三泊四日・女課長補佐随行
北海道公費の避暑旅行?
“旭山・丸山動物園視察”
今回は平成十九年八月、幸山市長が熊本市秘書課課長補佐I女史を同行した北海道旅行について検証する。ここで読者に謝っておかねばならない事がある。これまで小紙が幸山市長と秘書のIとのW不倫を報道するに当って 「女秘書係長」 を乱発したが、Iは平成十九年四月一日付で秘書係長から課長補佐に昇任していたのである。従って十九年四月以降の秘書課在職中の 「幸山市長随行時の肩書きは課長補佐」 と再確認しておきたい。課長補佐には、平成二十年四月、秘書課から他の部門に異動した際昇任したとの筆者の思い込みであったのである。不倫確認作業は平成二十年二月からであり、確証を得たのが四月であるので肩書きに問題はない。
本題に入る。幸山市長は平成十九年八月二十二日から同二十五日まで 「国交省、都内企業訪問及び行政視察 (旭川・札幌)」 (情報開示による下欄の旅行命令書参照) を行っている。筆者は情報開示請求を行った際 「出張の際の行程」 まで請求する知恵がなかったのである。あっても開示したかどうかは判らないが、後日旅行の概要メモを入手する事が出来たので、今回はその行程メモを中心に述べる。
八月二十二日、幸山市長、I課長補佐は熊本空港から羽田空港着、その後国交省などを回った筈だが、この日の行程は未記入である。即ち、幸山市長と秘書課長補佐は公費で出張し、都内のホテルに一泊しながら第一日目の行程記録を公表しきらないのである。翌二十三日(木)午前十時 「熊本港ポートセールス関連企業訪問」 (港区) 同十一時 「同」。十六時 「企業誘致関連企業訪問 (渋谷区) でこの日の業務を終えている。何で訪問先企業名が出せないのか、これではまるで中国かロシアの役人並ではないか。二十四日(金)九時十五分旭川空港着。十時五分平和通り買物公園、北海道伝統芸術工芸村視察。十二時バイキングレストランファイブスター視察。十四時旭山動物園視察。旭山動物園正門でこの日熊本空港を発った熊本市動植物園園長と飼育第一係長と合流、旭山動物園に入った。十八時旭川駅発札幌行き列車のグリーン車で札幌に向う。動物園長らは普通席。十九時二十分札幌駅着、ホテル泊り。「園長らは別ホテルだった」 と関係者。二十五日(土)午前九時、札幌市内 「丸山動物園視察」 熊本動植物園長ら同行。十四時四十三分 (嫌に細かい、三分などどうでもよい筈) 「新さっぽろ駅 札幌駅観光案内所視察」。(熊本動植物園長ら二人は十二時三十分札幌空港から新千歳空港に向い、十四時新千歳空港発機で羽田経由で帰熊している。) 幸山市長と秘書は札幌駅から列車で新千歳空港、十六時三十分新千歳空港発で羽田空港に向い、十八時五十分発で熊本に発った。
この三泊四日の視察旅行、皆さん納得出来ますか。出発日の二十二日(水)は行程表なし。若し国交省に行ったのであれば訪問先部署、訪問目的位は記録されていてもいいのではないか。熊本動植物園長らと合流前、二人連れで 「バイキングレストラン視察」 には驚いた。熊本市営バイキング料理店でも開くのか。最終日も動植物園長らと十三時頃別れた後、二人だけで新さっぽろ駅周辺を散策している。人妻秘書で、後に小紙の調査でラブホ通いが発覚したI随行旅行、どう見ても公費によるラブラブ旅行としか思えない。
幸山市長の視察旅行〈疑惑その二〉
I秘書だけの随行で二泊三日
新情報 「新潟 ・湯沢温泉で一泊か」
幸山市長が初当選し、I係長を秘書課に異動させて以来、Iを五年間秘書課に釘付けした (Iも喜んで?)。その間の東京方面の出張は七十九回。内Iを同行した出張は二十七回 (二十八回との情報もある) で、日帰り出張八回、二泊三日三回、三泊四日二回 (以上情報開示資料から)。三泊四日の一つが本頁の北海道出張である。本欄では二泊三日の内、秘書以外の同行者の居ない出張日の行程を記す。
出張日は平成十九年二月二十二日〜二十四日の二泊三日。幸山市長の出張目的は 「コールセンター等視察」 (旅行命令書) であるが、苟も市民の税金を遣う公費出張である。いくら市長であっても二泊三日の出張に 「コールセンター視察等」 はあるまい。旅行命令書の 「用務先」 は一寸詳しいが、これも地名のみ (命令書参照) である。通常公務出張の場合、他都市では必ず関係部局の職員が同行している。幸山市長の出張でも東京事務所員が同行したり、関係部局の職員が同行、又は現地で合流 (北海道出張の様に) している。しかし、これらの出張にIを随行させないといけないのか根拠は乏しい。同行者なしの出張は、要求した一部の資料の中だけでも、本欄の二泊三日と平成十八年十二月二十五日の一泊二日東京出張がある。このクリスマス出張は、小紙で過去に軽く触れているが、官公庁の仕事納め直近のクリスマスに「図書館協会、国交省総務省への要望」 とは如何なものか。この時は図書協会の会合だけは出席したらしいが、僅か二時間程であったと云う。この年話題に挙っていた原宿、六本木の大ネオン飾りの見物と云ったら云い過ぎか。
本題に入る。二月二十二日十五時三十分杉並コールセンター視察。十七時三十分恣S道総合技術研究所国立研究所視察 (国分寺市) で、この日の業務は終了、都内のホテルへ (の筈)。翌二十三日(金)十時十四分富山駅着と行程表にはあるが、これが問題である。この日の 「旅費計算書内訳」 によれば 「東京・越後湯沢」 「越後湯沢・富山」 となっている。何故 「東京・富山」 となっていないのか。東京〜越後湯沢間一九九キロ、越後湯沢〜富山間二〇二キロある。東京に泊った場合、越後湯沢回りで富山に行く事自体に無理がある。いくら上越新幹線があるからといっても、越後湯沢から富山への直通便はない。即ち二人は二十二日の内に上越新幹線を利用、湯沢温泉に一泊したと見るのが正解であろう。小紙がラブラブ旅行と云う所以である。熊本市秘書課は、この日の行程を請求した議員に事実を隠して報告したのではないか。公私混同旅行の費用、幸山市長とIは返還して貰いたい。 |