熊本県民新聞 WEB版
本紙の信条

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■ 発 行 所 ■
〒861-8034
熊本市東区八反田1丁目14-8

発行者:福島 宏

電話:096-234-8890
FAX:096-234-9883


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 左に掲げた文章の一部は、平成25年2月24日に行われた山都町町長選の直後に本紙に寄せられた住民の声である。文面から見て「相当なインテリ」と見た。4月号に書いたが、この投書の前、12月初旬頃にも情報が来ていたが、町長選直前でもあり、反町長派の謀略も考えられたので本格的な取材は選挙終了後に行うと決めていたのである。この投書が届いた為「町長の不倫は事実」と判断し、早速取材(と云っても調査だが)に動いた。

4月号では5月1日(水)工藤秀一町長と、町職員C子が松橋町のラブホテルを利用した事実を写真入りで報じた。山都町民の反響は、本紙始まって以来と思える程大きく、反町長派らしい人達から「これで真実が分かりました」と云った主旨の電話を多数頂いた。又、町長派と思われる住民から「町長とC子が2人で写っている写真がない」とか「発行日と記事が合わない、あの記事は嘘だろう」など3、4人から電話があった。その人達には「嘘の記事なら告発したら如何ですか」と云うと電話は切れた。

本紙発行後に山都町長選について寄せられた情報では、告示前から相当過熱し、双方で非難合戦が繰り広げられたらしい。兼瀬陣営は、引退表明している甲斐利幸町長の在職中の不正疑惑と工藤氏の建設課長時代の甲斐町長との癒着とC子との不倫を衝いた。形勢不利と見た工藤陣営(実際は甲斐陣営だが)は熊本市の河津弁護士を代理人として下に掲げている「警告書」を兼瀬陣営に発した。これで兼瀬陣営は怯み、攻勢の柱を一本失った。加えて、工藤派の知恵者が蘇陽町の男に立候補を促し、票を割った。甲斐町長は「まるで自分の選挙の様な熱の入れ方だった。町役場改築という大仕事を手離したくなかったからだろう」とは町の識者の話。本題に入る。

本紙報道は4月号で終っていた。発行直後に「写真は合成だ、記事も嘘だ」の中傷は耳にしていたが、「田舎町の町長と職員の不倫を続けても、他の読者は市内居住者が多いので余り興味はないだろう」といった判断もあった。

しかし、ここに来て本紙4月号への誹謗が強くなっていると町民から通報があった。26年2月で工藤町長は任期1年を迎える。するとリコール運動が可能らしい。リコールを防ぐには4月号の不倫報道を消さねばならない、と思ったのか、日に日に非難が高まっていると聞いた。で、本記事を提供する。



選挙直前弁護士使い虚偽で圧力
本紙4月号写真付不倫報道
全町民が真相を知った
平成25年4月号が配付された直後、工藤町長は支持者(土建業者、有力町議)らと何度か相談の場を持ったという。C子はC子で早々と「あの写真は合成で、私に身に覚えはない」と弁解しまくったと聞いた。4月号2面で少し触れているが、不倫現場は複数回確認していたのである。全てを書かなかったのは、紙数がなかったこと。幸山政史熊本市長と秘書の不倫を連続報道した為「手の内を相手に見せてしまった」反省もあって日付けを明らかにしていなかったのである。筆者も第2弾を出す予定はなかったが、事ここに至って「県民新聞の記事は嘘っぱち」と喧伝している連中の鼻を明かす為第2弾をお届けする。詳細は2面に譲り、ここでは工藤陣営が虚偽の言をもって河津弁護士を使って選挙民の判断を誤らせた事を追及したい。

右下に河津弁護士が兼瀬氏に送達した警告書を掲せているので、虫メガネで読んでほしい。警告書は「工藤氏自身のプライバシーに関する虚偽の事実を流布されている事実を掴んでいる。中略。それは単に違法だというだけでなく、刑法や公選法にも触れる虞れがあり刑事事件にもなる…略」この"脅し"が効いて兼瀬陣営は「分かっていながら証拠を掴んでいなかったので反撃出来なかった」と悔む。そして当選した工藤秀一氏、よせばよかったのに吾子を産んだとされるC子との仲を切れず不倫を続けた為、本紙に確証を取られてしまった。即ち、この警告書は嘘で固めたものであり、効力はなかったんだが、兼瀬陣営が甘く、事前に証拠を握っていなかった作戦負けである。

