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発行者:福島 宏

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パニクった大西市長
指揮系統混乱・職員動けず
4月14日夜益城町一帯を震源とする震度7の地震が発生。16日未明には震度7、マグニチュード7・3の激震が発生し、熊本県民を恐怖のどん底に落し入れた。この地震報道については気象庁も混乱、14日夜の地震について「震度7、マグニチュード6・5」と発表。16日未明の地震は「震度6強、マグニチュード7・3」と発表したが、後に「震度7」に改める始末。その上、16日の地震を「本震」として14日の地震を「前震」と呼称しだした。余震についても「今後3日間は…」と喚起を呼びかけたが、数日後には「今後1週間は強い揺れを伴う余震に注意」と変り、更に「今後1カ月は…」に変った。要は地下で起きる“出来事”については殆ど予知不能という事である。で、本題に入る。

この一連の地震で政令市の市長たる大西一史氏が計らずも市長“不適任”である事を市幹部、職員の前に曝け出した。市幹部によれば「14日の前震後市長は登庁し、市役所5階に災害対策本部を設置した。15日は市の局長クラス、危機管理監、陸自、県警、消防など関係者等と合議、各々の役割分担を話合って夜退庁した」と話す。ここまでは問題なく「市長らしい振舞」であったと見てよい。だが16日未明の本震後に登庁した大西市長の言動は荒れまくった。

本来この様な事態で本領を発揮すべき「熊本市危機管理防災総室」(以降危機管理室と称す)だが、同室は熊本市政策局の一部門に過ぎない。室員も、防災管理監をトップに31名で、管理監に総指揮を執る権限は与えられていない。従って全ての指揮が大西市長に集約されたのは当然の流れであろう。所が大西市長は、県議から転身して1年余の“新米”市長である。平穏な世の中にある時は問題なく市政を運営出来るが、今回の様な緊急事態が発生した際は市長としての能力が問われる事になる。6,800名の職員を統括し、適切な指示、命令を下すには余りにも経験不足であった。加えて市長の片腕となって支える立場の高田副市長も「市職員からの叩き上げで、庁内事情には詳しいが行政能力はゼロに等しい」と評価されて来た人物。その高田副市長に頼り切っているのが大西市長であり、今回の緊急事態に「もたついた」のは当然の帰結であろう。

16日未明の本震後、対策会議が開かれたが「組織の体をなしていなかった」とは参加者の話。出勤している職員数は全く把握出来ておらず、次々に入って来る救援要請に大西市長が「場当り式」に指示を出すので対策本部は勿論、現場の職員達も混乱して「何をしたらいいのか分らなくなった」とは避難所に居た職員である。又、消防も大混乱を極め、17日に小誌読書から寄せられた情報では「某消防署では署員がぶらぶらしているので『この非常事態に何をしているのか』と抗議したら『指示がないので動きようがない』と答えたので頭に来た」と怒りをぶちまけた。

市幹部の一人は「大西市長は完全にパニクっていましたね。高田副市長以下各局長を怒鳴り続けていました。この日まで局長以下市幹部職員達は『幸山市長より話が分る』と、いい雰囲気になりつつあったのですが、16日を境に評価が急変、『あんな奴とはやってられない』と酷評する様になりました」と語る。

