熊本県民新聞 WEB版
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〒861-8034
熊本市東区八反田1丁目14-8

発行者:福島 宏

電話:096-234-8890
FAX:096-234-9883


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 熊本市立天明中学校で、柔道部に入部を希望する生徒を中学校教員の自宅に下宿させ違法に転入を認めているのが小紙の調査で判明した。現在教員宅に下宿しているのは県外(滋賀県)生1人、市外生5人、市内生5人の11人である。下宿と云うか、教員の預り先というか、生徒らが宿泊しているのは前天明中体育教員T氏宅で、T教員は柔道5段、日体大出身で、体育教員として熊本市教育委員会に採用された。中学校教員で柔道3段以上は少く、T教員は柔道を目指す少年達に歓迎された。

  平成12年頃天明中学に着任、体育を担当する傍、柔道部コーチとして生徒達を指導していた。同中学校は、県内でも屈指の柔道強豪校として知られている。中学校柔道県大会で優勝したり、各冠大会で優勝するなどの実績があり、同中出身でオリンピック出場者もいる。「平成13、14年頃からT教員のルートで柔道少年のスカウトが始まった」と語る父兄も居るが、この点ははっきりしない。又この頃からT教員宅に生徒が"下宿"して天明中学校に通うようになったと云われ、当初数人程だった"下宿生"も表記の通り、現在11人の大世帯になっている。その内の1〜2人は校区内に近親者が居るものの、生活環境等からT教員宅に「預けている」(近親者談)という生徒も居る。市外からの生徒は「T先生の指導を受けたい」として熊本市内や、校区内の知人、身内の住所に住民票を移して"柔道目的"で天明中に入学したものである。この点について、「熊本市役所で住民票を調べた結果、殆どの"下宿生"の住民票はT教員宅となっていなかった」と書きたい所だが、個人情報の守秘義務として熊本市が個人の情報を閲覧させる筈もなく、残念ながら未確認と書くしかない。

 但し、取材を行った天明中学校々長は「T先生の所に11人もの柔道部員が下宿しているのは知らなかった、初耳です」と話すと共に「柔道部員の住所は校区内に点々とあります。T先生方に住民票が移されているという事はありません」とはっきり語った。又「新一年生の半分位(柔道部に入部した)は校区外からです。この場合小学校の校長から入学中学校変更届が来るし、市の学務課からも不登校、DV、いじめ等の理由で入学許可が来ている。当然保護者や、祖父母などと同居となっている」とも語った。が、この内「T先生方に居るのは知らなかった…」は嘘、同校の保護者の1人は「校長先生は見て見ぬ振りをしているだけですよ」と断言する。「校区内に住所は点々とある」という校長の言に従えばT教員は完全に法を犯している事になるのではないか。教員にあるまじき行為である。


市教委実態調査なし
合法的越境入学黙認か
 天明中学校の"不正越境入学"について市教委の見解を聞いた。担当者は「校区外の学校への就学について」のパンフを示し「この条件での転校、転入学を認めているが、運動目的の校区外入学は認められません」と断言。しかし「住民票を移している場合はどうか」と聞くと「住民票が校区内に移されているのであれば校区内居住者として何ら問題はありません。住民票と居住先が一致しているかなど調査する事もない」と、法定上の住民票さえ校区内に移してしまえば合法的、且楽々と越境入学が出来るのである。

 先の天明中学校長の言が事実だとすると、少くとも7、8名の生徒が住民票に届出ている住所と、実際の居住地が異る事になる訳で、親又は近親者や保護責任者を必要とする生徒の保護、管理はどうなるのか。因に現在天明中柔道部員は23名(1年生5名、2、3年生各9名)で、内3名が女子部員である。実に半数近くがT教員宅を住居とした異常さであり、学校側が「知らなかった」で通る話ではなかろう。写真の木造モルタル二階建は決して「充分な住環境」とは云い難い。主にT教員の妻が朝夕の食事の世話を行っているが、洗濯等は部員達が行っていると聞く。筆者が建物を外から見た時、写真手前の室内にロープが張られ、ユニフォームなどが干されているのが見えた。室は1階3室、2階に2室と云われ、1階2室と2階の2室に部員が寝起きしている。2段ベッドの室もある様だ。又、写真左手に見える和風の建物はT教員の実家だが、先頃まで住んでいた祖母が特養に転居した為、一部を生徒に使わせているとの話も聞いた。"下宿料"は1人4万円前後(T教員に確認していない為正確な金額は不明)らしいが、朝夕2食付とはいえ、土、日は部員達も親元に帰省しているので、決して「安い」とは思えない。