工藤陣営は別にC子の元夫のU氏が持っていた写真(工藤課長、C子とその間に産まれた赤ん坊の3人が写っている)を後援会幹部がU氏と接触、写真を300万円で買い取った。その写真は、U氏がC子と離婚する前、C子が枕の下に敷いていたのを見つけて持っていた物と云われる。U氏は人が善い(ボーとしている)為か、この300万に味をしめて働きには出ておらず、次の鯛を狙ってか町の有力者に委任して、工藤町長相手に民事裁判で係争中であるが、U氏への町民の目は冷たいものがある。



 安倍政権がこれまでの政権がタブー視してきた国家の秘密を守る「特定秘密保護法」を成立させた。法案成立前後のメディアの狂乱報道には辟易した。"赤い朝日"は臨時国会幕明け当日から反対キャンペーンを開始。地元紙熊日も共同通信からの流し記事とは思うが11月30日付社会面で反対キャンペーンを展開した。「秘密保護法案 新聞各紙激しく指弾」の横見出し「国会の自滅」「情報統制だ」の縦大見出しで、全国地方紙8社(熊日含む)の社説を中心に論評している。この欄の下段に「山都町議 中村益行さん」の写真入りで、林記者が質問の形で中村町議に秘密保護法案反対の弁を語らせている。熊日が狡いのは、中村議員の所属政党を明らかにしていない点である。中村議員は山都町上空を飛ぶとされるオスプレイは勿論、大矢野原で実施される陸上自衛隊の日米共同訓練などに反対し続けている人物である。所属政党は新社会党、衰退を続けて希少的存在となった政党員である。この様な"思想的偏向"度が強い人物にこの法案について質すこと自体が無意味。というより、法案反対の流れを第三者を粧って読者に植え付けようとしているのではないかと疑問を抱く。反対論の大方が「戦前の治安維持法に繋る」「報道の自由が失われる」と共通項に結ばれる。元々国家公務員などには「守秘義務」が課せられているが、罰則が何とも緩い。日本がスパイ天国と云われて久しい。同盟国との絆を強める上でこの法案は必要不可欠である。



 工藤秀一山都町長の不倫を報道した本紙平成25年4月号(実配付は5月中旬)後に開かれた山都町定例議会では、当然の事として工藤町長の責任問題が追及された。町民から送付された江藤町議発行の「議会通信やまと」によれば、江藤議員が本紙報道記事を元に工藤町長を追及したが「私生活のことで答える必要はない」とか「この件は弁護士と相談中である、町長の重責を認識し、町政に集中したい」等述べている。「町長の重責を認識…」を云うなら、女性問題で多くの町民から見離されている現状に鑑み、辞任して再度町民に信を問うべきではないか。これまで嘘八百で隠して来たC子との関係を、明白にした上で辞職出直し選挙で再選されれば町民は「みそぎを果たした」と受け入れるかもしれない。弁護士を使って相手陣営を威嚇しての勝利は不純と云うべきであろう。町長及び有力支持者は「県民新聞を近く告訴する」と弁明に必死であるが、事実を知るのは町長自身でありC子である。告訴しても勝ち目がないのは分明の為身動きが出来ないのであろう。

 工藤殿、いい解決策をお教えしよう。それは県民新聞に300万円を持って来る事だ。見た事もない大金を目にしたら「あの記事は嘘でした」と書くのはお手のものです(これは冗談)。

 解決策は二つある。一つはC子との間に生まれたX子ちゃんを認知し、養女として自分の戸籍に入れること。この場合妻の説得が難題だが、幸山熊本市長の様に土下座すれば妻も許してくれるかも。尤も養子の町長、不倫を養母が知って「この家から出て行け」と云われたとか。二つ目は、養母と養子縁組を解消、妻とも離婚してC子と再婚することである。結婚してしまえば、山都町の善良な町民は「責任をとった」として許してくれるかもしれない。但し妻への慰謝料と、離婚後の生活は保証すべきでしょうな。

