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 本年6月6日付熊日1面トップの「熊本市役所耐震不足」脇見出し「震度6強で傾く恐れ」の記事に驚いた。筆者にとっては余りにも唐突な情報であった。先の熊本大地震の時の市役所近辺の揺れは震度6強位ではなかったのか。その地震波に充分耐えた庁舎を何故建て替えをしなければならないのか。疑問に感じた筆者は、現庁舎建設当時の資料を入手、関係者に話を聴いた。その結論は「建て替え必要なし」であった。MICEを始め震災による大型事業で市の財政が逼迫している中、“使える庁舎”の建て替えは暴挙と云う以外に言葉はない。

先ず平成30年6月6日付熊日朝刊の記事を追ってみる。どうせ市の広報発表をそのまま掲せているだろうから、わざわざ広報課に足を運ぶまでもないだろう。括弧「」内は全て熊日の記事であるが、省略した部分もある。

1面トップ白抜き「熊本市役所耐震不足」脇見出し「震度6強で傾く恐れ」のリードで「熊本市は5日、市役所本庁舎(中央区手取本町)が現行の建築基準法に基づく耐震基準を満たさず、熊本地震に相当する震度6強の地震が起きると傾く恐れがあるとの調整結果を明らかにした。必要な大規模改修も事実上難しく、市は現在地での建て替えと移転新築を軸に対応策の検討を急ぐ。」と書く。本文は「市が同日開かれた市議会の公共施設マネジメント調査特別委員会で報告した。本庁舎は1981年10月の完成で、高さ64mの行政棟(地上15階、地下2階)と議会棟(地上6階)から成り、延べ床面積約4万平方m。調査は昨年10月から今年3月に実施。築36年が経過し、老朽化(傍点筆者)した本庁舎の延命策(同)を探るため、初めて耐震性も調べた。調査によると、震度6強の地震では、行政棟を支える地中のくい160本中50本が致命的な損傷を受け、建物が傾く恐れのあることが判明。特に5~10階部分は大きく揺れ、柱やはりが壊れたり、外壁材が全面はがれたりする恐れのあることも分かった。」中略「市が16年7月~10月に実施した熊本地震の影響調査では構造や基礎部分には破損などの変化は確認されず、本庁舎の使用を続けていた。今回の調査も『地震の影響はない』との結果だった。」以下略。以上の記事から筆者が取材で得た情報を基に疑問点を指摘する。その前に筆者が地震学は勿論、建築についてもど素人であるとお断りしておく。

先ず最初の傍点「老朽化」はおかしい。通常鉄筋コンクリートの建物の寿命は50年と云われている。市庁舎の36年はまだ2/3しか経っていない。老朽化を出す事で建て替えの時期が来ているとの印象付けだろう。第2の傍点「延命策」を探る為「初めて耐震性も調べた」は老朽化のイコールである。延命策の前に耐震性が来るのではないか。即ち、「16年7月~10月に実施した熊本地震の影響調査」と同時に耐震性も調査は出来なかったのか。大きな地震が2回続いたのである。3回目が襲って来たとしてもおかしくない時期であった。延命策を探るのではなく「早期建て替え」の理由探しの耐震性調査だったのではないか。3番目の傍点「建物が傾く恐れ」は飽くまで傾く恐れであって、「崩壊」ではない。傾くかもしれないし、傾く事はないかもしれない。何度傾くのか知らないが、傾くだけでは例え職員が勤務中の時間帯に発生したとしても人命には影響が及ぶ事はあるまい。加えて云えば、これらの“仮説”は「直下型で震度6強」という前提がある。何の根拠をもって「直下型」地震が市役所近辺で起きると云えるのであろうか。その震度に耐えるには「260本の地下くいが必要」とあるが、杭は建物の重量を支える為の物である。現庁舎建築に際して熊本市は充分な地質調査を行っている。その結果高層部(本館)はGL―28m以深の安山岩質溶岩流層に至る深さにくい打ち、低層部(議会棟)はGL―18m以深の砂礫層にくい打ち(どちらもベノト工法)を行っており、熊日が書く所の「260本のくい」の補強は全く必要がないのである。



専門家現庁舎震度7に耐える
2面で詳報するが、熊本市庁舎を補強する必要はない。補強しなくても「震度7に耐えるだけの基礎工事は実施している」と当時建設に係わった一級建築士が断言する。建設に参加した企業は大成建設、清水建設、大林組の3ゼネコン、地元からは特Aランクの建吉組、岩永組、増永組の共同企業体であった。設計は、日本初の高層ビルである霞ヶ関ビルを設計した㈱山下設計である。