大西市長自身、自宅全壊で足に負傷していた。それでも頑張る姿勢は責任感の表れと解釈出来るが、本震後の言動は政令市長として疑問符がつく。



熊本市 ゼロに等しい危機管理体制
消防・水道・非常食・避難所
各部門が個別に管理
先ず熊本市の危機管理について。熊本市の「危機管理防災室」は政策局が所管、本庁舎の3階に在る。管理監を含めて31名(内13名が再任用)が任に当る。熊本地震発生後4階に災害時情報調整室、5階に対策本部が設けられた。従って関係職員は3~5階の間を階段を使って上下する破目になり、余分な労力を消耗した。この危機管理室の前身は土木部である。熊本の場合「天災」と云えば、多発する風水害であった。それが固定観念となり、河川を管理する土木部に置かれた様だ。その後防災機能を総務部に移し、水防が土木部管轄となった後、危機管理室に統合された経緯がある。危機管理室のトップは“局長級”であるが、ポスト的に局長級と云われているだけで「局長会議」などに出る資格はない。災害発生時の指揮権も付与されていないので、本部長の大西市長の指示を仰ぐ事になる。本来なら災害時に指示、命令系統が一元化さていなければならないが、危機管理室にそれらの権限は与えられていない。歴代市長に危機管理意識が欠如していたのが原因であろう。
問題点を挙げる。先ず避難地の管理は、学校であれば地域政策課、公園は公園課である。貯水槽の水は公園課と消防局、非常食や毛布など日常品は健康福祉政策課、資材は危機管理室である。これらの組織が緊急事態で別々に動くのである。他に消防がある。消防署員の一人は「市民からの救援要請が殺到する部署と救急隊員は多忙を極めたが、他の部署は上からの指示がなく、火災などに備えて待機態勢しかとれなかった」と語る(これを市民が『ぶらぶらしている』と見たらしい)。市の幹部は「危機管理室の存在は軽視されていた。かつてトップには陸自の定年退職者が就いていたが、組織を動かす事が出来ず、2、3代前から土木部長の上りのポストになった様だ。技術畑の為、市長部局との交流は少い」と話した。この様な危機管理体制の不備が大西市長のパニックを招いたのかも。“初動2日”と云われる様に、外部からの支援物資が届く迄が勝負である。


白川公園防災倉庫出入口横に掲げられている看板



 熊本市は災害に備え、各区の校区別に避難場所を指定している。熊本市のホームページ「災害に備えています」には「一時避難場所一覧(集中備蓄倉庫および分散備蓄倉庫情報含む)」が表示され、校区毎に避難先が提示されている。この中で「集」とあるのが、集中備蓄倉庫で、全市で20カ所にある(平成26年2月現在)。

他方、健康福祉政策課管理の「災害備蓄物一覧表」では24カ所となっている(平成27年4月1日現在)。これらの場所には「アルファー米、乾パン」など非常食の他、毛布などが備えられている(事になっている)。この内、以下の9公園の地下に「耐震性貯水槽」が設置されている。完成順に錦ヶ丘公園、楠中央公園、渡鹿公園、蓮台寺公園、秋津中央公園、八王子中央公園、白川公園、平成中央公園、池上中央公園が該当する。因に平成中央公園、池上中央公園を最後に、平成14年3月以降この種の避難施設は建設されていない。これで計画完了なのか、この年初出馬で当選を果した幸山市長が防災に無関心であったのかは分明ではない。幸山市長時代に大規模防災施設は作られていない。9公園の中で防災機能(特に貯水槽)が作用しなかった一例として、市中心部に位置する白川公園を挙げる。

白川公園は、平成8年8月、碩台校区の避難所に指定され、集中備蓄倉庫(66㎡)に加え、地下に耐震性貯水槽(貯水量100屯)を設置した。備蓄倉庫に非常食として、アルファー米など11000食、乾パン5530食、缶詰パン864食(以上同市災害備蓄物一覧)から。市は前震後これらの非常食など配ったらしい。らしいと云うのは、危機管理室が実態を把握していなかったので正確な回答を得られなかった為だ。得られたのは「毛布は福祉課職員2人が配っていた」だけである。公園周辺の住民にも確認したが、前震と本震後を混同していたりで正確な実態は掴めなかった。

住民によると「非常食の様な物を配った様ですが私は貰っていません」「毛布は配りましたがすぐ品切れになり、後から何処からか持って来て配っていましたが、到底皆んなにいき渡る数はありませんでした」と語る。水については「地下に貯水槽があるなんて今初めて知りました。本震後は2、3千人位が避難していたと思いますが、ペットボトルが一部で配られました。断水で公園のトイレは使えませんでしたので必死の思いで自宅のトイレを使い又公園に戻りました」と話す。

給水不能であった点を危機管理室長に聞いた所「管轄が違うので」と逃げを打ったが、筆者が別ルートで裏付けをとっていたので「止水弁が故障して給水不能だったと聞いている」と突っ込む。室長は「私はその事実を把握していない」と云って係らしい職員を呼んだ所、その職員は「バルブが故障して使えませんでした」とはっきり答えた。市の中心部に在る重要な白川公園についてもこの程度の認識であった。