 工藤町長への忠告。山都町民が怒っているのは選挙運動中、多くの町民が"事実"として認知している乱脈な女性関係、それも五人全てが町職員であること。C子との間に生まれたX子を「自分の子」と認めない上、「事実無根」と弁護士から警告書を送達した所にある。甲斐前町長のロボットとも云われている工藤町長に、過疎化が著しい山都町を改革する事が出来るかどうか。お説教はこれまでにして、本紙が確認したC子との不倫の概要を記す。時間を追って書くとスペースが幾らあっても足りないので要旨と、写真も必要最小限に留めた。まだ信用出来ないという人達には"生写真""ビデオ映像"をお見せしますよ。但し1回につき10万円頂くが…。

 平成25年4月2日(火)C子を認定する為、役場で待機、出勤するC子を確認。この日C子は町長と会わず。翌3日(水)終業後愛車に乗ると自宅方向ではなく、218号を下る。約55分で松橋町豊福の熊本南病院の駐車場の奥の方で停車。約12分後工藤町長の軽自動車が来てC子の車の右側に停止、すぐC子が助手席に乗り込む。町長の軽はすぐ発進、国道3号を北上し、松橋町久具から3号線を外れ、市道を通ってラブホテルB1の裏出入口から入ると101号室の車庫にバックで入った。しかしこの辺りでは張込み場所がないので病院駐車場に戻る。午後10時6分頃B1で駐車中の軽を写すが、地形的に出て来る所は撮れないと判断して再び駐車場に戻った。



4月3日・10日・25日・5月1日
工藤町長とC子のラブホ通い
1カ月で4回は多過ぎる?

 午後10時40分頃、軽が駐車場に戻る。5分程してC子が下車、自分の愛車に移ると町長は発進、少し遅れてC子も駐車場を後にした。

 4月10日 水曜日
 午後6時頃C子は役場駐車場を出て3日と同じルートを通って熊本南病院駐車場へ。午後7時頃町長到着、C子の車の右側に停止、すぐC子が助手席に乗って軽は発進(写真参照)してラブホB1に行く。室は101号室。午後10時頃町長の軽が病院駐車場に戻り、C子は自分の車に乗り移った。町長が先に発進、1分程してC子が発進、松橋バイパス側道から218号に右折して山都町方向に走り去った。

 4月25日 木曜日
 前2回の工藤町長とC子の行動パターンからわざわざ町役場から尾行の必要はないと判断して熊本南病院駐車場で待つことにした。そして昨日は水曜日だったので、午後5時頃から調査員を派遣したんだが2人は来ず見事に空振りした。今日も午後5時30分頃病院駐車場で待機させた。尾行せず待ち受けるのは写真撮影の目的でもあった。しかし今日もC子は陽が落ちた午後6時55分頃来たので写真撮影は出来なかった。午後7時10分頃町長の車到着、C子を乗せるとバックでターンしてB1に向かう(写真参照)。今日は101号室に先客があったのか、102号室に入る。午後10時20分頃町長の軽が病院駐車場に戻って来た。3分程してC子が下車した所を赤外線を使って撮影した。紙面でははっきりしないが、"生写真"ははっきりC子と認識出来ますよ。町長の軽はすぐ発進したがC子は2分程して発進していつものコースを通って218号線に出て山都町方面に向かった。

 5月1日 水曜日
 この日の行動は4月号に記述しているが、前にも記した様に工藤町長の不倫報道は、第2弾を出すと思っていなかったので、本欄の通り4回確認した状況を纏めて記述している。従って5月1日について正確に記すと以下の通りである。この日調査員は早目に熊本南病院に向かっていた所、城南町から松橋町の国道218号交差点で偶然C子の車と出会ったのである。いつもと違って松橋駅方向に走っていたのでそのまま追尾した所、駅近くの「コメリ」に寄った後「黒潮市場パルシェ松橋店」に寄って午後6時12分頃熊本南病院駐車場に入った。約20分後工藤町長の軽が到着し、すぐC子が車を下りて移ったがその時の写真を、本号では大きく撮れている場面を掲せているので参照して頂きたい。これを合成写真と云えますか。町長の軽はすぐ発進してB1へ。午後10時20分頃軽は病院駐車場に戻り、C子は下車、軽はすぐ発進した。尚、町長の写真もあるが生写真では町長と分かるが、印刷するとぼけるので掲載はしなかった。以上が本紙が4回に亘って確認した工藤町長の不倫現場である。




