、うちでは生検が出来ませんので熊大病院に紹介状を書きますからそちらで診てもらって下さい」と云ってすぐ紹介状を書いてくれた。3日後熊大病院に行き、結果的に広告した様に喉頭がんと診断された。この間、検査検査の上、入院前に片付ける仕事の為岩手県に行くなどして時間がとれず、事故の被害者と仲介人と接触出来なかった。7月30日に時間が出来たので鶴屋のモロゾフに行き1610円のクッキー缶2箱を求め、1つには「お見舞」として1万円入りの封筒をつけた。筆者は「相手が後方確認もせず当たって来た」と思っているので一銭なりとも使う気はなかった。しかし「診断書は出さない」と仲介人が云ってくれた好意?に応える意味での見舞いであった。翌31日の夜ダンス教師に会って品物を渡し「こちらは○○さんに、こちらは先生への寸志です」と伝えた。この時ダンス教師が「これはお渡しします、先頃息子さんが帰省したと云っていました。法律にも詳しいと云っていました」と云ったので〈法律に詳しければ母に実情を聞き、俺に謝って来て当然〉と思ったが、これは口に出さなかった。

 所が8月6日付で自動車安全センターから「7月16日の交通違反(事故)で4点になりました」と累積点数通知書が来たのである。と云う事は、筆者が見舞金を届けた時には既に診断書を北署の事故担当者に届けていたという事になる。ならば筆者が届けたクッキーと見舞金は拒絶すべきであった。それをのおのおと受け取った神経を疑う。何で違反点数が4点かも確認出来ないまま筆者は熊大病院に入院したのである。



理解不能 中川医院の診断書
右甲背圧挫傷・全身打撲全治45日
 2カ月の入院治療後退院して間もなく、車輌保険に加入していた東京海上日動火災保険株式会社(以降東京海上と称す)から「損害賠償に関する承諾書」が届いた。要は示談が成立したという事。相手に支払った金額が55、080円となっていたので「たったあれだけの傷だったのに支払いが多過ぎる」と感じたので東京海上の担当者に電話して支払いの内訳を聞いた。担当者は「治療に行った日の日当が1日4、200円でSさんは6日通っています。その6日分の倍額を慰謝料として支払い、あとは交通です」と答えた。「診断書は45日になっています」と云うのでゲッと思い通院日を聞いた。

 「7月16日から8月7日まで5日間と最後は8月29日になっています」と云ったので筆者は驚愕の余り3cm程飛び上がったのである(嘘)。病名を聞いた所見出しの通り「右甲背圧挫傷全身打撲です」と云う。背圧挫傷は見逃すとして全身打撲とは一体何か。6月号に事故の経緯を書いた通り、筆者の車が女と平行した時、女が突然右に動き筆者の車に接触したのである。女はよろけたが膝は地面についていない(直後に足以外の傷を案じて女に聞いた)。要は女が「何もないと思って道を横切ろうとしたらそこに車があった」訳である。筆者の車の速度は10キロ前後(未満の要素が高い)で、咄嗟にブレーキを踏んでいる。この状態では、女が筆者の車に当たってもその反動で車から離れた筈。車との接触時間は瞬間的なものであろう。転びもしなかった。その人物が「全身打撲」の負傷である。しかも治療日を見てほしい。7月16日は事故当日、その時中川医師は「骨折は後から出る事がありますから2、3日して来て貰います」と云ったので20日前後であろうか。以降8月7日まで3回も通院している。

 事故10日後位の時ダンス教師と電話で話した時「もうSさんは教室に来ていますよ、まだ踊っていませんが」と筆者に告げたのである。事故10日後には自力でバスに乗り、歩いてダンス教室に行き、3階までの階段を上下しているのである。中川医師が診断書を出したのは7月25日前後と推定出来る。その時点で45日と診断したのは何を根拠にしているのであろうか。加えて不審なのは、8月7日以降8月29日まで22日間の空白があるのは何故か。「頭部や腹部を強く打った」のであれば旬日以上経って症状が出る事もあるだろう。だが軽い打撲で治療を受けた人物が22日間を経て何か再発したのであろうか。しかも、8月29日以降は通院していないのである。事故当日も歩いて病院に行き、ダンス教室まで歩いて戻っている。数日後の通院もバスを利用、タクシーは利用していない。即ち"軽傷"と見ていいだろう。それをどうとち狂ったか中川医師は45日と診断したのである。で、最後の方で診断日数と治療日(8月7日で完治と筆者は見る)が合わなくなった。それで丁度45日目に当る8月29日を「最終判断日」として女が来る様に仕向けたのではないかと筆者は邪推している。この事を知人に話したら「あんたが個人病院に連れて行ったからたい。交通事故の場合大病院に連れていかんとこんな事になる」と云われた。だが、筆者は7、8年前だったか脊柱管狭窄症に罹り以降中川整形で週1回の牽引と投薬を受けているし、新聞も毎月届け、中川医師も興味深く読んでいたのである。特に「グランガーデン」の記事には強い関心を持ち、情報やアドバイスを貰った仲である。故に何故中川が筆者の不利になる様な誇大な診断書を書いたのか納得が出来ないのである。

