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発行者:福島 宏

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起生会吉田理事長二千万円?
起幸会糸木理事長五千万円 他の三理事二千五百万配分か

 前号では、社会福祉法人桜ヶ丘会(創立者藤院了幸氏)を巡る争いの中で、反落水派の理事三人の辞任条件として一億円の現金が動いたと報道した。当時の桜ヶ丘会は、定数七名の理事に対し六名が在任、支援を申し出ていたス福星峰会(東三起夫理事長)支持に十時義七朗理事長、緒方勝治、村岡秀一の両氏が居た。同じく支援候補の潟hゥ・ヨネザワ(米澤義一会長)支持は吉田憲史(医療法人起生会理事長)、糸木幸弘(医療社団起幸会近見医院理事長)、赤池廣美(光明クリニック事務長)の三氏であった。
  前にも述べたが、この頃まで二つの支援者らは五億円を桜ヶ丘会に寄付し、藤院氏が起した「一億三千五百万円の件を清算し、藤院氏を救済するのが目的であった」と関係者が証言する。所が、落水氏が中心になって、十時グループ、吉田グループ、藤院家グループ、吉良グループ(この中に落水氏が居る)と夫々根回しを始めた。その結果、吉良朋広氏(元熊大病院医師、現白川の里理事長)側が「寿徳苑買収資金として一億九千万円を出資するとなった」(関係者談)。
  吉良氏は義父のN氏を頼り、N氏は、前にも述べた信用金庫から融資を受け、吉良氏に渡した。この内一億円を平成十八年五月二十九日午前、熊本市近見七丁目の野越団地近くの路上で待ち受ける村岡氏に落水氏が布袋に入った一億円を渡した。受取った村岡氏は道一つ隣に在る近見医院に運び、同院理事長室で糸木理事長に渡した事は前にも書いた。この金の配分であるが、張本人の糸木氏が最近ガンで死亡している為、直接確認する事が出来なかった。
  しかし、糸木が生前、緒方、村岡両氏に語った話として「五千万糸木、三千万吉田、一千万赤池、一千万M弁護士に配分した」と伝えられている。しかし、配分方法としては納得出来る説明にはなっておらず、別欄にもあるように幾筋かの金の流れはあった様で真相は正しく「藪の中」である。


落水氏が語った一億円の行方
糸木氏五千万・吉田氏二千万

 落水清弘市議、紫垣正良元市議らが桜ヶ丘会の争奪戦が始まる前から相談を持ち掛けていたのがA氏であった(次号で詳報)。
  そのA氏に落水氏が説明した所によると「一億円の内五千万円は糸木理事が取った。二千万円は吉田理事に渡り、緒方、村岡両氏に各一千万円。赤池氏五百万円、M弁護士五百万円。吉田氏が糸木氏より金額が少いのは、吉田氏が経営する医療施設向け給食を寿徳苑に納入する利権があるからだ」と云う。こうして、われわれ常人では理解し難い金が動いた結果、糸木、吉田、赤池の三理事が桜ヶ丘会理事を辞任した。後任理事には、吉良朋広氏、吉良氏の母ヨシエ氏、吉良氏の友人杉原氏が就任。十時理事長の後任理事長に落水氏が就任、ここに落水(吉良)体制が整ったのである。以後の流れは小紙前号に詳しいが、当初桜ヶ丘福祉会の継続を目標に始った外部からの支援が、特養施設(吉良朋広氏が取得)と二保育園に分離される事態が生じたのか。関係者は一様に「落水氏が私利私欲に走った為」と語る。
  一寸政治に詳しい人には察しがついていると思うが、桜ヶ丘福祉会の創立者藤院氏を始め、十時氏他の理事は殆どが衆院議員の野田毅氏と係わりを持つ。後援会長や元秘書達で、勿論落水氏も元野田事務所で運転手を務めていた事でも知られている。従って今回の一連の騒動は「野田一派が乗っ取りを図った」とまで巷間噂が立ったのである。中心人物の落水氏と吉良氏が筆者の取材に応じないので真相を暴くまでには至らないが、関係者の話を総合した筆者の見解を以下に書く。
  前にも書いたが、中心になって動き、糸木理事らを下し吉良氏が寿徳苑を入手出来たのは落水氏の功績である。が、その遣り口は巧妙で狡い。現在一億二千五百万円の損害賠償で訴訟している星峰会理事長東氏に対し「植木町の桜ヶ丘保育園を前記金額で譲る」話を進める一方、吉良朋広氏とその義父に取入って寿徳苑を吉良氏が支配出来る様お膳立てを行った。又、ドゥ・ヨネザワの米澤会長を桜ヶ丘会支援から下りてもらう為の工作もしている。関係者によれば「桜ヶ丘争奪戦から下りるなら小規模特老の認可に協力する」として、本来なら星峰会に下りる筈であった小規模特老を米澤氏に下りるよう動いた。その結果米澤氏は平成二十年六月、熊本市西原一丁目に『地域密着型介護老人福祉施設 風の木苑』を開所するに至ったという。