 旧臘12月、猪瀬東京都知事の辞任を受けて都知事選候補者の名前が挙った。東国原や舛添ら数名が取沙汰された中に細川護煕の名前は無かった。所が歳の瀬が迫った12月下旬になって小泉純一郎の名前と共に細川の名前が急浮上、新年に入ると"当確"と目されていた舛添の有力対抗馬として報道されだした。小泉、細川コンビが舛添に挑む構図をメディアが作り上げた。

 二人が掲げるのは原発廃止のワンフレーズ(最近メディアはワインシューと云い出した)で都知事選に臨むらしい。小泉流は火を見るより明らか。即ち細川は上手く小泉に乗せられたのであろう。両元首の残した物で「国民の為になった」案件が幾つあるのか。小泉が唱えた郵政民営化は、未だ日本の郵政事業を混乱させている。細川の唯一の遺品は「小選挙区制」の制定だが、これも現在では弊害の方が大きいと見直し論が出始めている。細川は信念を持たない男である。その場その時で主張がぶれまくる。年明けに出馬を表明したものの、隠居後約20年自由気儘に趣味人として生きた細川だ、そんな男が6万人の職員を抱え、1千万余の都民が住む首都の知事が務まるかは自明であろう。誰が何と云おうと出馬すべきではなかった。尤もその軽さが細川の身上でもある訳だが…。出馬表明後、元秘書や政友?達が馳せ参じているらしいが、この連中は細川が当選しようと落選しようと痛くも痒くもない者達と理解していた方がいいだろう。

 この面に掲せているのは本紙平成9年2月号である。佐川急便1億円疑惑の追及を受け、総理の座を投げ出した後、このオレンジ共済(詐欺事件)からの多額献金問題が浮上した。このオレンジ疑惑を追及した本紙だが、この号の編集後記に「われわれ県民は細川の仮面の下に隠されている醜悪な"支配本能"を見るべきであった。あの優しそうな笑顔につい騙されていたのである」略。東京発のアングラ情報では「細川が東京地検特捜部に事情聴取された」永田町筋からは「細川は議員辞職を取り引きに使うらしい」と記している。この報道の7カ月後の平成11年4月30日細川は衆院議員を辞職、後継に親しかった自民党の松野頼三の子息頼久を推した。オレンジ疑惑の真っ最中には全国紙、週刊誌記者が熊本入りして筆者に接触した。新聞記者連中は帰京後音沙汰なし。週刊誌記者は義理固く、以後今日まで交流を持つ何人かが居る。








山都町長不信任案
賛成少数で否決

 1面でも書いているが、山都町工藤町長と町職員の不倫報道は山都町民に大きなショックを与えた。反町長派は「それ見た事か、選挙中に否定した女性問題は事実だったではないか」と意気が上がった(と聞いた)。町長派は突然の報道に右往左往したと聞く。町民の多くは「噂が事実と証明された」として町長に対して不信感を募らせた。9月議会では当然の如く「町長不信任案」が野党議員から議員提出の形で出されたが賛成5、反対11で否決された。反対した議員の節操の無さと、内容が面白いので各種資料から抜粋する。

 稲富議員「大事な庁舎建設のことや、総合計画などの議決が必要な時に、関係の無い話が延々と続く。個人的事案で町長の私生活に関してであり、自治法に『私生活に亘る言論は行ってはならない』と規定がある」と述べているが、この条項は「職務上必要な限度を超えて個人の問題に立ち入ってはならない」であり、工藤町長の場合自分の部下である町職員との不倫で、この条項は当て嵌まらない。しかも、C子との間に子供まで作っているとの噂が事実であれば「町長の資格なし」と問われて当然であろう。