 この中川という男、この2、3年前からリハビリに力を入れ理学療法士らを多用、商売繁昌だが、古い看護士らが次々に辞めているので疑問に思っていたんだが、最近中川の人間性に問題ありと辞めた人物から聞いた。因みに6日の治療で65、321円の治療代を得ている。






 金の成る木ならぬ「金になる川」白川の「白川漁業協同組合」の理事を巡って又泥試合が始まった。前回のトラブルは前組合長坂田拡穂の"組合乗っ取り"に発した。坂田は元組合長にあれこれ因縁をつけ追い出しに成功した。この間の経緯は小紙平成24年1月号で報道。更に同年7月号でも坂田組合長の横暴振りを報じている。坂田理事長は元山口系暴力団大門組傘下の坂田組初代組長であったと書いた。坂田が引退したのは山口組直参であった大門組の跡目相続で八代市に本拠を置く暴力団組長と争って破れた為である。二代目坂田組は長利若頭が継いだが、この長利が暴力事件で服役して坂田組は衰退の道を辿る事になる。

 足を洗った坂田は大津町の不動産会社を買収して不動産業を始めた。その関係で知り合った某の入れ知恵で白川漁協第3支部の理事に立候補した。心ある理事達は反対したが、人の善い坂口茂弘理事長が反対する理事らを説得して第3支部の理事に承認した。その後坂口理事長は「組合長、組合長」と持ち上げてくる坂田をすっかり信用して副組合長に据えたのである。

 白川漁協の事務は、坂口組合長時代欠員となり補充で、当時学校のPTA役員を務めていた都崎芙美子を坂口が誘い、経理事務全般を任せていた。都崎は夫が居る身であったが、坂口との仲を坂口の妻が邪推、組合事務所に怒鳴り込んだとの逸話もある。

 平成22年2月、宴会の席で坂口が都崎に卑猥な言葉遣いをしたとして都崎は坂田に寝返り坂田と二人三脚の道を選ぶ。この前後から坂田が組合の金を数万〜20万単位で流用しだした。この事は坂口が坂田の嫌がらせで辞める平成22年8月に口外した為初めて各理事が知る事となった。面白い事に坂田と都崎はこの公金流用で逆に坂口らを訴えたのである。小紙平成24年7月号で報じたが、要は「坂田が坂口に数回に亘り100万〜30万の借金を申し込んだが、坂口は自分に金はないとして都崎に組合の金を出して来る様に指示、その金を坂田に貸し付けた」として「被告坂口らによる組合財産流用事件とその解決」と題して平成24年2月17日付で提訴した。この報道の際筆者は「この裁判で原告が勝訴するとは思えないが」と書いたが、原告側は1審で敗訴、控訴した福岡高裁も今年1月に控訴を棄却、原告敗訴が確定している。本題に入る。

 今年6月白川漁協通常総会を機に今回の混乱が生じた。白川漁協の理事は上流の立野地区の第1支部が2名で、以下大津第2が4、第3は2、菊陽第4、熊本市第5の2支部は3名の枠で合計14名、その中から理事長(組合長)が選出される。各支部は事前調整で候補者を絞り総会で承認するというのが慣例であった。以前坂口組合長に取材した際坂口は「私が組合長の頃は理事になってくれと頼まないといけない程理事のなり手が居なかった。従って選挙など殆どなかった」と語っていた。それが坂田が代表理事(組合長)に就任して初めての総会が開かれた頃からおかしくなったのである。坂田は大津支部など主な所で自分の息のかかった土建屋などを次々に組合員に勧誘、理事も"身内"で固めだした。これに嫌気がした理事や組合員が脱けていき、かつては500人以上居た組合員は現在260人前後に激減している。今年6月の総会で新役員が選出されなかったのも第5支部は定員3人の候補を予定していたが、何を勘違いしたのか坂田側が3人の候補を立てた為トラブルに発展したのである。



理事選挙必至で自派引上げ
坂田組合長の読み外れる
 熊本市の第5支部は人選に難航、渋る坂口茂弘元組合長を説得して他の2人と共に立候補〆切直前に3人の候補を届出た。その為定数14人に対し17名が立候補した事になり「選挙で決める」案も出たが、「選挙になると5支部の理事数が偏る可能性がある」など異論が出た為選挙を見送った。これは定款に問題があり「各支部単位で定員オーバーの場合選挙で決める」となっていない(何れそうしようとの動きもある)事の欠陥である。坂田組合長は各支部の内、定数と立候補者が同数であった支部の理事を選任、定数オーバーの支部は立候補者を調整して定数にする様指示した(即ち第5支部のこと)。この所は7月1日付熊日「理事選見送った白川漁協 県、違法の可能性指摘」の記事内容と大分異なる。第5支部で坂田派(と断定していいのは1人だけか)と見られる3人の内2人は立候補を辞退したが、1人だけが粘って調整が難航(組合員資格も理事資格もない者)した。