止水弁作動せず貯水不能に
白川公園に設置されている緊急用貯水槽は、同公園北側の防災倉庫の前の緑地の地下に在る(写真下を参照)。1面に掲げた防災倉庫に貼られている図面の様に、道路下を流れている水道本管から2本の支管が貯水槽に引かれている。一方の支管から入った水は貯水槽を通って又本管に流出、絶えず新しい水が貯水槽を満たす仕組みになっている。本管との間に弁(バルブ)があり、震度6程度の揺れを感知すると自動的に閉じ、100屯の水が確保される。貯水された水は取水口から汲み上げられ避難者らに給水される設計である。他の8公園も同様の構図であり、貯水槽が正常に機能していたのであれば、各メディアの記者が気付かない筈はない。当然「市の危機管理体制の成果」として報道されたのではないか。筆者が見落したのか分らないが、これらの報道は目にしなかった。

各報道機関が被害の大きい益城町や、西原村に目が向いて、市の避難施設の情報を見落していたら失態であろう。報道されるのは「陸上自衛隊が15日に被災地に風呂を設置した。陸上自衛隊の給水車に住民が喜んだ。市の給水車が避難先に給水を行っている」等々であった。「緊急時に備えた耐震性地下貯水槽のお陰で被災者が助かった」の報道は一度も聞かれなかった。

筆者は「設置している筈の貯水はどうなったのか」と疑問を抱き取材を始めたのである。その中で「秋津他2、3カ所の公園では地下貯水槽から給水があり、非常食も配られたがすぐ底をついた」と聞いた。白川公園については、前にも触れたが毛布、非常食等は配られた様である。しかし水については「緊急時に作動する弁(バルブ)が故障で機能しなかった。残った水を消防署員(らしい)2人が手押しポンプを使って揚水しようとしたが上手くいかなかった」と関係者から聞きとっている。又前述している様に、危機管理室の職員がはっきりと「バルブが故障して機能しなかった」と筆者の目の前で“証言”している。それにも係わらず危機管理室と消防局は「9公園の貯水槽は『全て使用実績あり』」と文書で回答して来たのである(4面に詳報)。

4月17日大西市長は市庁舎で記者会見した。その中で「大地震の際、全市民の約5%、36,500人が避難すると想定、2日分の食料を備蓄していた。市は14日夜の震度6弱の地震後、備蓄した食料の提供を開始した。16日未明の震度6強の地震から避難者が最大で11万人に上った為物資が不足、16日現在で避難者の約4割にしか届けられていない」(18日付熊日より抜粋)。と語っているが、飲料水については一言も触れていない。非常食については、乾パン、カロリーメイトを併せ約22万食が備蓄されていた(市健康福祉政策課一覧)が、集中備蓄倉庫がある避難所では配られたが、備蓄倉庫から周辺の小中学校などの避難先には供給されなかったという。飲料水は上下水道局の給水車と自衛隊の給水車が頼りの上、市の給水車は小型(1000㍑)が多く避難者に充分届けられていない。しかも肝腎の耐震貯水槽の水が故障で使用出来なかったのは市の大失態であろう。白川公園だけでも100屯の水が貯水される構造だが、前述の通りバルブの故障で貯水が出来なかった。加えて揚水用のエンジンポンプも使用出来ず、手押しポンプも機能せず、避難者の多くがメルパルクからの水に頼ったのである。




 小紙が創刊22年を迎えたのを桟(しお)に、小紙独自のスクープ、当事者に強い影響を与えたと思われるバックナンバーを再掲載して、22年間の歩みを振り返って見たい。左の見出し「細川護熙元総理の女」は創刊号から数えて4号である。この4カ月前細川氏は日本新党、新生党、民主党、社会党から成る連立内閣で就いた総理の座を投げ出したばかりであった。佐川急便から1億円の借入金の問題、オレンジ共済疑惑等で首相としての責任を問われた結果であった。佐川、オレンジ共済問題を週刊誌が書き立てていた時、多くの記者が熊本入りして取材して去った。各週刊誌の中に必らずと云っていい程登場したのが「細川首相が若い頃弄んだ女性」として採り上げられたのが大津さんであった。週刊誌記者の取材が浅いのか、某筋から意途的に流された情報を信用したのか、大津さんは「10年前に死んだ」とか「行方は分らない」で報道されていた。