 中村議員「町長の不信任は私へのリコールや、庁舎建設の案件の延長線上にあるのではないか。町長が職責上不正を行ったのであればともかく、私的なことでとやかく云われることはない。町民の利益にならない事で時間の無駄だ」。中村議員については本号1面「月旦評」で述べているが、本来権力に反対してこそ存在感が示される筈だが、田舎町では権力側を擁護する不思議さ。聞く所によれば議員歴も長く、議員の中では実力者と呼ばれているとか。これまでは、何でも反対、特に陸自の演習に係る案件など殆ど反対し続けているらしい。工藤議員は一番傑作であった。自身の旧蘇陽町職員時代に女子職員との仲が噂に挙った事を例に挙げながら「不倫など取るに足らない」と云いたかった様であるが、余りだらだらと自己弁護だか、町長弁護を行った為議長から注意される有様だ。蘇陽町は後藤町長が女性問題、不正入札で矢玉に挙がった男であり、それを見習っていたのか(後藤町長の不正疑惑は本紙がたっぷりと報道させて頂いております)。

 賛成討論は野党4議員が登壇した。要約すると「町長は公人であり私生活も町民の範となる義務があり、女性問題は政治家としての倫理が問われている」「町長はまだ若いのだから一度けじめをつけて町民の判断を仰いだらどうか。町民との信頼関係は失われているのです」等至極まっとうな言を述べているが、少数派の哀しさ、不信任案は否決となった。

 工藤町長は常々座右の銘として「源清ければ流れ清し」を挙げているらしいが、C子との不倫現場が暴かれた今、潔く町長の職を辞して信を町民に問うのが道理であろう。酒を飲まない工藤町長は「飲み屋の女性」と係る事は少ないであろう。町民の多くが云う様に「C子が町役場の職員でなかったら私達もこれ程町長の責任を追及しません」の声に耳を傾けるべきではないか。熊本地裁で係争中の案件で原告側がDNA鑑定を求めているのに対し、町長側は否定しているという。C子が産んだ三女の将来を思うなら早急に責任の所在を明らかにすべきであろう。



突然の熊本県知事三選不出馬宣言
総理の座8カ月で投げ出した
共通点は金・女で追い込まれた
 細川護煕氏が都知事選出場を表明したのには驚き、且つ呆れた。佐川急便1億円問題や、オレンジ疑惑を追及され、政権を僅か8カ月で投げ出した御仁が表舞台に立てばメディアの好餌となるのは明白なこと。小泉元総理に背を押されたのだろうが、あの歳になって敢えて恥を晒すこともあるまいにと思う。雀百まで踊り忘れず。

 本紙は平成6年から細川氏の人格的欠陥と政治手腕を問い続けた。今更の感もあるが、「東京都知事に相応しくない男」として過去の言動を検証する。左に掲げたのは本紙平成8年10月号(上)である。本紙の創刊は平成6年4月であるが、その4カ月後にスクープ第1号を放った。当時話題になり、週刊誌各誌や新聞メディアが追っていた「細川総理の元女」である。週刊誌各誌は写真の女性大津啓子さんを「十年前に死亡」などと報じていたが、本紙が「生存」の噂を聞き調査した結果、市内に居住しているのを確認して取材。その時、真正時報を出していた楠本某が「私に情報をくれ」と云ったので大津さんの住所を教えた所、楠本は週刊新潮に通報、週刊現代にも売り込んだ(後に係争に発展)。写真誌フライデーにも他のルートから情報が行き、筆者が市内ホテルでフライデー記者と写真記者に紹介した。その時大津さんを撮ったのが井上記者で、同氏は現在も活躍中だ。この中で、大津さんは「クラブたそがれ」のホステスをしていて、来店した細川氏を知り親密な関係になったが、妊娠を伝えるとぴたりと来なくなった。大津さんは、細川氏の秘書八塚、磧上氏らに連絡して断られ、田村商事の楢木野部長に相談した。細川氏は「私は子供の頃お多福風邪を患ったので子種はない」と否定したが、楢木野氏が堕胎費用26、000円を出して大津さんは細川氏の子を堕ろした。