新庁舎建設の必要性は昭和40年代初頭頃から市議の間で挙がり始め、一般市民の声も大きくなった。しかし当時の石坂繁市長は堅実型で、市の財政に鑑み新築に踏切れなかったと云われる。この時の市庁舎は大正12年に建設された物で、それまでは明治22年4月に市制が施行されたのに伴い、旧熊本区役所を熊本市庁舎とした。場所は現在の白川公園の横手に在った。大正5年手取本町にあった熊本監獄が熊本市渡鹿(現熊本刑務所)に移転した為その跡地に新庁舎建設となったのである。新庁舎は鉄筋コンクリート造地下1階地上3階で室数は52室であった。玄関口は大理石造りの白亜の殿堂で、現在の庁舎建設の際「残せないか」の声も挙がったが設計上無理があり、玄関の一部を近くの高橋公園に移すに留まった。で、此の度大西市長殿が打ち上げた「耐震不足により震度6強の直下型地震が起きたら庁舎が傾く恐れがあり、市民への安全性が保てない」を検証する。

現庁舎建設に際して応募7社から選定された山下設計だが、同社は設計するに当り、過去熊本で発生した地震は勿論、国内で発生した地震波のデーターをコンピューターに読み込んで基礎データーを作成した。地盤調査も綿密に行い(当然の事だが)15階建の重量を支えるのに充分な基礎工事、建物の建設設計を行ったのである。基礎工事はベノト工法を採用した(次頁参照)。ベノトとは地面に穴を掘り進む際、途中に岩石があった場合その岩石を砕く仕組が先端にある装置を云うらしい。穴が開けられると設計された太さの鉄筋とコンクリートを流し込む空間確保の為鉄鋼製円管が差し込まれていく。太い円筒は直径1.5m~1.8m位はあったと関係者は語る。これが建物の支柱となるのである。



 大西一史市長のハコモノ造りが止まらない。“赤字垂れ流しは必至”と云われるMICEは前市長からの引き継ぎとしても、市長就任時に中止すれば出来ない事はなかった。次に手掛けたのは通称花畑別館と呼ばれていた建物の解体である。同館は旧逓信省が昭和11年に熊本地方貯金局として建てられたもので「近代建築のモダニズムが遺った建物」として市民達の保存運動を無視して解体を計画、熊本地震で被災したのを口実に解体した。

この頃まで解体後の跡地については「暫く駐車場として使う」であった。所が一部の市議さえ知らない(況して市民が知る筈はない)内に新ビルの建設が計画、実行に移されつつあった。市は隣接する「みずほ銀行」と共同で8階建ビルを整備すると本年3月に公表した。おかしいのは市有地2、750㎡に対しみずほ銀行1、550㎡である。8階建にした場合総面積25、800㎡になるが、市はみずほ分の床7、000㎡を賃借、又は買い取るという案であった。これはおかしな手法である。みずほ側は自社分は3階分あれば充分と見ていたのである。熊本市はそれより上の空中権を買収する事も可能であったのではないか。尤もみずほ側は独自の案(他所に移転も)があった様で、市の提案について本気に検討した形跡はない。一方熊本市は本庁舎の耐震性について大阪の安井設計に依頼していた結果が「耐震不足」であった事から急遽別館跡地整備計画を破棄、本庁舎新築に走り出したのである。大西一史市長に市民を思う心は皆無と云える。



 承前。ベノト工法は当時(昭和50年代)としては最善の基礎(杭)工法と云われ、多くの建物で使用されていた(関係者談)。市庁舎建設に当り山下設計は明治時代に発生した金峰山地震は勿論、各地の地震の資料を収集、地震波をデーター化して「建物を支えるに充分」な杭打ちを行っている(庁舎完成後発刊された「熊本市庁舎建設の記録」から引用)。熊本市が公表、熊日が書く「建築基準法に基づく耐震基準を満たしていない」のも詭弁の一つだ。