そんな折、知人のM氏から「大津さんは生きていますよ」と云って大雑把ではあるが、大津さんが住んでいると見られる不知火町の住所を教えてくれた。すぐ現地に行ったが、大津さんの近親者らしい人が「今は熊本市内に居る様ですが詳しい住所は分りません」と云う。その数日後、市内に住む大津さんを突き止める事が出来た。その時、眞正時報という情報誌を出していた楠本氏(当時大久保一家相談役)から「わしも書くので大津さんの住所を教えてくれ」と頼まれたので何気なく教えたのである。所がこの男、その情報を週刊新潮と週刊現代に売り込んだのである。最初に週刊新潮が取材に来熊し、楠本氏に取材したらしい。週刊誌は「情報を買う」事は余りしないので多分「寸志」であったのだろう。週刊現代はどうした訳か楠本氏は「約束不履行で提訴する」と云っていたので金額でトラブったか。筆者の方には、最初情報を寄せたM氏から流れたらしいフライデーから接触があった。日時を打合わせ、アーデンホテルに大津さんを同道して取材に協力した。記者と同行した井上氏が撮ったのが写真の大津さんである。

後日送ってもらったんだが、さすがプロのカメラマン、見事な出来であった(因に井上氏は現在もフリーカメラマンとして週刊誌の紙面を飾っている)。大津さんは、当時一流のクラブと称されていた「クラブたそがれ」のホステスをしていて細川氏に見染められ、小一年間付き合ったが、「妊娠した」と告げた途端、細川氏は電話に出なくなった。細川氏の秘書であった磧上氏、八塚氏らにも電話で相談したが相手にされなかった。そこで大津さんは細川氏とよく訪れていた人物に窮状を訴えた所、「堕胎費用として2万6千円をくれたのでその金で産院に行って堕した」という。この号も大きな話題を呼んだ小紙である。




 1、2面で述べたが、今回の“熊本地震は県民の誰もが予想していなかった天災であった。熊本県の混乱振りは別に述べるとして、政令指定都市である熊本市の防災体制のお粗末振りは先述している。筆者自身、特に防災について意識していた訳ではない。しかし、震災後、小紙読者などから「市の対応がおかしい」といった苦情や、各種情報が寄せられて取材に動いたのである。その結果と云うべきか、白川公園貯水槽について市消防局から余りにも「奇っ怪」な回答を頂いたのでここに公表し、実情を明かそう。

白川公園の耐震貯水槽については平成10年3月に防災倉庫と同時に完成した。所管は危機管理室から貰った左の表の通り消防局である。この表は地震発生後数カ月経って筆者が危機管理室に「今回の熊本地震で耐震貯水槽が活用されなかったと聞いている。各貯水槽が機能したかどうか確認したい」と取材申し込みを行って、一通りの回答を得た後にFAXで送られて来たものである。役所という所は都合の悪い事は隠したがるので充分な裏付け取材の後、危機管理室に取材を掛けたのである。その時の最初の回答が2面の「管理室長は実態を把握していなかった為、担当係員を筆者の前に呼んで『白川公園の給水はどうだったのか』と聞いた所、その室員が『白川公園はバルブが故障していて使えませんでした』と答えたのである」。

9公園の貯水槽の管理についても、仲々出来ず、筆者が取材で得ていた「公園課と水道局、消防局でしょう」と畳み掛けると「そうですね、普段は水道局が管理しています」と云う。そこで上下水道局に行った所「普段の水質管理はうちが行っていますが、それは消防局、公園課などから委託されて行っているだけで、水槽の管理はうちではありません」である。「消防局警務課」が出したと云われるこの表を入手後、危機管理室長から「消防局の警務課が詳しいので電話して聞いて下さい」と云われた。しかし市の関係者に白川公園について述べている部分について聞いた所「あり得ない事」と一蹴したので警務課には取材を行わなかった。素人の筆者でも給水については陸自、九州各県は勿論中国方面からも多くの給水車、支援物資が届いたのは知っている。その応援給水車が何故白川公園の貯水槽に水を「補充」するのであろうか。避難先に直接行って給水するのが常識であろう。