 その後、この問題が表面化した為、細川氏は60万円を大津さんに支払った。細川氏が朝日新聞記者を辞め、政界入りを目指していた頃の不倫第1号である。その後熊本県知事時代から衆院議員を辞職するまでの約20年間に話題に挙がった女性問題は5指を超える。それが原因で、一時佳代子夫人はノイローゼに罹り、1年余の治療を要したのである。議員辞職後、細川氏は神奈川県湯河原町に居住、趣味で始めた陶芸の焼物造りに没頭していたが、佳代子夫人とは別居したままである。1月20日東京都狛江市で開かれた演説会に代理出場した佳代子氏だが、夫婦の仲は冷えきったままである。



佐川急便1億円疑惑
熊本県知事選で遣われた
 細川護煕氏の東京都知事選出馬表明で又ぞろ細川氏の周辺が騒がしくなった。メディアが問題視しているのは、猪瀬前知事が徳州会から貰ったとされる5、000万円疑惑に準なぞらえて報じている。しかも真実を捉えている記事は見当たらない。以下に述べる本紙にしても直接当事者に確認している訳でもないので推察の域を出ないとお断りしておく。

 細川氏が佐川急便から借り入れたとされる1億円は、その前東京地検特捜部が「佐川急便の多数政治家への献金」が政治資金規正法違反に当るとして強制捜査に入って判明した事案である。細川氏が佐川急便(佐川清社長)から1億円を借り入れたのは昭和57年9月、東京地検が押収した佐川急便の出納簿で出金されていたもので、勘定科目が貸付金とでもなっていたのか。この金は元々返金の必要のない金、即ち賄賂であったのは、その後細川氏が佐川急便に各種の便宜から推察出来る。第1はその頃佐川急便は熊本での大規模基点を模索、熊本市小山、戸島方面の農地に目を着けていた。しかし、固物知事沢田一精氏は農地転換を認めなかった。そこに浮上したのが次期知事選に細川氏が出馬する話であった。この情報を得た佐川急便が資金の提供を申し出たとするもの。1億円の中から自民党県連所属議員(48~49人)に各百万円以上がばら撒かれた(後に自民県連幹事長に就いた米原県議から確認)。残金及び他からの借入金で知事選を戦って勝利を手中にした。

 細川氏は沢田前知事が無駄遣いをせずに貯えた県の積立金150億円を8年間の在任でほぼ遣い果たした。3選出馬が確実視されていた平成2年2月11日の記者会見で細川氏は突然3選不出馬を表明、周囲をあっと驚かせた。「権不十年は私の一貫した決意だ。権力の座に長く居れば腐ってくる」と格好をつけて。

 平成10年の衆院議員辞職の際は先祖(細川忠興の妻)ガラシャ夫人の遺詠「散りぬべき時知りてこそ世の中の花は花なれ人も人なれ」を引用した。筆者はその戯歌「散りぬべき時など知らず権力に返り咲きたしわれも人なれ」を呈している。



 山都町工藤町長の職員との不倫問題を再度報道する。本文にも書いたが、第1弾で終るつもりであったが、本紙への批判が高まっていると聞いたので第2弾となった。C子が「あの写真は合成」と云うのは分かる気もするが、工藤町長支援者らが「何としても町長のポストを守ろう」とする余り、自身らは「事実」と分かっていながら本紙を嘘の記事で固めた新聞と云い捲っているのは許せない。事実でなければ第三者が告発という形で本紙を罪に問う事も出来るのである。さっさと告発したらどうか、2回も書いているんだぜ。訴えなけりゃ男が廃るというものだ。細川氏については「今更何故あんたが」の思いが強い。週刊誌の漢詩紀行の写真と解説文は筆者の学びの場として楽しみにしていたのであるが。ここで余り知られていない細川氏の一面を公開する。細川氏は、熊本県知事時代歌人の安永蕗子氏と出会った。議員時代は年賀状の遣り取り位であったが、議員辞職後作歌を始め、年に数回10~20首を安永氏に送って添削を受けていたのである。文系の血脈は細川氏の中に流れていたのである。権謀術数に満ち溢れる政界より文人が向いていたと思うが…。
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