建築基準法は昭和25年11月に制定され、以後大きな災害が発生した際資料を収集、それらを基に新しい基準を設け改正しながら現在の建築基準法が存するのである。現庁舎建設に着手したのが昭和53年で、全国から応募してきた設計会社から7社を選び、入札の結果㈱山下設計に決まった。地質調査の結果、地表から26m位までは各種砂礫層、それ以下は安山岩質、洪積層からなっている。これらに鑑み、本館建物(地下2階地上15階)は地下28m以深の安山岩質溶岩流層に達する杭を、議会棟(地上6階)は地下18m以深の砂礫層に杭打ちを行った。打ち込まれた杭は160本で、当時建設に関わった技師の一人は「設計会社は勿論、ゼネコン関係者も震度7にも充分耐えられる基礎だ」と自信を持っていたと云う。庁舎が完成したのは昭和56年で、新耐震基準もその年から施行されたが、新庁舎設計時(3年前)に当時の設計基準を上回る耐震性が計算されており安全性に問題はなかった。即ち熊本市は昭和53年10月に構造耐力を評定する「財団法人日本建築センター」に「高層建築物構造評定」を依頼、同年12月に同センターから「構造耐力上支障なし」の評定を受けている。昭和54年1月建設大臣に建築基準法に基づく認定を申請、2月8日付で認定書が交付されている。

設計関係に詳しい大手設計会社OB氏は「現庁舎が耐震性が充分なのは建物自体がそれを証明していると云える。先の熊本地震は震度7だけが強調されるが、7は益城と西原村だけだ、熊本市庁舎付近は震度6強か、6と見てよい。それも足掛け3日間で数回発生している。市庁舎の被害は各階の床下を通る水道管が一部破損したのと、議場の天井が壊れた位で本体は全く損傷がなかった。今後も震度6強位には充分耐えられると思う」と見解を語った。又、別の専門家は「星子市長は公平無私な人で、職員や市民の安全に何よりも心を配っていた。従って現庁舎を建築する際地下2階から地上3階までを鉄筋コンクリート造りにした。それより上階は鉄骨を用いた柔構造にした。だからコンピューター室と危機管理室を3階に持ってきたのだ」と語る。

不審なのは400億円を超える大事業の前提となる耐震設計を安井設計に委託した事だ。同社は“政治銘柄”と云われる程政治家への影響力があると云われるが、4社入札はプロポーザル方式をとり、最安値ではなかった安井が委託を受けた事に疑問の声が挙がっている。少なくとも2社以上に検査委託をすべきであった。



多くの市民が望んだ現庁舎建設
今回は大西市長が強く望む
現庁舎建設に至った経緯を左に掲げた熊本市刊行の「熊本市庁舎建設の記録」から引用する。
〈1新庁舎建設の経緯〉〈〔1〕新庁舎建設論議の推移〉新庁舎建設の必要性が一般市民あるいは関係者の間で個々に論じられることは相当以前からあったかも知れないが、市庁舎や駐車場に関することが本格的に論議されるようになったのは昭和40年頃からである。即ち、昭和40年7月の市議会本会議において、現在の市庁舎は既に狭隘となっており、特に極端な駐車場不足は市役所機能を麻痺させているといっても過言ではなく、これらの事情を勘案して隣接地にある九州電気通信局の新築移転問題に関連し、その跡地を市が買収する計画はないかとの質問があった。

なお、この電気通信局の局舎及び敷地を本市が取得する件については、昭和43年12月に達成され、電通局が新庁舎へ移転した後の昭和46年9月から市庁舎の別館・同第二別館として利用することとなった。昭和42年12月市議会本会議では、本庁舎が手狭になったために農林部や福祉事務所等が庁外への転出を余儀なくされている現状、さらに本館は老朽化が著しく機能的にも適切な使用ができなくなっていること、また戦後本館に継ぎ足して増築した南新館・東新館は鉄筋4~5階建てにもかかわらず、エレベーターや冷暖房設備が無く建物自体が応急的なものであることなどが指摘され、これらの問題点を抜本的に解決するとともに、市庁舎は躍進を続ける熊本市のシンボルという意味からも早期の庁舎改築を要望する意見があった。昭和43年から翌44年にかけての市議会でも、たびたび市庁舎改築問題に関する要望がなされたが、内容的に現在の市庁舎規模では都市化に伴う行政事務の拡大・高度化、多量化に対応することが次第に困難になってきていること、又現状のような職場環境を改善することは事務能率の向上、意欲の促進と執務の積極さを生む結果となることなどを挙げて、この際将来の市庁舎の青写真を研究し、広く市民や職員に夢と希望を与える時期に来ているのではないか等の論議が交わされた(以下略)。