「(貯水槽の水は濁りがあり、飲料用の水は上下水道局が給水車で配給)」とあるが、同公園に避難していた被災者の多くが「メルパルクの水が出たので貰いに行った」(4月15、16日)。「市の給水車かどうか分らないが17日になってやっと給水が始った。その前にペットボトルが1本ずつ配られた」の声しか聞かなかった。又、日付は忘れたが熊日「読者のひろば」で「白川公園のトイレは水がないので流れず満杯。北警察署に行ってトイレを使わせてもらった」と避難者の声が寄せられている。「貯水槽の水は飲料用以外に使用するために配給していたが、応援都市の給水車が貯水槽に水を補充するためにホースを貯水槽の弁につなげる際に弁が故障し、使用不能になった」との説明は余りにも詭弁ではないか。筆者が得ている情報源を明かせないのは残念だが、「地震発生を感知すると自動的に流入・流出の弁が閉じる。その弁が故障で作動しなかった為貯水が出来なかった」と断言しているのである。その道に詳しい人物であり、その言は充分に信用出来るものである。



市職員・四人に一人欠勤
出勤した職員に過労勤務強いる
4月14日木曜日の夜、前震が発生した。翌15日は金曜日、市職員の2割近くが欠勤した様だ。その後16日未明の本震当日から、4月30日までの全職員の登庁状況を人事課に出してもらった。再任用を含む全職員は6,757人で、本震当日は土曜日だが、緊急事態の発生で4,789人が登庁。17日日曜日も3,258人が登庁し、災害に対応した。18日月曜日は5,021人。その後徐々に登庁する職員が増加、週末の22日は5,498人が登庁した(但しこの数字はタイマーなどの故障や、職場が混乱していた為正確性に欠ける)。23日土曜日、24日日曜日も約1/3の2,350人前後が登庁。次の週は概ね5,500人前後で推移している。総じて2~3割の職員が被災等で欠勤したものと思われる。

問題は登庁した職員の勤務状態である。ある中堅の職員は「日中は本庁の持場で対応に追われて昼食も忘れる程忙しかった。人手不足で通常の勤務場所でない所に配置された職員も居た。電話は鳴りっ放しで、市民も不安を抱えている為か一寸でも返答が遅れると怒鳴られます。地震後1週間で気がおかしくなりそうでした」と告白する。そんな職員に対し上司は「勤務時間が終ったら君は○○へ行け。君は××に行け」と市民が避難している“現場”に出されるのである。現場に行っても災害についての対応を訓練されている訳でもなく「只うろうろするだけでした」との声も聞いた。「組織立って動く様になったのは、阪神や、東日本で災害対策に携った経験を持つ応援部隊が来てからだ」と東区に所属する職員が語る。

哀れだったのが本庁の局長、部長クラス。1面でも記しているが、大西一史市長は「やる気満々」で市長室に泊り込んでいるので「疲れ切っているが帰るに帰れない」と午前様は連日のこと。加えて役職員には“残業手当”がつかない。「『市長が帰っていい』と云わないので帰るに帰れなかった」と他の職員に漏らしたのを何度も聞いた。又、副市長だか、局長だかはっきりしないが大西市長に「このままだと倒れる職員が出るかも知れません。職員を3つ位にグループ分けしてローテーションで勤務させたらどうですか」と進言した(職員からの又聞き)所「この非常時にそんな事が出来るか」と一喝されたという。そこで、人事課に秘書課職員(役付を除く)12名の登庁者数と残業時間を出してもらった。16日6人。17日(日)4人の他は12名全員が登庁、時間外は土日が急増(6日ある)10時間超と、かなり苛酷な勤務が強いられていた事が分った。





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