 次にT教員について。T教員は3年前の定期異動で西山中学校体育教員として転任したが、同校で柔道クラブ(6、7人か)員達は、毎日終業後天明中学校に同行「合同練習」と銘打って天明中の部員らと練習している。同中に柔道部長のN教員が居るものの、高校まで柔道はしたが、大学では他の運動部に所属しており、柔道部員を指導するには役不足、T教員のパシリ的存在と見られている。「T先生は柔道部員の父兄に誘われてよく飲みに行っています。従って夜間は部員達に目が届かず躾も疎かの様です」と語る父兄も居る。勿論飲み代は父兄持ち。そんな子弟に優しく指導するのは人情として当然か。


幸山市長また上底採用か
 前にも書いたが、幸山市長が裏口採用の間口を広げている。来春新採の中に某有力者の子弟が入る筈との情報を得たが、前打ちして変更されると当紙の報道がガセとなるので、当確ならぬ採確を確めて報道する。同時に市トップらの不正採用の手口も併せて曝露したい。



 本面天明中学校柔道部については小紙前号の内柴氏と、県立阿蘇中央高校柔道部教員の不祥事の記事を伝聞で知った他の部員の父兄から「天明中の柔道部がおかしい。調べてほしい」との情報を基に取材した。

 T教員の評価については二分した見方があり、柔道指導者としては優れている。早く戻って来て柔道部を強くして天明中の「柔道校」として名を高めたいとする勢力は、転任直後から、移動可能になる来春を目指して「天明中にT先生を」の署名を集め市教委に働き掛けを行っている。その反面、「赴任(天明中に)後の暴力がひどかった。一例を挙げると部員に喫煙者が見つかった時など『連帯責任』として全員が平手打ちを食らった」と話すOB父兄が居る。

 現在勤務している西山中では一部の父兄が「教え方が雑で生徒がついていけない」として「早く出て行ってほしい」と願うグループもある様だ。両校で共通しているのは「先生に付け届け」をしたり、擦寄る父兄の子には優しく、批判的な父兄の子には冷たいとも云われる。特に現在も柔道を教えている天明中ではそれが顕著で、ある父兄は「私が時折迎え旁々練習現場に行った時など子供が『今日はお父さんが来てから自分はよく指導された、いつもと違った』と話します」と評している。義務教育の中学校で、市教委規則に堂々と違反した運動強化の為の越境入学が行われ、市教委の知らぬ顔、学校側のトボケで見逃されていいのであろうか。



職員早期退職勧奨と資産売却で狙った再建策失敗
右肩下りの事業売上げ

 JA熊本経済連(正式には熊本県農業経済協同組合連合会)の事を書く前にJA熊本中央会の組織について書く。

 通称JA熊本中央会と呼ばれているが、正式には「熊本県農業協同組合連合会」で、単協と呼ばれる県内各地に所在する14の組合の連合体である。この中央会傘下に、JA熊本経済連、JA熊本厚生連、JA共済連熊本、熊本県酪農業協同組合連合会(通称らくのうマザーズ)、JA熊本果実連、熊本県畜産農業協同組合連合会、熊本県養鶏農業共同組合、肥後開拓農業協同組合がある。これらの総師が前号で報道した園田俊宏中央会会長である。平成20年度から中央会傘下の信連、共済連、系生連が共通の会長制度を敷いた為、園田中央会会長が他の三連会長を兼務となった。これは三連の組織縮小に伴うものだが、各連合会の権力を一手に握った点に変りはない。JA経済連会長は、平成18年6月の総会で、坂本前会長が辞任(大分ゴタついた)、新会長に上村幸男氏(JA菊池会長)が選任されたが、当時某幹部は「上村さんは人がいいから園田会長が使い易いとして会長に就けた」とこの人事を批判した(決定は理事会)。