上記の様に、現市庁舎建設については先ず市民から声が挙り、市議会がそれを吸上げ、市執行部が動いたという構図が分ると思う。

昭和46年執行部に新庁舎調査班が組織され、同47年3月には市議会に「市庁舎建設に関する特別委員会」が設置された。市の調査班は「市庁舎建設準備室」に格上げされ新市庁舎建設に向けて動き出したのである。市は「市庁舎建設に関する公聴会」も開催、昭和47年11月22日に各界代表・学識経験者から意見を聴取した。聴取対象は商工会議所会頭・大学学長・新聞社社長・文化人代表・婦人会代表・地区労協議会代表他であったが、反対の声はゼロであった。同28日には一般市民から無作為に抽出した主婦、会社員、学生、商店主等であったが、これも反対の声はなく寧ろ積極的に賛意が示された。



大西一史市長に提言
貴方と取巻き市議、市幹部だけで市庁舎建て替えの大事業をコソコソと画策、結果だけを公表するのを止めて頂きたい。各校区毎に公聴会を開き有識者、市議からも意見を求め、市民を除き賛否に拘らず氏名を公表下さい。その結果賛成が反対を上まわったら次にお進み下さい。現庁舎の耐震調査についても、あと2、3社一般競争入札で選定して実施下さい。



市庁舎
建て替え前提の耐震調査か
熊本市の広報誌、ではなかった地方紙熊本日日新聞の本年6月6日付1面トップ白抜き「熊本市役所耐震不足」に驚いた市民は多いだろう。熊本市役所より5年10年以上古いビルは市内に数多あるが、熊本地震を耐えた建物で建て替えを行うといった話は聞かない。50~60年物では主に外壁を補修して使用されている。有識者と目されている人達に聞いてみたが「市庁舎が建て替えなんだったら熊本市内のビルの半分は建て替えなんたい」と話す。本面他欄にも書いたが建築基準法の耐震基準は平成20年10月に改正されたもので、同条例を改正するに当って「法律又は条例を改正する法令による改正については制定以前の建物、若しくはその敷地の部分については適用しない」と明言。新基準法に合うように努力をする様には求めているが義務付けはしていない。

熊日の“大報道”は6月6日付。5日の市議会の公共マネジメント調査特別委員会で市が報告したのを報じたものだ。市議の中にはこの記事を見て「初めて知った」という議員に何人か会った。現庁舎建築については多くの市民や市議が継ぎ足しだらけの旧庁舎の不便さ、労働環境の劣悪さを理解した所謂「下からの意向」で執行部が動いたのである。

大西執行部は熊本地震後1年半を過ぎて耐震調査を始めた。調査は大阪に本社を置く安井設計事務所を含む4社がプロポーザル方式で応札、最安値を付けた設計事務所より高かった安井が落札している。本来なら現庁舎を設計した㈱山下設計に依頼した方が正確な診断が出来ると思うが、市の幹部は「山下だと自分所が設計したので不備があっても隠すかもしれない」と云って入札から外している。あと一つ。熊本市は3月の調査結果で耐震不足が指摘されたと云っているが、まだ結果が出ていない今ら大西市長、古庄政策局長らが新庁舎建設に向けて打合せを始めていた(市関係者談)のである。某設計事務所の一級建築士曰く「実に上手い云い回しですね。崩壊では誰もが有り得ないと分る。傾くではそれもありかなと思う範疇ですよ。私は震度7でも大丈夫と思っていますがね」と語る。建て替えありきで話が進んでいる。


掘削工事 昭和55年2月(「熊本市庁舎建設の記録」から引用)
「熊本市庁舎建設の記録」(昭和58年3月発行)



 平成30年4月、ネットで探し物中に「非常事態、ベストを尽くせるか 熊本地震から2年 自身の被災を押し…」を見つけたので開いた。そして驚いた。4月16日11時18分配信、西日本新聞経済電子版である。2年前の同日未明に発生した本震後の大西一史市長を絶賛しているのである。それがニュース性が高ければ未だしも、足の負傷とツイート発信の素晴らしさを挙げただけのものだった。4月16日の熊本地震発生2周年の日に因んで書いたものだろうが、一般人ならともかく、報道のプロたる新聞記者(と推測)である。こんな軽い記事は戴けない。以下はその全文である。