月旦評

 七月号から報道している社会福祉法人桜ヶ丘福祉会の闇は深い。初代理事長は僧籍出身で、寺で不幸な子供を預かったりしていた事から、福祉事業に乗り出した。熊本市内でも福祉事業は慈愛園などを除いて古株に当る。所が人間、事が成就すると雑念が生じる。福祉事業を私的事業と勘違いしたのか、金銭感覚を失い、公私の区別なく金を遣った。その結果、理事長退任に追い込まれた訳だが、時の理事らが悪かった。一部の理事は純粋に桜ヶ丘会の再生を図り、創業家の藤院家に戻すと考えていたらしい。しかし、事態は金銭欲に釣られた理事らに引っ張り回され、今回の報道に見る様に`金の亡者aとしか言い様のない陰湿な連中の跋扈を招いたのである。当初の救済案では、米沢グループと落水(東)グループが共に救済に必要な「五億円」の寄付に応じる姿勢を見せていたのである。そんな中、出資者である東氏に落水市議は「六億円ないと相手に勝てない」(東氏談)と上積みを申し入れた。そこで東氏は「それには応じられない」として一括取得案から下りたのである。その後の経緯は小紙が報道してきた通りであるが、未だ報道していない部分(次号報道予定)に県と市の福祉健康部局の不可思議な対応がある。桜ヶ丘会の特養施設「寿徳苑」と二つの保育園は分離出来ないと云っていた県関係だが、分離申請から一ケ月余の短期間で分離を認可した。市も同様だが、通常この類の施設は分離は難しいのである。にも拘わらず簡単に県が認可した陰に倉重県議の名前が挙がり、市は落水市議の名が挙がっている。