 平成21年現在のJAグループの組合員は15万8千余人。JA経済連は農協の経済事業を行う役割を担っている訳だが、事業収益は右肩下りが止る様子はない。少し古いが、平成15年度に立てた再建計画を見てみよう。平成15年度に始った人員削減で、早期退職措置137名、同18年度50名、19年度38名の合計225名に加え、平成20年度22名が追加された。遊休資産売却計画では総合流通センター(熊本市長嶺町)8760坪を19億8千万円で売却。18年度クミアイプロパン本社土地(同八王寺町)。19年度、自動車センター(同近見町)、本山SS、養蚕飼育跡地(菊陽町)が売却される(資料入手当時)。しかし、これらの対策後の展望について、JA中央会、経済連共に何らの青写真を示すことはなかった。経済連傘下の(株)ユーフーズ(菊陽町曲手)は、熊本県や、民間会社が出資して設立したにも拘わらず平成20年までに3回の経営支援を行っている。経済連が扱っている農畜産物についてのシェアーも麦を除いて毎年低下傾向にあり、事業目標を取扱い実績が下回っているのが実情である。

 経済連による「販売、購買事業の利用状況調査結果」によれば15年度の利用率で、米64・2、麦100%、畜産64・8、園芸93・4、イ製品93・4、園芸その他77・4%の利用率となっている。紙面の都合で省略するが、トータルで15年度86%、16年度85・3%、17年度83・4%と低下、20年度は80%前後に低下している。事業取扱高及び損益の推移を見ても各年度の目標を実績が上回ったのは製品販売のみ、他は軒並目標を下回っている。この傾向は今後も進む事はあっても止ることは先ずないと見るのが妥当である。TPPを待つまでもなく、賢い農家は、経済連を通さず消費者と直接取引きを行い、肥料や資材も業者から直接購入している。かつては資金の借入れや、ツケで物品が購入出来る便利な存在であった"農協"だが、貸出し金利が高い反面、買入れ価格は安いと気付いて農協離れが進んだのである。組織が巨大化したのも一因かもしれない。かつては農家の為の農協が、農協の組織を守る為の農協に化してしまったのではないか。使い込みが多いのも農協の特徴だ。地縁血縁で職員を採用し、日常の管理監督はなおざりであれば、事故が起って当然である。


(株)熊本畜産流通センターに弄ばれる
市営食肉センター移転先ドン詰り

 熊本市が直面している問題の一つに熊本市食肉センターの移転問題がある。この事案は三角市長時代からの懸案事項であったが、幸山市政になって三期に入っても全面解決出来ないでいる。詳細は別の機会に報道するつもりであるが、これまで市営卜場を利用していた業者らの既得権益が絡んでおり、すんなりと片づく話ではない。市が機能を移転しようと計画している(株)熊本畜産流通センター(菊池市七城町)は、熊本県24・23%、農畜産振興機構同%、経済連38・55%が大口出資者となって昭和60年に設立、その後施設の拡張を行い、現在の資本金は16億5100万円である。

 平成22年に完成した最新施設は一日の処理数牛110頭、豚800頭(会社概要より)となっている。役員は、大口出資者から出しているが、代表取締役は経済連会長が務めるようで、松村秀一前会長の後任に上村幸男経済連会長が代表取締役社長に就任している。同社は2人代表取締役制をとっており、あと1人の代表取締役専務は緒方英一氏(経済連から出向)が就任している。

 熊本市は畜産センターへの機能移転費として12億円を計上、議決もされているが、受容れ側が「あれこれいちゃもんをつけて」話がストップしたままである。裏事情を知る人物は「畜産センターが市の要求を飲む事は先ずない。現在でも処理能力は目一杯で稼働している。例え市が出資して多少処理能力を上げたとしても対処出来る能力には達しない」と語る。他にも「畜産流通センターの目的は市から金を引出すこと、金さえ貰えばあとは知らん顔をする」と恐しい事を話す。その裏付けになるかどうかは分らないが、熊本市の西嶋副市長を上村会長が頻繁に訪れているが「いつも2人だけでひそひそ話しているだけ。何故関係部署の職員を同席させないのか」と不審の声も聞えてくる。この2人を含む数人で高級料亭に通っているという話も洩れ聞くが、これは未確認とお断りしておく。