「島根県西部で4月9日未明に起きた震度5強の地震で、NHKアナウンサーの対応がインターネットで話題になった。自宅で寝ていた松江放送局の男性アナが放送局に駆け付け、地震発生から18分後にはスーツ姿で臨時ニュースを伝えた『対応の迅速さ』を称える声が相次いだのだ。その記事に目を通しているうち、2年前の熊本地震での出来事を思い出した。」

「熊本地震は2016年4月に起きた。14日夜に前震、約28時間後の16日未明に本震が発生。ともに最大震度7を記録する激震で、隣接する大分県も含め住家20万棟(うち大分は約8、300棟)が損壊した。犠牲者は、直接死55人(うち5人は二次災害死)、関連死212人(3月末現在、大分の3人を含む)で計267人に上る」「思い出したのは、本震発生後、熊本市役所に駆け付けた大西一史市長の姿。その時彼の右足は血まみれだった。」「前震後から対応に追われた大西市長は、翌日深夜、着替えを用意するため熊本市中央区の自宅に一時帰宅(筆者注・以下同じ。これは間違い。前震の被害が思ったより軽かったので翌日の手順を整え帰宅。本震発生時は就寝中であった)。その時本震が起きた。中央区は震度6強。建物が傾くほど激しい揺れで(外見上市長の自宅は損傷なし。小紙が写真掲載)室内のガラスが割れ、床に散乱した。そして停電。暗闇の中、家族を屋外に避難させるまでの間に、素足でガラスの破片を踏んだ。右足の裏に深い傷を負った(軽傷)にもかかわらず何の処置もせず市役所へ。(足は布を当てて巻き、娘と供に妻と登庁、以後2週間妻子は市長室に泊まった)。血だらけの足元に職員達は仰天(誰も仰天していない)したが、市長はそのまま夜通しで陣頭指揮(秘書課員がすぐ救急箱から消毒剤などを出し包帯した)。庁舎内で傷口を10針縫う処置を受けたのはそれから1週間後だった。(10針も縫ったかどうかは知らないが、その日の内に治療を受け真新しい包帯を巻いていた)。



書いた記者は応援記者
承前。「私は当時、福岡との県境の沿岸部にある支局に勤務し、熊本市役所に応援取材に入ったのは本震発生から数日後。大西市長の“血まみれ登庁”はリアルタイムで目にしたのではなく、その後の取材で知った。やがて市長の「被災」は報道陣に発覚(軽傷で足の傷は当日から報道陣は知っていたし、職員も知っていた)。したがって大きく報じられることはなかった(軽傷だったから)。当時、市は最大11万人超が避難して大混乱のさなか。(対策本部も大混乱、大西市長は怒鳴りまくっていた)。ある職員が証言する。「箝口令が敷かれたわけではないが、市長は自身の被災についてあえて発信しなかった」(軽傷を云いまくったら笑われるよ)。」これを書いた記者は「秘書課に箝口令が敷かれた」のは御存知ない。その箝口令とは「市長の家族が市長室(ベッド設置の小部屋と聞く)に避難させていたこと」である。この事実は小紙が報道するまで市幹部さえ知らなかった程完璧であった(後に市議会でも追及され、秘書課長が渋々認めた)。またツイート部分で「大西市長が『被災して失意のどん底にいる皆さん、避難所でつらい生活を強いられている皆さん。私は全身全霊をかけ、この熊本を必ず再生させます』-。この一連のツイートで…以下略。」こんな市民思いの市長さんが、仮住まい1万人弱もいる中、400億の市庁舎建築に走るとは。西日の記者さん確りして下さい。



創刊23年を振り返る〈7〉
熊日勇み足・裏取りなく報道
本号は熊本日日新聞が平成9年9月9日付朝、夕刊で社会面トップで大きく報道した「白川緑川河口付近の堤防耐震対策工事」(建設省熊本工事事務所発注)で施行業者が「手抜き工事を行った」に対して小紙だけが「手抜きはなかった」と真っ向から反論、事実を解明した第1報である。熊日を始め新聞各社、テレビ局が全て「手抜き工事が行われた」と報道する中での事実究明報道であった。