落水市議・紫垣元市議の自宅 抵当権設定を巡る不可思議な動き
落水市議宅に吉良氏が九、七〇〇万円設定

 熊本市議会議長まで務めた落水清弘氏だが定職はない。いや、定職はある、市議会議員五期だ。ここで云う定職とは、他に事業を行っていないという意味である。若くして父の地盤を継いで市議となったが、その頃の評判は現在同様余り芳しくない。父から勘当された事もあるらしい。その父が野田派であった所から野田事務所に運転手として勤めた経歴を持つ。
  市議当選一期目は余り目立たず「フレッシュな市議」と好感されたが、当選回数が増えるに従って利権に動くようになった、と語るのは元市の幹部。特に福祉関係担当者の間では、すこぶる悪評であった。その落水氏が大先輩として頼ったのが平成十九年に引退した紫垣正良氏である。
  落水氏は東海大、紫垣氏は早稲田大出身である。自ずと頭脳も違えば知性も異る。二人の共通点は市議としての歳費以外に収入がないという事。従って金にはシビアである。先ず落水氏について今回の一連の騒動の裏付けの為、土地、建物について調べさせて頂いた。その結果は以下の通りである。
  落水氏は現住所の土地二筆合計で約五〇〇m2を平成元年から五年にかけて取得。平成五年十月軽量鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺二階建の住宅を新築。この時、落水氏名義で住金から一、五二〇万円。年金福祉事業団から三二〇万円。妻名義で同事業団から四〇〇万円の計二、二四〇万円を借入している。共に二十年ローンだったと聴くが金融機関はノーコメント。
  平成七年十月、西日本銀行(当時)が八、四〇〇万円の根抵当権を認定した。この年は市議選があった年である。以上の債務を落水氏は平成十六年十月に全額弁済しているのである。住宅ローンの残高を考えると約一億円前後の負債を解消した事になる。その原資は何処から出たのか。前にも書いた様に落水氏は、歳費以外からの収入はない(筈である)。金の出所は聴いているが、当人が「まだ書かないでくれ」と云っているのでここでは伏せておく。この前後、熊本市議会の中で「落水は景気がいいなあ、この間も家族でハワイに行ったてばい」とか、落水氏が海外旅行に行ったりブランド品を買うなどして金回りのよさが評判になっていたと云う。
  家土地の抵当権が全部消えて真まっ新さらになっていた物件に平成二十年四月三日、新たに抵当権が認定された。それも平成十八年五月二十九日に二年遡っての設定である。債務者落水清弘、抵当権者吉良朋広、抵当額九、七〇〇万円。無利息で期限なしの好条件である。平成十八年五月二十九日は、そう、社会福祉法人桜ヶ丘福祉会の理事会が開かれた日である。その日の午前中に落水先生が、同会村岡理事に野越団地近くの路上で一億円の現ナマを土嚢袋に入れて渡した日である。通常の金銭貸借は、先ず抵当権設定が完了して行われるが、落水先生と吉良先生は余程の信頼関係があるのだろう。現金が動いた二年後に三千万円の価値もない家屋と土地に九、七〇〇万円も融通しているのである。普通世間ではこれを「アリバイ工作」と云う様である。熊大医学部出身の吉良氏にしてはお粗末な`協力aであった。
  次は紫垣正良氏。前号でも触れたが巷間「紫垣は家を二軒新築した、現職(市議)時代から金にピーピーしていた男が家を二軒も建てるとは」の評判が流れている。この件について小紙は「家の増改築と中古住宅を買ってリホームした」と報道。その中で「不審な金の流れもあり、別途調査中」とも記した。紫垣氏にも落水氏に負けず劣らずの不審な金の流れが見られたのである。何れ書く事になると思うが小紙が桜ヶ丘会の報道を始めた後、落水、紫垣氏はA氏に相談を持ち掛けていたのである。そのA氏立会いで紫垣氏に事の経緯を聴いた訳だが、紫垣氏は「私は清廉潔白、疚しい所は何もない、家は長男が借入れて改装したものだ」と怒りを籠めて説明した。


ドゥ・ヨネザワ 介護老人施設「風の木苑」
桜ヶ丘取得放棄の代償か 落水氏が市に認可要請?

 社会福祉法人桜ヶ丘福祉会が経営に行き詰った時、潟hゥ・ヨネザワとス福星峰会落水清弘、東三起夫氏が手を挙げた事は前にも書いた。この時両者とも五億円の出資を表明して桜ヶ丘会の経営権を争ったが、その最中に落水氏は東氏に「六億円なければヨネザワに勝てない」と云って来た(東氏談)。東氏は落水のこの申し込みに不信感を持ち桜ヶ丘会を諦めた。一方の米澤氏については前述しているが、米澤支持の三理事辞任の条件として一億が必要と落水氏が動き、吉良朋広氏が応じて一億円を落水氏に渡し、三理事が下りて落水氏が理事長に就任、吉良氏の希望通りに事が運び、吉良氏は寿徳苑の入手に成功した。
  その頃、東氏らは「西原校区や島崎校区に地域密着型介護施設を市が認可する」との情報を得た為、西原校区に持つマンション横に介護施設を開設したいとして熊本市に申請した。米澤氏側は、龍田校区に設置を申請していたらしいが、同校区に新規認可の予定はなかった。
  所が米澤氏側は急に開所場所を熊本市西原一丁目に変更して再申請したのである。同所は、実質米澤氏が経営しているベンツ販売代理店「シュテルン熊本」の中古販売センター用にと取得していた場所である。再申請では市が判定資料にする点数が上り、数社が申請する中抽籤が行われ、米澤氏に認可が決定、二十年六月の開所となったのである。関係者数人に当った所「落水市議がドゥ・ヨネザワが桜ヶ丘会支援から下りる条件で認可を約束した様だ」と複数人が証言した。熊本市の福祉関係者も匿名を条件に「その様な話を聴いた事がある」と回答した。この件について落水氏に訊きたかったが「裁判中で一切話せない」としか答えないので、この経緯についての断定は出来ないとお断りしておく。
  先に申請した星峰会側は落水氏を通して認可が下りそうだ、の感触を持っていたが米澤氏に認可された為独自に申請から認可の流れを追った。その結果、前記と同様の結果を得たという。前にも書いたが、一連の騒動の中心に居たのが落水氏であり、夫々のグループや個人単位に交渉をして、決して全員で話合いを持たせなかった。結果的に落水、紫垣氏の描いた型に落ちつく筈であったが、何故か恩人東氏との約束を破った事から紛争が表面化したのである。