 上村会長は表面上市側との協議を中断し、その理由も新聞紙上(熊日23・12・9付)で述べているが、畜産流通センター側(園田中央会長も取締役)は熊本市の「足許を見ている」のが実情の様で、この問題はどう展開するか予断は許さない。熊本市は畜産流通センターに拘わっているが、目下食肉大手のO社、S社など数社が豊野町に食肉処理場を建設中であり、これに出資した方が得策に思えるのだが。但し市に強力なセールスマンが居ない為、どっちに転んでも市税の浪費は免れないとの声も多い。


畜産流通センター施設拡張で疑惑
排水設備実績不足の社に発注

 JA熊本中央会関連組織での不祥事は「歴代会長から今日に続いている」と云っても過言ではない。商売相手が純朴?な農家で、なあなあ主義が罷り通っていたのも一因か。ここでは、(株)熊本畜産流通センター新工場建設での疑惑の一つ「排水処理施設」の業者選定を中心に述べる。同施設は新工場建設に先立つ平成21年6月14日に入札が行われ、有力企業数社の入札価格を大幅に下回ったM工業(株)が落札した(因に最低価格の設定はなかった)。問題は落札したM工業がこの種の施設建設の実績が乏しい点と、同社が三期連続赤字で、監査法人から「企業継続の前程に重要な疑を抱かせる事象又は状況。企業余力も限界」と指摘されていた点にある。だから「鉄砲を打った」とも見えるが、同業他社は「経済連の某理事と親しく、発注後の設計変更等で利益が出る仕組みがあったのではないか」と見る。

 技術面も同社は入札前のヒアリングで自社製「回転自雷也」なる装置の優秀性を謳ったが、同装置を使った浄化槽を発注したM畜産興業(株)は、同年3月「完成渡し」が入札日の時にも履行されていなかった。M畜産より処理量が倍増する畜産流通センター関係者が案じて当然である。この事業は総費用55億円、内、国から23億円、県から22億円の助成金が支出されている。実に85%の補助は「旨味がいっぱい」か。新工場(通称第1工場)は建物本体は吉永産業と三ツ矢建設の二社JV。共に政治銘柄の建設会社で、JA中央会の園田会長とも昵懇の仲。ついでに云えば、この三者は県警幹部とも濃い繋りを持つ。で、M工業の自雷也君を使った排水施設は完成。今月2月から稼働している第1工場、第2工場(旧工場)の排水処理を行っている。関係者は「やや問題はあるが大過なく稼働しているとの事である。尚同工場はハセップ(HCCP)の認証を受ける為、今年中を目標にマニュアル書を作成中で、工場の優秀性を誇示している。



 東日本大震災は千年に1回発生する天災であった。それでも小欄は「近年にない大地震であり、沿岸部の住民は大津波を予想して高台に避難すべきであった」と論じた。大自然の脅威は測り知れない力を秘めていると、常々自身で思っているからである。

大震災から半年が過ぎ、NHKは大地震発生直後の被災地に居た人々の行動、大津波に対する予想など個人個人に当ってNHKスペシャル「巨大津波 その時ひとはどう動いたか」を特集した。地震発生から大津波に襲われる瞬間までの人の動きを丹念に追い、地図上に赤い玉を人として動かした。全て生き残った人達の証言であるが、亡くなった人達の行動も類推されていた。その多くが専門家の云う所の「バイアスがかかった状態」(危険な状態にはない)との認識で行動していた事が判る。ある消防団員は海岸の水門を閉めようとしている。そこを通りかかった帰省中の青年が閉鎖を手伝ったが、その最中に大津波の来襲を目撃して避難を始め、結果的に助かっていた。町内会の役員は独り暮しの老人に避難をするように伝えたが、これが仲々動こうとしない。やっと説得して共々避難して助かったという話等興味深かった。この「正常性バイアス」を基本に以下の事を考えてみたい。