熊日の報道後追いだが、悪徳業者を追及しようと取材に走ったんだが、すぐこの報道が「ガセネタを元に書かれた」と判明してこの記事を出した。熊日報道の2カ月後の平成9年11月号である。本文が読めるかどうか微妙な文字の大きさだが、中央の見出し「果して鋼矢板に細工はあったのか」「悪意で曲げられた?工法」は熊日が掲載した「手抜きで曲がった矢板」図に対する批判である。熊日は情報を持ち込んだクレーン運転士Dの告発(云い分)を鵜呑みにして裏を取らないままこの大報道を行ったのである。後に熊日の記者から聞いた「Dが実名を出してもいいと云って持ち込み、手抜きの方法も詳しかったので信じ込んでしまった」では熊日の名が泣こうというものだ。全く裏を取らぬまま大報道を行った大失態である。

テレビ局も同様で中でもTKUの突撃レポートは酷かった。沖新の現場は勿論、告発者のDに局内でインタビュー、顔は出さなかったが、Oに手抜き方法を語らせている。この前、何故Oが告発した下請のD社に取材を行わなかったのか筆者は非常に疑問を抱いたのを覚えている。筆者はD社とOの関係を取材、結果としてOがD社から金を引き出そうと大芝居を打ったと理解したのである。小紙も次号で鋼矢板打ち込みについて図面と文章で詳報しているが、熊日の場合Oが書いた図面を丸呑みした図が掲載されていた。その図は素人の筆者が見ても「おかしい」と判る物であった。

沖新地区で行われた耐震工事とは同地区がゼロメートル地帯の為堤防下に厚さ13㎜、幅40㎝の鋼矢板を41mまで打ち込む工事である。1本の長さが14m前後の為3本(3パーツ)を1組として使う。打ち込みは高水圧打込機(ジェット)で行い、1枚目が入ると2枚目を溶接して打込み、3枚目を溶接して打ち込むのが1工程である。元請は西松、増永、松下の3社、その下に各2社の下請けが入って工事を実施した。下請の1社がD社で、ここでDはクレーンの操作していたが社側に従わず退職した。尚、この件で松下がD社を提訴したがDの証言が崩れ取下げている。




 下に揚げたのは熊本日日新聞(以後熊日と称す)は平成30年6月6日付朝刊1面と3面の記事である。見出し等は掲載した中から読み取れると思うので省略する。他面でも記述しているので重複する所もあると思うが御容赦願いたい。



熊日のこの記事は前日熊本市議会の公共施設マネジメント調査特別委員会(江藤正行委員長12人)で報告された資料に基づいて書かれたものと思われる。即ち記事は熊本市の考えその物と考えてよい。要約すると「市役所本庁舎は現行の建築基準法に基づく耐震基準を満たさず震度6強の地震が起きると傾く恐れがある。本庁舎は1981年10月の完成で、高さ約64mの行政棟と議会棟から成っている。調査は昨年10月から今年3月に実施。築36年が経過した本庁舎の延命策を探るため、初めて耐震性も調べた。調査結果、震度6強の地震で行政棟の基礎を支える地中のくい160本中約50本が致命的な損傷を受け建物が傾く恐れがある事が判明。特に5~10階は大きく揺れ、柱やはりが壊れたりする。市によると本庁舎は81年施行の新耐震基準には合致していたが、2000年阪神大震災後にさらに基準が厳しくなり、60mを超す高層建築物の規制が強化されたので、現行法が求める耐震基準を満たさなくなっているという。」「市が16年7~10月に実施した熊本地震の影響調査では構造や基礎部分には破損などの異変は確認されず、本庁舎の使用を続けて来た」(当り前だろう)。

ここで急展開となる。「一方、大規模改修では210本のくいを追加するよう求められたが、施工スペースの確保が困難。」中略。「大西市長は委員会後、『厳しい調査結果を重く受け止める。情報をきちんと公開して市議会や市民の意見を聞きながら、スピーディーかつ慎重に検討したい』と話した」で終っている。

3面は後述するが、報道当日も、その後も熊日は論評一つ書いていないのである。現地建て替えの場合400億を優に超す市民直結の市庁舎建設問題に県紙である熊日が一言の批評も行わないのは異常と云っていい。その事案が妥当なものか検討し発表するのが新聞の使命と思っているが、如何であろう熊日さん。