 業を煮した県団体支援課は「選挙を行わず一部理事を決定したのは漁協の規定に違反している」として早急な選挙(理事選出)を指導した。漁協は選挙実施を決定、7月25日に締め切った所18人が立候補した。監事は定員3人に対し1人であった。ここで坂田が回らん頭を回して自身を含む9人の立候補を取り下げたのである。「これによって選挙が無効になる」と読んだ様だが、これが裏目に出た。県は残った9人と監事1人を無投票当選としたのである。この県の決定に坂田が怒ったのは当然であろう。県(団体支援課指導班)に猛烈なクレームをつけてきた。県職員の1人は「さすが元組長だ、迫力が違う」と小便を漏らしていた(これは嘘)。この抗議の所為か、県が9名の理事当選を組合に通知したのは8月4日であった(通常5日で決まっていた)。組合に対し県は定数未達分は早急に再選挙を実施して定員を確保する様に指導を行い、新執行部も「事務引継ぎが終り次第実施する」としたが、坂田ら(坂田と都崎)が事務引継ぎをしようとしないのである。理事の空白も早急に埋める必要から新組合長に推された西島武継組合長らは組合員の中から4人を説得して立候補して貰い無投票当選とした。9月20日現在この決定を不服とした坂田派は目下組合員から署名集めに奔走中で、まだ波瀾は続きそうである。



坂田組合長の無責任さ
新組合に事務引継がず
任期終了際一千万円引き出し失敗
 通常総会で次期理事選出が選挙となった為、自派(と思われる)候補者9人を取下げ選挙の不成立を狙った作戦は県が残った候補者を無投票当選として認めた。この作戦失敗で理事長のポストを失った坂田だが、新執行部に対する事務等の引継ぎが全く行われていないのである。漁協所有の公有物であるパソコンのデータも消去されており、新執行部が引継ぎを請求しても坂田は「都崎がやっていたので俺は知らない(これは事実、坂田は経理、その他事務処理能力がない)」と云い、都崎は「私は退職したので関係がない」と逃げ回っている。退職しようと解雇されようと、自分が担当した事務の引継ぎは義務である。

 この"遣り方"は坂田の面目躍如のヤクザ的手法である。その坂田と都崎は任期が終わる5日前、即ち7月29日に大津町の金融機関で1千万円を引き出そうとした。金融機関は常々取引先の白川漁協の実態を把握していたので某理事に連絡、理事らを呼んだ。坂田は「総会で決まった組合員への配分が完了していないのでこの金で配る」と云ったが、配分はとっくに終わっているのである。この配分金とは、立野ダム建設に係わる国からの補償金5500万円の内3348万円で「漁業補償金」として組合員に配分するとしたもの。残金の内2000万円を「漁族増殖基金」に充てるとして預金していたが、その中から1千万円を引き出そうとしていたのである。

  現場には坂田派の組合員も駈け付け現場が混乱した為金融機関が大津署に通報、警察官が駈け付ける騒ぎになった。結局坂田らの云い分は通らず金は引き出せなかったと云われる。組合員への配分金も「何処まで正しく配られたか疑問がある。今後消されたパソコンを復旧すれば全て判明する」と見ているが「坂田に隙を突かれない様パソコンには触っていない」と云う。



 合併号を含め3カ月分を休刊とした事をお詫び申し上げる。小紙の場合一般紙の様に熊本県民新聞社の名刺を他の者が持って取材しても情報収集は出来ない。筆者に対する信頼関係で情報が寄せられ、取材に走れば応じてもらえるのである。正に体が資本であるが、想定外の病魔に襲われてしまった。幸山市長が不出馬宣言した後の1番"面白い"時期に発行出来なかったのは残念である。その代りではないが、幸山不出馬、大西出馬の密められた動きをお届けする。情報の裏付けも限られているので100%確実とは断言できないが、「当たらずとも遠からず」で読んで頂きたい。

 3面の「貰い事故拡大版」は、第1報後予想外の展開となったので「こんな事にもなり得る」案件として読者に参考資料として述べた次第である。被害者の女と整形外科医に対し「何らかの法的手段が取れないか」と弁護士に相談したが、「提訴の理由がない」と云われ無念の臍を噛んだ次第。正義を通す為の金(弁護士費用)は惜しまないのが筆者の生き様である。4面の白川漁協は元暴力団組長が乗っ取った時から今日の状況を案じていたがその通りになった。来月3日に理事選が予定されているが、良識派の多くが坂田組合長誕生の前後から脱退してしまった。それも残った組合員の中で「正常化」を図る動きもあって予断は許されないが、勝っても負けても坂田が諦める事はない。
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