去る10月中旬の各紙は宮城県山元町の常盤山元自動車学校教習生25人が、死亡したのは自動車学校が「安全配慮義務を怠ったのが原因」として慰謝料を求めて提訴したと報じた。学校が地震発生後も授業を再開しようとして生徒らを学校に留め、停電になって授業を断念、生徒らを送って行く事になった。その時間的ロスが生徒らの生命を奪う事になったというものだ。賠償を求めて提訴した遺族の気持も分らないでもない。「もしこうだったら…」と思う気持は誰しもが経験するであろう。25人中の2人は自動車学校から徒歩で自宅に向っていて罹災している。生徒らは18〜19歳とあった。未成年ではあるが、大地震後の大津波に思いが至らなかったのであろうか。専門家が謂う所の「正常性バイアス」は、学校職員も、生徒にもあったのではないか。そう考えた場合、被災者が被災者を提訴する事態を悲しく思う。



 去る11月30日新聞各紙は陸上自衛隊第8師団司令部広報が発表した陸曹長の「酒気帯び運転」の処分結果を報道した。報道によると、この陸曹長(52)は10月29日午前8時40分頃、宇土市花園町の国道3号線を南下中の車内(軽自動車)で缶ハイボールを飲んでいる所を通行人が目撃。110番通報で急行した宇城署員に道交法違反で現行犯逮捕されたというもの。第8師団は陸曹長を30日の停職処分としたが、陸曹長は11月30日付で依願退職した。定年まで3年を残しての退職だが、この依願退職は`上層部のアドバイスa平たく云えば肩叩きがあったと云われる。

 同陸曹長は第8師団第8化学防護隊(隊員約50名)に所属、先の東日本大震災直後から福島原発で活動した部隊の一員でもあった。大震災直後、第8師団でも化学防護隊員に現場の危機的状況を説明、出動については命令ではなく「自主志願」を募ったらしい。この時、真先に手を挙げたのが家庭持ちの40代の隊員であったという。最終的には第8化学防護隊員のほぼ全員が派遣され、苛酷な条件下で任務を果した。

  と、ここまではよかったが陸曹長には悪い癖があった。アル中に近い愛飲家であった。第8師団の門限は午前0時であるが、陸曹長は再々この禁を破り、時間オーバーで帰営、注意をする若い門営に暴言を吐いたり、時として胸倉を掴む事もあった。当然当直上官に報告が上る訳だが、陸曹長が`古参兵aという事もあってか本人に対する処分を行う事はなかった。年齢からして陸曹長は隊外で家庭を持っていておかしくないが、妻と離婚して独り身であった為、隊内の生活隊舎の一室を住居としていた。この他、夜間の巡察中にも飲酒して「ほろ酔い加減」で勤務していた事もよく知られていた。

 ある若い隊員は「眠れない時、隊舎を出て外の空気に触れている時に巡察中の陸曹長に出会った事があるが、その時も酒の臭いをぷんぷんさせていた。二直(午前0時〜1時)の時だったので晩酌の残り香ではない」と語る。当直は、当直幹部(陸曹以上)と独立部隊が行うが、巡察は一人で行う。ま、平和な日本ではこれでいいのかも知れないが、隊規の緩みは否めないであろう。

 陸曹長のこの不祥事で「本来東日本派遣隊員は賞状ものであったが、第8化学防衛隊はその芽がなくなった」と嘆く隊員も居る。危険を顧る事なく、国民を救わんとして現地に赴いた隊員は、彼の不祥事で報われる事はなくなったのか。常々陸自隊員の志気の緩みが話題に挙るが、空自、海自と違って直接外威に接する機会が少いのも一因であろうか。三島由紀夫が自衛隊を見限り、市ヶ谷台で最後の檄を飛ばした中に「自衛隊の建軍の本義はない。それを私は最も嘆いていたんだ。日本を守るとは何だ。日本を守るとは天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである。お前らよく聞け、聞け。男一匹が命を懸けて諸君に訴えているんだぞ」この絶叫は隊員達の罵声に消された。三島が案じた自衛隊が今の自衛隊の姿と重なる。


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