建て替え支える熊日の記事
読者の知る権利投げ出した
別欄は1面を中心に述べたが、本欄では同日の3面を中心に述べる。先ず見出し。「対応急務 判断難しく」は一体何だと云いたい。1面では先の熊本地震後の調査で構造体、基礎に変化はなかったとある。熊本地震では確か震度6強が4回襲ったと思うが、それに充分耐えたのである。庁舎建設に係わった専門家のいう「あの建物(市庁舎)は震度7でも充分に耐える造りです」を筆者は信じる。仮に建て替えが必要だとしたら大西市長はあと2、3社に耐震性を調査させたらどうか。1件7千万余で3件なら2億2千万円位で済む。それで「現状で大丈夫」の結果でも出れば安いものではないか。その調査結果は市民や議会で公開して頂きたい。大西市長以外が指名する専門家委員会の立ち上げも必要だろう。市が指名する人物で構成される○×委員会の委員は殆ど“市の御用達”の集団である。ある委員会で辛口に市を批判した熊本大学教授が通常2、3期は続行する委員を1期で再任用されなかった事例があるからである。話を戻す。

3面で「対応急務」とは一体何なのであろうか。本文でも「熊本市役所本庁舎が建築基準法に基づく耐震基準を満たさないことが5日、明らかになった。市は現在地からの移転新築も含めた選択肢を提示。それぞれ課題があるため、市は難しい判断を迫られることになる。一方地震はいつ起きるか分からず、検討に費やせる時間は少い。」と書く。正にこの記者の書く通り“地震はいつ起きるか分らない”のである。が、この記者君はいつ起きるか分からない地震に対し「検討に費やせる時間は少ない」とすぐ(15~20年か)にでも発生する様な書き方である。熊本の過去の地震発生も明治22年の俗に云う「金峰山の地震」があるが、100年以上前の出来事。その前は7、800年前に大地震が起きたらしい。過去のデーターが役に立たないのは先の熊本地震が証明した。気象庁のお役人が過去のデーターに頼り切った為、14日の地震を本震と理解、以後の対策を指示したが28時間後に後でいう所の本震が発生した。地球の生命から比べると人類の歴史など寸秒である。筆者も地震はいつ起きるか分からないと思っている。「半年先か10年先か100年先か」と思いながら平常の生活を送っている。

市が耐震不足を解消する為の案が、この日にA、B、C、D案として費用別に長所、短所を一覧にしているのに不審を抱かなかったのであろうか。筆者はこの熊日の記事を読んだ時、余りにも手回しがよいのに不審感を持った。そして関係者に当たった所、「耐震調査を発注する前から大西市長は腹案を持っていた」とか「今年になってすぐ古庄局長ら一部の幹部が建て替えについて検討していた」という情報を得た。これだけの大事業を大西市長は“身内”だけで練り、6月5日唐突に公表した。市議さえ何人もが「突然の発表に驚いた」と語っている。大西市長の遣り方は「独善専行」と云っても過言ではない。筆者に云わせれば大西市長の目は「自分以外に向く事はない」である。それに悪乗りする熊日は「新聞発行の使命感を投げ出した」と断定する。



読者離れ著しい熊日
スマホやパソコンなどが国民に広く浸透した結果、紙の媒体の退汐が著しい。新聞雑誌を始め書籍類の販売が右肩下りは止る所を知らないかの様である。熊日とて例外ではない、否寧ろ他紙より減少率が高いのではないかと思われる。ピーク時46万部(正確な数字を小紙で既報済だが急ぐので資料を確認していない)の発行を誇り“地方紙の雄”と称せられた時期もあるが、現在の発行部数は27万2千数百部(内部情報)と云われる。公称は30万部前後らしい(一昨年末は30万数千を自称)ので実数とは2万8千部前後の差がある。同社員によると「雛壇(取締役のこと)の連中は自分達の保身に汲々としているばかりだ。会長の独断専行に意見する者は居ない。伊豆会長は早く身を引き息子の専務に交替したら光りが見えてくるのではないか」と評する。本号で書いた様に今の熊日に反権力の気風は皆無だ。新聞報道とは行政を監視する使命を担っている筈であるがこの20年、行政との癒着こそあれ監視する義務は放棄しているとしか思えない。行政とメディアの癒着は過去に小紙が数回暴いている。県政記者クラブは花見時、県幹部(知事、副知事が同席する事もあったと聞く)と一泊で花見に出掛けていたのである。小紙が報道したのは菊池温泉一泊であった。小紙の報道後一泊の“懇親会”はなくなり、日帰りの花見となった。創刊22年を振り返るでは熊本市長らの海外視察に同行する新聞、テレビ各社に20万円支給していた事実を報道した。これもその後中止になったと聞く。部数減と雖も熊日の影響力は大きい。その熊日が役所の事業を誘導するが如き記事を書く事に怒りを禁じ得ない。





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