熊本県民新聞 WEB版
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3月6日告示、同23日投開票の熊本県知事選だが、5候補乱立の上、各候補に多少の差異はあるものの保守系に位置付けられている。没個性が目立つ今回の知事候補に小紙どじのメスで切ってみた。読者には賛否両論があると思うが夫々の受取りはご自由に。(敬称は略させて頂きました)

前号でも小紙は5候補の内、蒲島、北里、鎌倉の有力視、三つ巴戦かと報じたがその時は鎌倉を除く蒲島、北里の一騎打ちと読んでいた。その後民主党県連が自主投票かとの予想に反して鎌倉推薦を決定した。関係者に聴くと「鎌倉で勝てるとは思わないが、潮谷知事と知事を支えるさやかの会(細川佳代子を含む)一派の強い推しもあった事と、次期衆院選の思惑もあって松野頼久等幹部が決定した。機関決定ではあるが連合他県議、市議等には自主的な支持者の判断を任せたようだ」と語った。これで鎌倉が前二人に追いつき、3人が一線に並んだと読んだのである。
3人の後を追う矢上だが、衆院議員経験と相良村長時代「ダム反対」を唱えた事で知名度は抜群、かなりの浮動票を集める可能性を秘めている。岩下はかつての支持者を中心に3万票前後と見る選挙通が殆どである。大まかに見て5人の政策に殆ど違いはない。争点の第一にメディアが持っていきたいのが「川辺川ダム」らしいが、熊本県の焦眉は県財政の立て直しである。この問題について5人の内蒲島、北里が職員の賃金カットまで踏み込んだが、他の3人は「職員の志気が落ちる」として反対論を述べている。
川辺川ダム建設反対は蒲島を除く4人。蒲島も「1年後に検討して結論を出す」としていたのが最近では「半年後」と変った。反対派の票がほしくなったのか。筆者の僻みかもしれないが、各メディアを通じ知る限りどの候補も"当選したい"一念からか、個人マニフェスト、討論会を見聞しても独自色が薄いという事である。
某メディアが行ったアンケートで潮谷県政についての評価点が最低で80点とは如何なものか。潮谷県政8年をきちんと検証し得ていない証拠である。特に蒲島は米国から日本に帰国以来関東住いの上「一度も帰郷していない」(某山鹿市議談)のに、出馬決定から1ヶ月も経たないのに潮谷県政を理解しているのか理解に苦しむ。5人の内せめて1人でも潮谷県政8年の失政を説き。高校再編は県の財政上必要案件と主張できる硬骨漢は居ないのか。


民主党相乗り捨て自ら窮地に
-自民党推薦なしで組織混乱-


自民党県連の政党隠しは失策だろう。先の参院選、熊本市長選の敗因は必ずしも「自民党だから負けた」のではなく、その人選に問題があったという識者は多い。連敗に懲りて自ら引っ張って来た蒲島を「勝手連的に応援する」として推薦を見送った。裏には蒲島が自民色を嫌ったからである。「県民党として全県民の支持を得たい」と自民党無視とも捉えかねない発想で事実上の選挙戦に臨んでいる。蒲島出馬の真相は、はっきりしないが某代議士が発案、前県議古閑三博、村上寅美県議らが担ぎ出しに動いた云われる。村上県議が熱心に蒲島を紹介し歩いている姿を周囲は「虎(寅美の寅)がカバ(蒲島)を連れて歩いている」と揶揄している。そんなカバでも自民党の組織力に乗れば強い。悪評さくさくの自民と蒲島だが「最後は蒲島か」と見られているが、筆者は当選後、蒲島に鼻の先であしらわれる自民党幹部を想像して笑みが湧いてくる。一方の民主党だが、中央の対決をそのまま知事選にもって来たのが謬り。自民党が先にツバをつけたからと嫌っての鎌倉推薦かもしれないが、この戦法、果して吉と出るかどうか。鎌倉の人気の余りにも悪さに潮谷知事に「こんなに悪評と思わなかった」と云わしめた程である。県議団は割れ、連合、自治労等も意志統一ならず自主投票となった。民主党の脆い体質が表面化したと云える現象だ。潮谷県政8年を正しく評価することが出来たら鎌倉推薦はなかったのはないか。仮に当選しても野党と化した自民党と向き合える力量はない。

-自民党熊本県連幹部-
中山、北里氏に「選挙費」要求か

-腐った自民党県連は解散せよ-

熊本県知事潮谷義子が三選不出馬宣言後、自民党県連が二人の候補の名前を漏らしたは皆さんご存知の通りである。名前が上ったのは、中山峰男崇城大学学長と蒲島郁夫東大教授である。県連は中山学長を有力視、蒲島教授は二番手に位置付けていたのである。この時、県連(幹部)は中山学長に対し「選挙資金は3億円はかかるが大丈夫か」問うている。中山学長は「その金額は確保出来る」と回答し出馬に意欲を見せた(学長と親しい人物談)。そして遠縁に当る佐々淳行氏に出馬の意向を伝えた所、言下に否定されたという。中山氏の旧姓は佐々、済々黌創立の佐々友房の縁家筋に当る。その後、家族の猛反対を受けて出馬を辞退したというのが真相らしい。
その少し前、北里敏明氏は県知事選出馬に当って自民党県連の支援取付けようとしたが、その場で示された条件は「2億円準備出来るか」であった(北里氏側近の話)。現在の北里氏にそんな資金力はなく、自民党員でありながら自民党の支援を受ける事が出来ず無所属で出馬を決意。後に自民党員脱退届を提出したと云われる。現在の自民党執行部は昨年誕生したもので、2期4年務めた古閑会長体制から山本体制に移った。この移行は、会長選考委員会(松村昭委員長)が数回の会合を重ねた結果、最古参の山本秀久県議を会長に選出。山本会長が前川収幹事長、小杉直総務会長、中原隆博政調会長を任命した。この人選についてある県議は「村上寅美県議を含むグループの出来レースだ。本来なら児玉県議の再度の幹事長若しくは会長が最良と思うが、彼らは児玉を県議団団長でお茶を濁した」と怒りを隠さない。特に前川幹事長については「田舎(菊池)の若造に何が出来るか。出しゃ張り屋で口先だけの男だ」と辛辣に批判する。その結果として蒲島教授を引っ張って来ながら推薦も出しきらず「県民全般から支援を得る」と逃げの姿勢で知事選を戦っている。

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