紫垣正良元市議会議長宅
借入金の返済に不自然さ

 紫垣正良氏は、熊本市議九期三十六年を務めたベテラン議員であった。落水清弘氏と同様、いや大先輩として野田毅代議士の秘書も務めていた。市議在職中は議長を務め、永年の功績で叙勲も受けている。同氏は横井小楠について蘊蓄があり、筆者も神風連を通して熊本の歴史に関心があった為、紫垣氏とは議員在職中、熊本の歴史について何度か語り合った事がある。が、彼の人間性については、当時から他の議員、市幹部職員らから「ずる賢い人物」と聴いていたし、利権絡みの噂も耳にしたが聴き流していた。今回の一連の桜ヶ丘会の紛争で紫垣氏が重要な位置を占めている事が判明し取材に動いた。その結果は、以前から噂があった`福祉利権aの延長線上にあると判断、報道する事にした。桜ヶ丘関係者は以下の説明をした。
  平成十八年前後に桜ヶ丘会を巡って動いた金は、吉良朋広氏一九、〇〇〇万円、東三起夫氏二、三〇〇万円(平成十七年)。同氏二、〇〇〇万円、同氏一〇、五〇〇万円合計三三、八〇〇万円の収入。対して支出は藤院了幸氏への貸付、代理寄付等二億三四六万円(千円以下省略)。理事三人の買収金一億円の計三億三四六万円。差引き三、四五三万円が使途不明金。この金が落水、紫垣氏に流れたと思う、であった。
  紫垣氏は、昭和四十二年に現住所である帯山の土地二九〇m2を取得、翌年木造瓦葺二階建居宅(一階一〇九m2、二階九〇m2)を新築した。住金の利用はないので現金払いであろう。同物件に対し、昭和六十年七月八〇〇万円の抵当権を肥後銀行が設定、翌年一、〇〇〇万円に借替。平成五年四月七三〇万円を住金から借入れ内部を改装。同七年三月、二、三〇〇万円の抵当権を熊本第一信用金庫が設定(この年市議選が行われた)。この内、七三〇万円を除いて平成二十年九月に抵当権は解除された。即ち返済した事になる。平成二十一年三月、同建物を一部取壊増築、一階一六九m2、二階九〇m2と拡張した。前年九月に隣家の土地一六一m2、鉄筋コンクリート造二階建を紫垣氏の親族が購入し、今春紫垣氏宅の増改築に併せて内外をリフォームし入居している。この土地、建物は親族名義で平成二十一年四月、第一信用金庫が四、二〇〇万円の抵当権を設定しているが、共同担保として紫垣氏名義の土地建物が含まれている。この他、紫垣氏の親族は平成十二年八月に隣接する土地一九・八六m2を購入したが、この土地を担保に二、〇〇〇万円を第一信金から借入れている。一九m2の土地でこれだけの金額を融資する銀行はない。紫垣氏の土地建物全てが共同担保として入っているのは当然。これらの借入金合計は五、〇三〇万円。一部は返済されているにしても新規四、二〇〇万円の借入れで全ての抵当権は抹消されたのである。
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